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ポタリ、ポタリとイザナくんに付着している赤黒い血が床に滴る音だけが静かな一室に響く。生ぬるい乾いた血液が肌に張り付く感触が気持ち悪い。もうどれくらい時間が経ったかなんて分からない。
数分のような気もするし、数時間のような気もする。
湿っぽい臭いを放っている2人の死体をぼんやりと見つめる。
もう私を抱きしめてくれない両親、話してくれない大好きな人。
胸の中にぽかんと穴が開いているような喪失感に壊れる私と反対に、この世の幸せを全て詰め込んだようなイザナくんの表情に後悔と絶望が胸に詰まる。
「…親も死んだ。」
虚ろ気に俯く私と目線を合わせ、語り掛ける様に淡々と言葉を続けるイザナくんの声色は絶望に染まり切った私には焦点の合わないぼんやりした話し方に聞こえた。
「友達も、オマエの知り合いも、全員。」
普段のイザナくんとは違う、辺りに響くような不気味な雰囲気を放つその言葉に、ギリギリまで保っていた“心”がカタリと固い音をたてて崩れていく。原型を留めないほどボロボロに破壊された“心”の破片が胸に突き刺し私を痛めつける。
「……オマエのせいだろ?」
そんな私に追い打ちをかける様にイザナくんはしらけた笑いを口の上に浮かべ、冷たく、甘く、そして優しく、私をどろどろに溶かすような声色で言葉を零した。
「オマエと関わったせいでみーんな死んだんだよ」
その瞬間、ドクンと鈍器で殴られたような衝撃が走り、口から零れ落ちる小さな息たちがヒューヒューと隙間風のように掠れる。
私のせい
その言葉が耳の奥で木霊していく。
私のせいで亡くなった彼らの感じた痛みや叫び声が脳裏に泡のように浮かび上がってくる。
ただの妄想にしか過ぎないそれは嫌なほど現実味を帯びており、頭から離れてくれない。
やっぱりそうなんだ。私のせいで。
お母さんも。お父さんも。友達も。
みんな私のせいで。
『……ごめん、なさい』
絞り出したように告げた謝罪が頼りなく震える。
その途端、感情の蓋が外れ心の底から湧き出る罪悪感に声を荒げ泣きわめく。これ以上この苦しみが溢れ出さないようにと精一杯堪えても歯の隙間から嗚咽塗れの泣き声がポツリポツリと洩れていき、いつの間にか私の泣き声だけが辺りを満ちた。
血の音も、咽るような鉄の匂いも一瞬のうちにすべて消え去り、吐き出してしまいそうなほどの“心”の傷だけが胸の中で大きく膨らんでいく。
ごめんなさい、ごめんなさい。とうわごとのように繰り返し、小刻みに震える私の体をイザナくんが抱きしめた。今までよりもずっと弱い力で、優しく。
「…泣くなよ。オレはずうっと一緒に居る。オレだけがオマエの味方だ。」
蜜のように甘く、毒のように危険な言葉が虚ろで空っぽになった私の心を満たしていく。
その瞬間、催眠術にかかったように頭がホワホワと自我を失っていき、視界に映るものすべてが幻のように浮かぶ。襲い掛かって来る絶望や恐怖が頂点を越え、もう何が本当なのかも自分の気持ちすらも分からなりただただ耳に流れてくる言葉と抱きしめてくるイザナさんの体温に身を任せる。いっぱいに詰まっていた無駄な感情を押しつぶし、無になる。
『…ぇ』
一瞬、ほんの一瞬だった。
すべての感情を放棄した瞬間、スッと波が引くように苦しみが消えていき、一気に胸が軽くなった。壊れた“心”の傷が癒されたような、薄れたような。
─ほんの少し、救われたような気がした。
「オマエにはオレだけでいいんだよ。」
