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「……えーっと……お前、いつ起きたんだ?」
ナオトは苦笑いを浮かべながら、黒い瞳でこちらを見つめる吸血鬼にそう訊《たず》ねた。
「さっきよ、ついさっき。色々あって出遅れちゃったけど、あんたを単独行動させるわけにはいかないって思ったら、いつもより調子が良くなったのよ。まるであんたを早く止めろとでも言っているかのようにね」
彼女はニヤリと笑いながら、彼の頭の上にいる体長十五センチほどの妖精に目をやった。
チエミは彼女の視線に気づくと、彼の髪の中にスッと隠れた。
「さてと……。それじゃあ、さっさと帰るわよ」
彼女が彼に手を伸ばすと、彼はそれを回避《かいひ》した。
「ねえ、ナオト」
「な、なんだ?」
「どうして避《よ》けるの?」
彼女は笑っている。
しかし、その笑顔の裏からは苛立《いらだ》ちや不満が感じられる。
それを本能的に察知したナオトは、奥の手を使うことにした。
「あっ! 『アノマロカリス』が空を飛んでる!」
彼は自《みずか》らの頭上を指差しながら、そう言った。
しかし、そううまくはいかない。
だって相手は、こちらのことをよーく知っている存在なのだから……。
「はぁ……あのね。カンブリア紀最強の捕食動物がこんなところにいるわけないでしょう? もうちょっとマシな嘘《うそ》つきなさいよ」
ミノリ(吸血鬼)はジト目でこちらを哀《あわ》れんでいるように見えた。
そんな彼女に対して、彼はこう言った。
「なあ、ミノリ。行って後悔するのと行かずに後悔するの……お前なら、どっちがいい?」
彼女は真剣な眼差《まなざ》しを自分に向けてきた彼に対して腕を組みながら、こう言った。
「あのね、今はそういう話をしてる場合じゃないのよ。いい? あんたは今、賞金首なのよ? 白昼堂々、胸を張って歩ける状況じゃないってことくらい分かってるわよね?」
「それは……まあ、そうだけど……」
彼は彼女から視線を逸《そ》らした。
正論を突きつけられて、ぐうの音も出ないようだ。
「だーかーら、行くなら全員で行きましょうよ。薬の材料がある『赤き雪原』に着くには、まだかなり時間がかかるから、少し観光でもしていきましょうよ。ね? いい考えでしょう?」
ミノリの不意打ち(爽《さわ》やかスマイル)。
ナオトは一瞬、ドキッとした。
彼は、その笑顔に見覚えがあった。
しかし、思い出せない。まるで誰かに記憶を管理されているように……。
「ナオト……ねえ、ナオトってば!」
「え? あ、ああ、ごめん。何だ?」
「もうー、あんたが急に何も言わなくなったから、少し不安になっちゃったじゃない!」
こちらにグイと顔を近づけるミノリ。
その迫力は思っていたものより、かなりすごかった。
「す、すまない。少しぼーっとしてただけだ。だからさ、そんなに怒らないでくれよー」
彼女はプイとそっぽを向くと、両目を閉じた。
「ふん! ナオトのことなんて、もう知らない! 二度と話しかけないで!!」
あー、これはガチなやつだな……。うーん、いつもなら、ここで俺が折れるところだが今回は少し違うやり方を試してみるか。
ナオトは、そんなことを考えた後《のち》、それを実行した。
「あー、そうか。じゃあ、もういいよ。俺もお前とこういうやり取りするの飽きてきたから……」
「あっ、そう。じゃあ、好きにすれば? まあ、あたしには関係ないけどね」
「あー、はいはい、そうですか。じゃあ、俺はこのまま目的地に向かうけど、お前はどうする?」
「ふん! このあたしがあんたなんかと一緒に行くわけないでしょう? 行くならとっとと行けばいいでしょう?」
「あー、そうかい。じゃあ、遠慮《えんりょ》なく行かせてもらうぞ。後で泣いて謝っても許してやらねえからな」
「ふん! あんたなんかに頭下げるくらいなら、死んだ方がマシよ!」
彼は彼女のその言葉を聞いて、態度を一変させた。
「おい、ミノリ。お前今、なんて言った?」
