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その学校の屋上には、七不思議がいる。
名前は、 「屋上の心臓」。
屋上の扉は、放課後になると鍵がかかる。
先生が閉めるのだ。
危ないから。
落ちるから。
風が強いから。
でも、屋上の心臓はそこにいる。
鍵なんて関係ない。
扉なんて関係ない。
屋上は、彼女の部屋だ。
屋上の心臓は、いつも座っている。
給水塔の影。
フェンスの内側。
日が落ちていく方角が見える場所。
ながい髪が、風にほどける。
黒い髪。
白い肌。
顔には目しかない。
血のように真っ赤な目。
鼻も口もない。
でも、その目は大きくて
人間の誰よりもちゃんと見ている。
目の下には、小さなハートの模様がある。
まるで、涙の代わりみたいに。
彼女は裸だった。
ただし、恥ずかしさとは無縁の裸。
髪が、必要なところだけを隠している。
それ以上でも、それ以下でもない。
彼女はただ、そこにいる。
「……またいる」
放課後の屋上の扉の前で
僕は小さく呟いた。
もちろん、鍵はかかっている。
でも僕は知っている。
この扉は
“屋上の心臓に呼ばれた人”だけ、開く。
僕は呼ばれているわけじゃない。
ただ、ここに来ると落ち着くから来ているだけだ。
……そういうことにしている。
僕は扉に手を置いた。
カチリ。
鍵の音がして、扉が開いた。
「……ほら」
僕はため息をついて、屋上へ出た。
風が冷たい。
夕焼けが、校舎の影を長く伸ばしている。
そして、いつもの場所に彼女がいた。
給水塔の影で、膝を抱えて座っている。
髪が、地面に広がっている。
僕が近づくと、彼女は目だけで僕を見た。
口がないのに
“こんにちは”と言っているのが分かる。
僕は、持ってきた紙袋を置いた。
「今日は、これ」
袋の中身は、コンビニのプリン。
スプーンも入っている。
彼女はそれを見て、目を瞬かせた。
――多分喜んでいる。
彼女は手を伸ばして、プリンを受け取った。
スプーンの使い方は知っている。
たぶん、誰かが昔教えた。
彼女は丁寧に
プリンをひとすくいして食べる。
口がないのに。
なのに、食べているのが分かる。
スプーンが空になって
プリンが少しずつ減っていく。
不思議だけど
僕はもう驚かない。
屋上の心臓は、七不思議だ。
けれど、噂はどれも曖昧だった。
「屋上に、心臓が落ちてる」
「屋上に行くと、胸が苦しくなる」
「屋上に行くと、好きな人の声が聞こえる」
「屋上に行くと、二度と戻れない」
どれも、半分嘘で、半分本当。
彼女が本当にしてくるのは
もっと静かなことだった。
ただ、見てくる。
ただ、そこにいる。
ただ
人の胸の音を聞いている。
彼女はプリンを食べ終えると
空の容器を僕に差し出した。
僕は受け取って、紙袋に入れる。
「……ありがと、ってこと?」
彼女は目を細めた。
――多分笑った。
目だけで笑うのは
なんだかずるい。
僕は少し照れて、フェンスの方へ歩いた。
「今日はさ」
僕は独り言みたいに話し始める。
「数学の先生が、ずっと機嫌悪かったんだよ」
「それで、みんなも機嫌悪くなっちゃって」
「なんか、最悪だった」
彼女は黙って聞いている。
目だけで。
僕は続ける。
「でもさ、ここ来るとさ」
「……どうでもよくなるんだよね」
彼女は瞬きをした。
風が髪を揺らす。
髪がふわりと浮いて
白い肌が少しだけ見えた。
でもそれは
人形の白さに近い。
生き物っぽくない。
温度がない。
彼女は
人間じゃない。
だからこそ
僕は安心できる。
しばらくして、彼女が立ち上がった。
音がしない。
近づいてきて
僕の背後に立つ。
そして
胸に、手を当ててきた。
ひやり、とした。
僕は思わず身を固くする。
「……なに」
彼女は答えない。
答えられない。
でも、分かる。
彼女は、僕の心臓の音を聞いている。
トクン。
トクン。
生きている証拠。
怖いくらい、正直な音。
彼女の目が、ゆっくりと細くなる。
――多分落ち着いている。
それを見て、僕も落ち着く。
「……変なの」
僕が言うと
彼女は少しだけ首を傾けた。
日が沈みかけている。
空が、赤から紫に変わっていく。
彼女は僕の横に座った。
距離は近い。
触れそうで、触れないくらい。
僕は言った。
「ねえ」
「……屋上の心臓ってさ」
彼女は目だけで、僕を見る。
僕は続けた。
「ほんとは、名前あるんじゃないの」
彼女は瞬きをした。
一回。
二回。
――多分分からないって合図。
僕は笑った。
「そっか」
「じゃあ、僕がつけようかな」
彼女の目が、少しだけ大きくなる。
僕は言った。
「ハート」
彼女は、じっと僕を見る。
僕は言い直した。
「……いや、違うな」
「屋上の心臓、って名前がもう、君だよな」
彼女は目を細めた。
――絶対笑った。
そのとき、屋上の扉の方から
足音が聞こえた。
ガチャガチャ、と鍵をいじる音。
僕は息を止めた。
「やばい、先生か?」
屋上は立ち入り禁止だ。
見つかったら怒られる。
でも扉は開かない。
鍵はかかっているはずだ。
なのに、音は続く。
ガチャ。
ガチャ。
彼女が、ゆっくりと立ち上がった。
そして、扉の方を見た。
目が、冷たくなる。
さっきまでの穏やかさが、消える。
七不思議の目。
扉の向こうから
小さな声が聞こえた。
「……お願い」
「開けて」
僕は背筋が凍った。
その声は
僕の声だった。
僕が、泣いている声。
あり得ない。
僕は、ここにいる。
彼女は、僕の前に立った。
僕を庇うみたいに。
そして
扉に向かって首を振った。
ダメ。
その瞬間
ガチャガチャという音が止んだ。
静寂。
風の音だけが戻る。
僕は、やっと息を吐いた。
「……今の、なに」
彼女は僕を見た。
目の下のハート模様が
夕焼けで少しだけ赤く見えた。
彼女は、そっと僕の胸に手を当てた。
トクン。
トクン。
ここにいる。
生きている。
そう言っているみたいだった。
帰り際。
僕が屋上の扉に手をかけると
彼女が後ろからついてきた。
扉の前で、彼女は止まる。
ここから先には、来ない。
屋上の心臓は、屋上から出られない。
僕は振り向いて言った。
「また来る」
彼女は、目を細めた。
おやくそく。
僕は扉を開けて、校舎の中へ入った。
閉まる直前
彼女の目が、僕の背中を追っていた。
まるで
心臓が胸の外から僕を見守っているみたいに。
階段を降りながら
僕は自分の胸に手を当てた。
トクン。
トクン。
当たり前の音。
でも、今日だけは少し違って聞こえた。
大丈夫。
ここにいる。
生きている。
誰かにそう言われた気がした。
屋上の心臓に。