完全に空っぽになってしまった私の心にイザナくんの甘い声がじんわりと滲んでいき、弱い電気に触れるように心が痺れる。そう自覚した瞬間、イザナくんに触れられている体の外側から触れられていないはずの体の内側、骨の髄までジクジクと痛みに似た幸福が走る。
恐怖とは違う、別の感情が私から段々と抵抗する力を奪い去っていく。
「…大好きだよ○○」
今までずっと不快でしかなかったその言葉に胸が熱くなり、嫌悪しか湧かなかった口づけに甘い何かが弾ける。
『……すき』
イザナくんの言葉を真似し、小さく呟く。
その瞬間、心が暗く空っぽになり、さきほどの幸福感が再び私を優しく締め付ける。
どろどろに壊され、長年探していたパズルの最後のピースを見つけたような気分を最後に私は崩れた 。
『…わたしも大好き』
消え入りそうな声でぽつんと言う。
まさか自分がそんな言葉を彼に告げる日が来るなんて思わなかった。
そんな言葉は震える下唇と共に噛み、零れないようにと体の奥に力一杯押さえつける。
「…ぇ」
そんな心の高ぶりと焦りを押さえきれていない乱れたイザナくんの声が耳を通り抜ける。そして一拍間をおき、嬉しそうなイザナくんの甘い吐息が耳に流れ込んで抱きしめられる力が強められる。ギシギシと鈍い音をたてる骨の痛みに顔を歪ませながら、わたしはこの世の終わりのような喪失感を誤魔化すようにイザナくんを抱きしめ返す。
『好き…好き大好き、イザナくん』
声も表情も、相変わらず虚ろで真っ暗。それでも確かに壊れた“心”は甘く満たされた。
壊れたロボットのように力の抜けていく小さな声で好きだと何度も呟き、縋るようにイザナくんを抱きしめる腕に力を込める。
「…オレも大好き。愛してる。」
優しく私を撫で、そう言葉を紡ぐ彼の姿に酷く安堵する。
親も死んだ、頼れる友達も知り合いももう居ない。そんなボロボロに壊れてしまった私の味方はイザナくんしかいない。そう生気を失ったようにぼんやりと虚ろな考えを作る。
「………やっと堕ちてくれたんな。」
『ぇ?イザナく…』
ぼそりと耳元で呟かれた彼の言葉を聞き返そうと口を開けた私の腹に、刃物で刺されるような鋭い痛みが稲妻の様に走る──いや、実際に刺されたんだ。
自分の腹部に刺さっている細長い包丁と、刺されている部分から波紋のように広がっていく鮮やかな赤い血の色に息が詰まったように立ちすくむ。
腹を刺されたと理解したその瞬間、痛みが脳に追いつき、感じたこともない、下腹部が引き絞られるような痛みに咄嗟に体を前へ傾け、声にもならない叫びを発する。
「なぁ○○。世界で1番愛してるよ。」
ドクンドクンと、心臓が腹に移動したかと思うほど躍動的になる。
イザナくんの言葉も聞こえず、呻くような叫び声をあげ意味もなく本能のまま手足をバタバタと動かしガンガンと永遠に続く地獄のような痛みに耐える私の姿を、イザナくんはうっとりと見下ろすように見つめる。
「…このままオマエを殺したらずっと“好き”のままで保存できるよな。」
ズルリと私の腹部からゆっくり刃を抜き、イザナくんは銀色に光る包丁の刃に付着したわたしの血を舐めると、低く甘い声で私の耳にそう言葉を落とした。
『…は』
困惑の声を洩らした瞬間、ゲホッと咳と共に血を吐く。込み上げてきた血の匂いが鼻に回って苦しい。困惑と恐怖で地獄の釜みたいに頭の中が煮えたぎる。
どうして、なんで。
『イザナく』
腹の激痛に耐えられず、そこまで言葉を紡ぐと一度血を吐いてしまい、訳も分からないまま、突然ばちんと大事な電源が切れ私は完全に意識を手放した。
続きます→♡1000