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将臣は医局に着くと軍帽を外し、軍服の上着を脱ぐ。そして白衣を羽織った。
いつもなら一瞬で軍医・安藤将臣の顔に切り替わるはずだった。
だが、白衣のボタンを留めながら、ふと凪が作った滋養粥の味を思い出してしまう。
(鶏の出汁が妙に旨かった。……また食べたい)
凪との何気ない日常を思い返す時間が、明らかに増えていた。
将臣は窓の外の空を見上げた。気持ちいいほど青く澄み切っている。
(今日帰ったら、簪を渡そう)
「私は……いつも間が悪いからな」
自嘲気味に、小さく息を漏らした。白衣の襟を整え、無理やり表情を引き締める。すぐさま、机の上の入院患者の診療録を手に取った。
「安藤軍医」
看護兵が入ってきて、ピンと一礼する。
「院長がお呼びです」
将臣はかすかに眉をひそめた。
「……院長が?」
「お呼びでしょうか」
重い扉を開けると、白髭を蓄えた院長が窓際で腕を組んで立っていた。
「中に入りたまえ」
「失礼します」
バタンと扉が閉まった瞬間、将臣の胃のあたりが一気に重くなった。
「安藤軍医。軍本部から、正式に異動命令が下りた」
「──っ」
将臣は息を飲み、黙り込んだ。
院長は重厚な机の上の書類を手に取り、将臣へ向き直る。
「安藤軍医。十月一日付をもって、司令部勤務を命ずる」
その書面が、将臣の目の前に突き出された。将臣の視線が、紙面に落ちる。手が……動かない。
(ここは軍だ……上層部の命令は、絶対……)
動かない手が、脇で固く握り締められる。
「安藤軍医。君は十分、現場に貢献してくれた。あとは若手に任せて、次は中央で精を出したまえ」
肩をぽんと叩かれた。労いの言葉のはずなのに、その手がやけに重い。
(患者を診られない場所で、何に精を出せというんだ……)
前を見据える眼差しが、すうっと翳っていく。だが、口だけが軍人として勝手に動いた。
「……謹んで、お受けいたします」
手が伸び、ゆっくりと命令書を受け取る。頭を深く下げたとき、自分の手に握られた命令書が目に入った。
無意識の力で、紙面にはすでに痛々しいシワが刻まれていた。
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