テラーノベル
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現代の東京、レコーディングスタジオのソファで、大森は伸びをしていた。隣では若井がスマホでゲームの画面を眺めている。いつもの、平和な午後だった。
「……なんか、空気が変わった?」
大森が呟いた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。色のないノイズが網膜を駆け抜け、強烈な目眩が二人を襲う。若井がスマホを落とし、大森の手を掴んだ時には、もう景色は一変していた。
鼻を突くのは、都会の排気ガスではなく、清冽な風と椿の匂い。
足元はアスファルトではなく、手入れされた苔の庭。
「 ……えっ、ここどこ?」
突然のことにきょとんとしたまま言葉が溢れる。隣では、若井が「は?え?なに?」とでも言いたそうな顔をしている。目の前には、明治の洋館と唐の時代の彫刻が溶け合う、幻想的な建物がそびえ立っていた。
混乱する二人の前へ、音もなく一人の男が立ち塞がった。漆黒の軍服に、腰には不気味なほど冷気を放つ氷の剣。その瞳は凍てつくように冷たく、殺気を放っている。
「誰だ。どこから入った」
男の声を聞いて、若井は凍りついた。自分と同じ声。なのに、醸し出す雰囲気はまるで死神のようだった。
そしてその背後から、優しげな顔をした、もう一人の自分――元貴が歩み寄ってきた。
「ひろぱ、待って!」
元貴が滉斗の腕を掴み、制止する。その瞳には、深い慈愛が宿っていた。
大森と若井は、目の前の「もう一人の自分たち」に圧倒され、言葉を失った。
「……僕、だよね? 滉斗……え、その剣なに?」
大森は、自分の白い手と、元貴の清らかな空気を纏う手を見比べた。若井もまた、滉斗の冷徹な瞳に圧倒され、震えることしかできなかった。
「……不思議なこともあるものだな」
物語の滉斗がゆっくりと氷剣をしまい、懐から翡翠の守り袋を取り出した。
「お前たちが何者であれ、ここは俺たちが命をかけて守り抜いた、平和な場所だ。荒事は御免だ」
その声は先ほどとは違い、温かさを感じる声だった。現実の二人は少しずつ緊張を解いていった。
元貴に優しく、四阿へ座るように促された。
「ふふ、驚かせてごめんなさい。……僕たちと、同じ顔だね」
大森は、その隣に座った。二人の間には言葉では言い表せない親密な空気が流れた。まるで、違う時間を生きる鏡像と対話しているかのような気分だった。
「君たちが……僕らの物語を紡いでくれた、存在なのかな」
元貴が、静かに尋ねた。
大森は少し戸惑ったが、その瞳に宿る深い慈愛を感じ取り、頷いた。
「物語……そうかもしれない。でも、君たちはここで、本当に生きているんだね」
四人は庭園の新しいテーブルを囲み、長い時間をかけて語り合った。
二人が、この国の壮絶な過去と、二人が歩んできた逃避行の苦難を教えてくれた。現実の二人は、胸が熱くなった。
「すごいな……。氷剣術って、本当に氷を操れるのか」
若井が、少し興奮気味に滉斗に尋ねる。滉斗は少し照れくさそうに、指先で小さな氷の結晶を作って見せてくれた。
「……技術は違うが、根底にある『守りたい』という気持ちは、同じかもしれないな」
滉斗が、若井の肩に軽く手を置いた。それは、自分とは別の人生を歩むもう一人の自分への、静かな共感のようだった。
一方、二人の元貴は、技術の術式の違いについて楽しそうに話しをした。
癒やしの力で傷を癒やし、植物を操る元貴の術に、大森は「僕の歌の力にも似ている気がする」と見つめた。
「君のいた世界は、武器や剣がなくても、平和だった?」
「うん。僕たちは歌で、人を癒やしたり、勇気づけたりしてるんだ」
その言葉に、元貴は「素敵だ」と目を輝かせた。
夕暮れが近づき、庭園がオレンジ色に染まり始めた頃。空に再び、あの歪みが生じ始めた。
「……戻る時間みたいだね」
大森は、寂しげに呟く。
若井も、滉斗の手を強く握りしめた。
「俺たちのいた世界の話、面白かった。……お前たちのこの国も、きっともっと素敵な場所になるよ」
「ああ。……短い時間だったが、自分の原点を見たような気がする」
滉斗が、そう言って力強く微笑んだ。
大森は、元貴から、翡翠のペンダントを一つ、手渡された。
「これは、僕たちの絆の証。……別の世界にいても、僕たちは繋がっているよ」
光に包まれ、二人が見えなくなるその瞬間まで、四人は 互いに手を振り続けていた。
眩い光のあと、気づけば二人はレコーディングスタジオのソファに戻っていた。
さっきまでの景色は、まるで長い夢を見ていたかのように思えた。
「……夢、だったのか?」
若井が呆然と呟く。
しかし、大森の胸元には、あの時元貴から受け取った翡翠のペンダントが、静かに輝きを放っていた。
「……夢じゃないよ」
大森はペンダントを握りしめ、優しく微笑んだ。
遠い世界で生きるもう一人の自分が感じた温かさが、確かに胸の中に残っていた。
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