「はぁ? あんた、もしかして、この距離であたしの声が聞き取れなかったの? はぁ……ついに耳までおかしくな……」
「そんなことはどうでもいいから、さっさと言え!」
彼は彼女が最後まで言い終わる前に、珍しく大声で叫んだ。
彼女は両目を開くと、彼の目を見た。
その時、彼女が目《ま》の当たりにしたのは、歯を食いしばりながらも涙が出るのを堪《こら》えている少年の姿だった。
「え? ちょ、あんた、どうして泣いて……」
「泣いてねえよ! 泣いてなんか……ねえよ」
黒いパーカーの袖《そで》付近で涙を拭《ぬぐ》うナオト。
それを見たミノリ(吸血鬼)は少しだけ動揺《どうよう》していた。
「ね、ねえ、ナオト。いったいどうしたのよ。なんでいきなり……」
「うるさい! お前が俺の嫌いな言葉を言ったからだろうが!!」
「あんたの嫌いな言葉?」
「ああ、そうだよ。お前は無意識のうちに俺の心を傷つけた。だから今度は……俺がお前の心を傷つけてやる!」
彼は目から涙を流しながら、彼女の腹部に拳を入れようとした。
しかし、彼女はそれをくらう前に、彼の拳を掴《つか》んだ。
「落ち着いて! ナオト! あたしがさっき言ったことの中に、あんたにとって嫌いな言葉が混じってたことは分かったけど、それがどんな言葉なのか教えてくれないと謝ろうにも謝れないじゃない!」
「……うるさい……。うるさい、うるさい、うるさい、うるさい! お前に俺の何が分かるっていうんだよ! お前が俺の何を知ってるって言うんだよ!」
彼女はそれを聞くと、無意識のうちに彼の頬を叩いていた。
彼は面《めん》食らった様子で叩かれた方の頬に手を当てた。
「……ナオトのバカッ! そんなことあたしが一番、よく分かってるわよ! あんたのことは書類上でしか知らないし、同棲《どうせい》期間も短いから、知らないことの方が多いのは当たり前じゃない! だけど、あたしは使命を果たすまで死ぬわけにはいかないのよ! それに|モンスターチルドレン《あたしたち》の中にある悍《おぞ》ましい力が消滅するまで、あたしが立ち止まることなんてできないのよ! 分かった? だから、それが済むまで、あたしを……あたしを一人にしないで! お願いだから!」
いつのまにか彼女の瞳から透明な液体が溢《あふ》れ出していた。
どんなに強かろうと、どんなに見た目が幼女だろうと泣く時は泣く……。
怒りや悲しみを痛感《つうかん》した時、人は目が乾燥するのを防ぐためにではなく、無意識のうちにその透明で限りなく無味に近い液体を出す……いや、出してしまう。
それを制御するのは、とても困難であり、例《たと》え制御できるようになったとしても、わざと泣くのと無意識のうちに泣くのとでは大きく違う。
呼吸の乱れ具合や喉《のど》の渇《かわ》き具合が違うのはもちろんだが、本当に泣いている人は心の中に押し留《とど》めていた何かを一気に外へと放出しているような感じになるため、よーく見て、聞いて、触れれば、なんとなくその違いが分かってくる。
「……その……なんというか……ごめん、ミノリ。俺、こんなことになると思ってなくて……」
彼は彼女から目を逸《そ》らした状態でそう言った。
「……それ、どういうこと? というか、ちゃんと私の目を見て言いなさいよ」
彼はチラチラと彼女の目を見ながら、ポツリとこう呟《つぶや》いた。
「じ、実は俺、全然怒ってなんか……ないんだよ」
「え?」
「だ、だから、途中から俺がおかしくなったのは全部、演技なんだよ」
彼は申し訳なさそうに、そう告げた。
彼女は、彼の両頬に手を当てると、不安そうにこう言った。
「それ、本当? 嘘《うそ》じゃない?」
「あ、ああ、本当だ。今回は俺が悪かった。だから許してくれ……なんてことは口が裂《さ》けても言えないけど、俺がお前に悲しい思いをさせたのは事実だ。お前が俺に罰《ばつ》を与えると言うのなら、その時は……」
「もういいわよ、そんなこと……」
彼女は彼が最後まで言うのを遮《さえぎ》った。
