テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
l 。 l 🏐
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
どれだけの夜を、この窓のない密閉された部屋で、ただ独り数え続けてきただろうか。
四ノ宮 紬の白く細い手首には、いまや角名倫太郎の大きな掌が執拗に握りしめ続けた痕が、消えることのない醜い刺青(いれずみ)のように、赤黒く、深く沈着している。
監禁が始まった当初、私はまだ「自分」を保っていた。
彼が部活へ向かう一瞬の隙を見て、重い玄関のノブに縋(すが)るように手をかけた。
隣の部屋に聞こえるように、喉が裂けるほどの叫び声を上げようとした。
けれど、そのすべての抵抗を、角名さんは感情の読めない三白眼で見つめ、ただ静かに、冷徹に、より深く、より逃げ場のない場所へと私の身体を追い詰め、自分の「所有物」であることを刻み込み続けた。
「……ねぇ、紬。今日、学校で君の退学届、正式に受理されたよ。……親御さんにも、俺がうまく言っておいたから。……『もう娘とは縁を切る』って、お父さん泣いてたけど。……可哀想に」
深夜、仕事(部活)を終えて帰宅した角名さんが、私の枕元に腰を下ろし、まるでお伽話でも読み聞かせるように、事も無げに告げる。
それが真っ赤な嘘なのか、それとも、彼が裏で手を回して作り上げた残酷な真実なのか。今の私には、それを確かめる術など何一つ残されてはいなかった。
暗闇の中で数日、数週間と過ごし、彼の与える食事だけを摂り、彼の発する言葉だけを唯一の情報源としてきた私の脳にとって。
彼の唇から零れ落ちる不吉な囁きこそが、この世界における唯一の、絶対的な「真実」となっていた。
「っ……、……うそ、だ……。おとうさん、……おかあさん……っ、わたしを、すてるわけ……っ」
「嘘じゃないよ。……君が俺以外の男に視線を向けて、無防備に媚を売るから。……みんな、君の不潔さに愛想を尽かして、君のこと嫌いになっちゃったんだよ。……汚いもんね、今の君。……こんな痕だらけでさ」
角名さんは絶望に震え、涙を流す私を、背後から優しく、けれど骨が軋むほどの力で逃げ場を塞ぐように抱きしめた。
耳元で、甘い毒をたっぷりと含んだ、けれど心地よい子守唄のように響く囁き。
私の心の中に最後の一片だけ残っていた「外の世界」への未練、学校、バレー部、家族、友人……それらすべてが、角名倫太郎という名の巨大で真っ黒な影に、音を立てて塗りつぶされて消えていく。
「……っ、……あ、……あぁ……っ、」
「いいんだよ。……何も怖くない。……世界中が君を拒絶しても、俺だけは、君を捨てない。……俺だけが、君をこうして抱きしめて、生かしてあげる。……ねぇ、紬。……俺に、お礼は?」
角名さんの、長く骨ばった白い指先が、私の喉元をゆっくりと、命を弄ぶようになぞる。
私は、溢れる涙を拭う気力さえ、もはや残っていなかった。
恐怖はいつしか、逃れられない依存という名の安らぎへと変貌していた。
自分を壊し、世界から隔離した張本人であるはずの彼が、今や、この暗闇の中で自分を生かしてくれる唯一の「神」に見えてしまう。
「……角名、さん……っ。……わたし、……もう、どこにもいけない……っ。……どうしたら、いいの……っ」
「何もしなくていいよ。……ただ、ここで俺に飼われて、俺だけを愛して、俺の体温だけを吸ってればいい。……それだけで、君は価値があるんだから。……ほら、言って。……俺がいないと、一秒も生きていけないって。……早く」
彼の指が、私の顎を強引に持ち上げ、虚ろな瞳を自分だけに固定させる。
私は、もはや自分の意志で思考することを放棄した。
彼に縋らなければ、私はこの暗闇の中で、存在そのものが消えてしまう。
「……っ、……すなさん、……あなたが、……あなたがいないと、……わたし、……もう、いきていけない……っ。……ひとり、にしないで……っ」
その言葉が、私の震える唇から零れ落ちた瞬間。
角名さんの瞳に、これまでで最も深く、暗く、そして狂気的なまでに歪んだ「悦び」が宿った。
攻略完了。
彼が長い時間をかけて欲しがっていたのは、私の脆弱な身体だけでなく、その魂の最後の一片、最後のプライドまでを自分に屈服させ、自ら望んで彼の檻に収まることだったのだ。
「……よく言えました。……いい子だね、紬。……ご褒美に、今夜はもっと、君が俺以外を二度と思い出せないくらい、……深く、愛してあげる」
角名さんは、私の瞳を覗き込む。
そこにはもう、かつてバレー部で一生懸命にノートを取っていた、意志の光を宿した「四ノ宮 紬」の面影はどこにもない。
ただ、角名倫太郎という絶対的な飼い主を、虚ろに、けれど狂おしく縋るように映し出すだけの、美しく壊れた「人形」が横たわっているだけだった。
攻略不可だったはずの、あの境界線。
そこは今、完全に角名倫太郎の領土となり、二人は永遠の、誰の声も届かない暗闇の底へと、幸せそうに溶け落ちていった。