テラーノベル
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両側に一軒家やアパートが立ち並んだ細い道を歩く。
家に向かっているというより、ただ黙々と機械的に足を動かしているだけだ。
本格的な夏の色を帯びはじめた太陽が放つ光は、夕方とはいえまだまだきつくて、じわりと汗ばんだ背中が気持ち悪かった。
毎日歩いている道。
俺は今まで何回、この道を歩いたんだろう。
後何回、この道を歩かなきゃいけないんだろう。
そう考えただけで嫌気が差して、何度目かもわからないため息が出た。
毎日毎日、同じことの繰り返し。
代わり映えのしない、平穏すぎてつまらない生活。
いやだ。
イライラする
早く抜け出したい。
でも、どうやったら抜け出せるんだろう?
古びたアパートの前で俺は足を止めた。
鉄臭い錆だらけの階段の脇をすり抜けて、一階の一番奥、どんよりと暗く湿っぽい玄関の前に立つ。
ここが俺の家。
物心ついた頃からずっと、ここにお母さんとふたりで住んでいる。
父親が誰なのかは知らない。
お母さんは二十一歳で俺を産んで、その時からずっとシングルマザーらしい。
そんな家庭環境もあって、俺は周囲からいつも色眼鏡で見られてきた気がする。可哀想な子として同情されるか、腫れ物に触れるように様子を窺われるか、「片親だからひねくれた子に育ったんだ」と陰口を叩かれるか。
カバンの中の鍵を手探りで探していると、火がついたような蝉の鳴き声に背中を包まれる。
アパートの隣の大きな家には広い庭があって、そこに植えられている樹には毎年大量の蝉がつくのだ。
ああ、本当にうるさい。イライラする。
俺はやっと見つけた鍵で玄関を開け、静まり返った部屋の中に入った。部屋には熱気がこもっていて、息苦しいほどに蒸し暑い。俺はリビングの窓を開けて扇風機のスイッチを入れた。
テレビの電源を入れると、夕方のニュース番組が流れ始める。
ただ沈黙が嫌だっただけで、別にテレビが見たかったわけではないから、興味のないニュースを垂れ流しにしたままで俺は床にごろりと寝転がった。
「今から70年前特攻隊の戦闘機は、片道分の燃料と爆弾だけを積んで南の空へと飛び立って、、、、」
深刻そうな声のナレーション。
俺はちらりとテレビ画面に目を向けた。
音のない白黒の映像。
海に浮かぶ要塞のような軍艦。
俺に向かって空から一直線に落下するように飛び込んでいく、小さな黒点のような飛行機。
その飛行機が甲板にぶつかると同時に白い光が炸裂して、無音の爆破が起こる。
でも、軍艦はわずかに揺れただけで、沈むことはなかった。
特攻隊。
そういえば、今日の歴史の授業でもヤマダがそんなこと言ってたな、と思い出す。
くだらない、と思う。
最近、海外で自爆テロが日本でも問題になっているけれど、日本人だって昔は似たようなことをしていたわけだ。
まあ、興味ないけど、と心の中でひとりごちる。
何十年も昔のことなんてどうだっていい。
戦争の番組は、むやみに暗い気分になるから好きじゃない。
俺はチャンネルを適当に変えた。
カーテンを揺らし、首筋を撫でていくぬるい風を感じながら、俺はテレビに背を向けてうたた寝をはじめた。
「ちょっと、莉犬!起きなさい」
ばしんと頭を叩かれて、俺は唐突に眠りから覚めた。
眉をひそめて目を開ける。
お母さんの怒った顔が視界いっぱいに広がった。
あーあ、とげんなりする。また怒られるのかうざい。めんどくさい。
俺はこれからの展開を予想して、うんざりしながら身体を起こした。
ちらりと外を見ると、すっかり暗くなっている。
「まったく、あんたって子はどうしてそうなのよ」
お母さんは険しい表情でぶつぶつと文句を言いながら化粧台の前に座る。
そしていつものように真っ赤な口紅を塗り、派手なアイメイクをはじめた。
これから夜の仕事に行くからだ。