「いや、だけど、俺は……」
「あたしがもういいって言ってるんだから、あんたが責任を感じる必要はないわ。それとも何? あたしにいじめてほしいの? 罵《ののし》られたいの? 踏《ふ》まれたいの?」
「いや、俺はそこまで変態じゃないので勘弁してください」
「よろしい。でも、少しくらいはあたしの好きにしてもいいわよね?」
「えーっと、それは具体的にどういう……」
彼が最後まで言い終わる前に、彼女は彼の首筋に噛《か》みついていた。
その前に首筋を舌で舐《な》め、人より少し発達した犬歯《けんし》をそこに突き刺していたことを知っているのは、彼と彼女自身だけである。
「お、おい、ミノリ。さすがにちょっと吸いすぎだぞ」
彼女は彼の言葉に全《まった》く耳を貸《か》していなかった。
今はただ、目的を果たすことだけに集中している。
「あ、あのー、ミノリさん。もうそろそろカップラーメンができるくらい俺の血を吸っていると思うのですが、まだ満足していただけませんか?」
彼は丁寧《ていねい》な口調でそう言ったが、彼女はやめるどころか彼の背中に手を回してきた。
彼はなんとなく彼女の背中に手を回すと、ギュッと抱きしめた。
「えーっと、じゃあ、気が済んだら呼んでください」
「……うん」
彼女はコクリと頷《うなず》くと、彼の血液をじっくり堪能《たんのう》することにした。
*
……それから、三十分後……。
「あ、あのー、ミノリさん。そろそろやめてもらってもいいですか? いくらなんでも吸いすぎですよー」
彼がそう言うと、彼女はやめるどころか、さらに吸引力を上げた。
「いやいやいやいや、もう勘弁してくださいよー。普通の人間なら、とっくに死んで……」
あ、やばい。今になって、めまい……が……。
彼が意識を失った直後、彼女は彼の血を吸うのをやめた。
彼女は彼が意識を失ったのを知らないまま、満足そうな笑みを浮かべており、ついでに舌|舐《な》めずりをしていた。
「……ごちそうさま。こんなにたくさん血を飲んだのは生まれて初めてだったけど、あんたって意外とタフよね……って、あれ? ねえ、ナオト。もしかして、気を失ってたりする?」
彼女は彼の体を揺《ゆ》すったが、彼は目を覚まさなかった。
「た、大変! 一度、アパートに戻らなくちゃ!!」
ミノリ(吸血鬼)は、彼を抱《だ》きかかえると巨大な亀型モンスターと合体しているアパートへと向かい始めた。
「ごめんね、ナオト。なる早《はや》で帰るから、それまで頑張ってね」
ミノリ(吸血鬼)が、ものすごい勢いで飛ぶものだから、彼女の近くを飛んでいた鳥たちのほとんどは吹き飛ばされてしまったという……。
*
その頃……『ラブプリンセス国』では……。
「……はぁ……故郷に着いたのはいいものの……国中モンスターだらけって、どういうことよ」
水色のショートヘアとテニスウェアのような服と水色の瞳が特徴的な『トワイライト・アクセル』さん(『ケンカ戦国チャンピオンシップ』の実況をしていた人)が変わり果てた故郷を目《ま》の当たりにした後に発《はっ》した第一声がそれだった。
「はぁ……こういう時に心強い味方か頼れる人がいれば問題ないんだけどなー」
その時、彼女は思い出した。
『ケンカ戦国チャンピオンシップ』で『神獣世界《モンスターワールド》』の象徴と言っても過言ではない存在『はぐれモンスターチルドレン討伐隊』司令『オメガ・レジェンド』と互角以上に渡り合えた『本田《ほんだ》 直人《なおと》』という人物のことを。
「うーん、でも連絡を取ろうにも、今どこで何をしているのかも分からないし、こんな田舎《いなか》に来てくれるわけないよね……」
彼女は「……はぁ」と溜め息を吐《つ》くと、両頬をパチン! と叩いた。
「よし! それじゃあ、片《かた》っ端《ぱし》からモンスターを倒していくとしますか!」
彼女はそう言うと、国中で暴れているモンスターたちがいる方へと走り始めた。
生まれ育った土地に恩返しをしに行くかのように。