テラーノベル
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暗闇の中、懐中電灯の光に照らし出された婚約者の腕の白い肌は、まだ命の温もりをたたえ続けていた。
亮介はその手首に巻かれたリストバンドに張り付けられた小さな赤いタグをためらうことなく引きはがし、黒いタグをそこにあてがった。
周りの看護師たちの方がむしろ取り乱しかけていた。看護師長の宮田という恰幅のいい体格の女性が思わず言った。
「牧村先生、本当にいいんですか?」
亮介は細面の顔を、ことさら力強く上下に振った。
「僕だって医者なんだ。私情ははさまない」
彼の婚約者、美穂の手首のタグの色は赤から黒に変わった。亮介は、今度は一瞬だけためらったが、看護師たちに指示した。
「患者の点滴中止。輸液は三沢加奈ちゃんに回してくれ」
一番若い看護師の山村が、決心がつかないという表情で言った。
「あの、本当に……」
この病院に赴任してきて以来、怒った顔を見た事がないという評判を受けて来た亮介が初めて怒声に近い大声を上げた。
「こんな残酷な事を、僕に二度も言わせないでくれ!」
場の空気を察した宮田が看護師長らしい凛とした口調で命じた。
「点滴中止。聞こえたでしょ!」
看護士たちが美穂の腕から点滴用の針とチューブを外し、輸液のパックと吊り下げる器具を運び出して行った。
亮介はベッドから立ち去る寸前、両腕で意識のない美穂の頭を抱きかかえ、かすかに嗚咽を漏らした。
床にあふれる患者の体を慎重によけながら暗闇の中を横切り、ろうそくの灯る院長室にたどり着く。
白髪頭がわずか一日でさらに白くなったような院長の前に立ち、亮介は自分でも驚くほど落ち着いた口調で報告した。
「第二回トリアージ、完了しました」
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