お母さんは昼間はスーパーでパートを勤務していて、夜は水商売の店で働いている。
昼のパートから帰ってくると、化粧を直して近所の繁華街のスナックに出かけていくのだ。
こんな時間まで制服のままで寝こけて宿題はちゃんとやったの?」
俺は答える代わりに「いちいちうるさいなあ」と悪態をついた。
「うるさい?言われなきゃやらない莉犬がわるいんでしょうが!」
「あとでやるって。いいじゃん、ちょっとくらい寝たって」
苛立ちのままに言い返した時、お母さんの携帯電話が鳴り出した。画面の表示を確認して、お母さんが通話ボタンを押す。
「はあい、もしもし、赤瀬です」
さっきまで俺に向けていた不機嫌な声と表情はどこへ行ったのか、お母さんは高い声で愛想よく受話器に語りかけた。
その豹変ぶりがさらに俺を苛立たせる。
なに、その声。
派手な化粧と一緒で、嘘で塗り固められた外面に嫌気が差した。俺はまた床に寝転がり、耳を塞いでお母さんの外行きの声を聞かないようにする。
それでもこれは指の隙間から耳の中に飛び込んできた。
お母さんは「ええ、はい」とか、「そうだったんですか」とか、「いつも本当にすみません、ご迷惑ばっかりおかけして」とか、申し訳なさそうな情けない声で繰り返している。
学校からの電話だろうな、と俺は思った。
しばらくして電話が切れた途端に、お母さんは再び凶変する。
「担任の青木先生からだったわよ!莉犬、起きなさい!」怒鳴るように言われて、仕方なくゆっくりと身を起こす。
「また先生に無断で授業サボったんだって?もう何回目?」
「さあ、10回目くらい?」
わざと平然と答えると、お母さんはため息をついて両手で顔を覆った。
俯いた頭をじっと見ていると、生え際の白髪が目立って思わず目を背けた。
「もう、あんたは本当に!お母さんがあんたの為に働いてる間に学校サボって家に帰ってきても宿題もしないで昼寝なんて、いいご身分ね?」
嫌味ったらしく言われて、頭に血が昇る。
「なにそれ、恩着せがましい。お母さんが勝手に俺を産んだんでしょ?」
そんな言葉が口をついて出た。
しまった、言いすぎたらと一瞬思ったけれど、もう後には引けない。
「産みたくて産んだんだから、育てる為には稼ぐの、当たり前じゃん!」
お母さんの顔が怒りで一気に赤く染まる。
「この、親不孝者!」
もう耳にタコができそうなほど聞いた言葉だ。
「あんたには言わなかったけど、一昨日も学校から電話あったわよ!授業中の態度が悪いし、宿題も出さないって!どうしてあんたはそうなのよ、ちゃんと勉強しないのよ!?」
「そんなの俺の勝手でしょ?」
「あんたの為に言ってるのよ!今勉強しとかないと、将来苦労するのは自分なのよ!?絶対に後悔するんだから」
「俺のため?違うでしょ、自分の世間体のためでしょ」
「なっ、親に向かってなんて言い方するの!」
「ああもう、うるさいうるさい!俺の人生なんだからほっといてよ!」
叫んだ瞬間頬に衝撃と熱さが走った。平手で叩かれたのだ。
俺は頬を押さえたまま睨み返す。お母さんは怒り狂った顔をしていた。
「あんたみたいな馬鹿、私の子供じゃない!」
お母さんが甲高い声で叫びそこら辺にあったものを手当たり次第に投げつけてきた。
お母さんはヒステリーで、小さい頃から俺が悪さをするとよくつねられたり、物を投げられたりしていた。慣れていたのでさっさと避ける。
「私の子供じゃない」?
そりゃそうでしょうね。望んでもないのに妊娠して俺のせいで若さと青春を棒に振っちゃったんだもんね。
でもさ、俺だって望んで生まれてきたわけじゃないよ。
頭のどこかで、何かがぷつんと切れるような音がした気がした。
「それはこっちのセリフだよ!俺だって、あんたなんか親だと思ってない!お望み通り、出たってあげる!」
俺はそう叫んで制服のままカバンを掴んで、玄関から飛び出した。
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