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その日は、最初から少しだけ噛み合っていなかった。
原因があったわけではない。
あるとすれば、そういう日だったというだけだ。
ハリーは朝から忙しかった。
訓練、課題、呼び止められることの連続。せっかく昼過ぎに時間が空いても、今度はロンに捕まり、そのあとハーマイオニーに書類の確認を頼まれた。誰も悪くない。悪くないのだが、気づけば夕方になっていて、ドラコと約束していた時間を少し過ぎていた。
急いで待ち合わせの部屋へ向かうと、ドラコは窓際に立っていた。
外は薄曇りで、部屋の中には灰色の光が落ちている。
ドラコはその中で腕を組み、壁にもたれ、いかにも機嫌が悪そうな顔をしていた。
その顔を見た瞬間、ハリーは胸の奥で「ああ」と思った。
これは面倒なことになる。
「ごめん」
ハリーは素直に言った。
「少し遅れた」
ドラコはすぐには返事をしなかった。
ゆっくりこちらを見て、それからいかにも興味がなさそうに言う。
「別に」
一拍置く。
「忙しい救世主様に時間を割いていただけるだけで光栄だ」
ハリーは眉を寄せた。
「そういう言い方、やめてよ」
「どういう言い方だ」
「分かってるだろ」
ドラコは肩をすくめる。
その仕草がいかにもわざとらしくて、ハリーはじわじわ苛立った。
本当は分かっている。
ドラコが怒っているのは、待たされたからだけじゃない。会いたかったのだ。そのくせ、そうは言えない。だからこういう嫌味になる。
いつもならハリーも流せた。
「ごめん、次は気をつける」で済んだはずだ。
でもその日は、ハリーも少し余裕がなかった。
「会いたかったなら、そう言えばいいだろ」
言った瞬間、空気が変わった。
ドラコの表情が一瞬だけ止まる。
ごく短く、確かに傷ついた顔だった。
でもそれはすぐに消えて、代わりにもっと硬い笑みが浮かぶ。
「……ずいぶん自信満々だな、ポッター」
ハリーは舌打ちしたい気分になった。
「またそうやって」
「そうやって、何だ?」
ドラコは低く言う。
「お前は本当に傲慢だ。少し待たせただけで、こっちがしおらしく会いたがっていたとでも思うのか?」
「ドラコ」
「何だ」
「やめろ」
ハリーの声も冷たくなる。
ここでドラコが引けばよかった。
本当に、ほんの少しだけでも。
でもドラコの悪い癖は、こういう時ほど最悪の形で出る。
傷ついた時ほど、先にひどいことを言ってしまう。
「安心しろ」
ドラコは唇の端を持ち上げた。
「お前がいなくても、僕は退屈しない。誰も彼もお前みたいに、来るか来ないかで気分を振り回されたりはしないからな」
その言い方は、明らかに狙っていた。
ハリーを怒らせるために。
自分が傷ついたことを隠すために。
だからこそ、余計にひどかった。
ハリーはしばらく黙った。
怒鳴る前の沈黙だった。
ドラコも、そこで気づいたはずだった。
今のは越えた、と。
でももう遅い。
「……そう」
ハリーの声は、逆に静かだった。
その静かさに、ドラコの背筋がかすかに冷えた。
「じゃあ別に、僕じゃなくてもいいんだ」
「ポッター、それは」
「君が言ったんだろ」
ハリーはまっすぐドラコを見る。
その緑の目にある怒りは、叫ぶよりずっと怖かった。
「会いたかったわけでもない。待ってたわけでもない。僕がいなくてもどうでもいい」
ハリーは一歩だけ近づく。
「なら最初からそう言えよ。わざわざ嫌味で試すな」
ドラコの喉が詰まる。
違う。
そうじゃない。
言いたいことは別にある。
でも、ここで素直になるにはもう遅すぎた。自分で壊した空気を、自分のほうから直せない。
「僕は」
ハリーは低く言う。
「君のそういうところ、本当に嫌いだ」
その一言で、ドラコの中の何かが落ちた。
嫌い。
昔なら、何度も向けられてきた言葉だ。
でも今のそれは昔と違う。軽口でも反発でもなく、本当に心底うんざりした人間の声だった。
「ハリー」
ようやく名前を呼んだ時には、もう手遅れだった。
ハリーは首を振る。
「今は話したくない」
それだけ言って、振り返る。
ドラコはとっさに腕を伸ばしかけて、でも触れられなかった。
今の自分に、その資格がある気がしなかった。
扉が閉まる音がした。
部屋に残ったのは、灰色の光と、言い損ねた言葉だけだった。
⸻
その日の夜、ドラコは一睡もできなかった。
最低だ、と思った。
何度も思った。
嫌になるほど思った。
ハリーは遅れただけだ。ちゃんと来た。ちゃんと謝った。なのに自分は、待っていて、会いたかったくせに、それを言えずに嫌味へ変えて、最後にはどうでもいいみたいな顔までした。
何を守ったつもりなのか、自分でも分からない。
矜持?
体面?
傷ついたと悟られたくない幼稚な意地?
そんなもののために、ハリーの顔をあんなふうに曇らせた。
ベッドに横になっても、目を閉じるたび浮かぶのは最後のハリーの顔だった。
怒っていた。
でもそれだけじゃない。
本当に疲れたような、がっかりしたような顔だった。
あれが一番きつかった。
腹を立てられるのはまだいい。
でも、呆れられるのは駄目だ。見限られそうな気配には、昔から耐性がない。
ドラコは何度も起き上がっては座り直し、また横になり、結局夜明け前には完全に諦めて窓辺に座っていた。
謝らなければと思った。
今度こそちゃんと。
嫌味もごまかしも使わずに。
けれど朝になっても、文章の一つもまともに思いつかなかった。
「昨日は悪かった」
違う。軽すぎる。
「待っていた」
もっと違う。死んでも書けない。
「君に会いたかった」
論外だ。書いた瞬間に自分で燃やす。
結局、何も送れないまま午前が過ぎた。
その間、ハリーからも何も来なかった。
当然だ。
当然なのに、胸の奥が少しずつ冷えていく。
あんな顔をさせたのだ。しばらく放っておかれても文句は言えない。むしろ当然の報いだ。
それでも、期待してしまう自分がまだいた。
昼過ぎ、ドラコは中庭を歩いていた。
考えをまとめたかったし、何もしないまま部屋にいると余計な想像ばかり膨らむからだ。
そこで、見てしまった。
向こうの回廊の下。
陽の当たる石のベンチの近くに、ハリーがいた。
そしてその隣には、ジニー・ウィーズリーがいた。
最初はただ、それだけだった。
元恋人同士だ。
話していても不自然ではない。
ハリーが誰と話そうが自由だ。そんなことは分かっている。
でも次の瞬間、ハリーが笑った。
あの、少しだけ目尻が下がる笑い方。
ドラコが好きになってしまった顔。
ジニーも笑って、ハリーの腕に軽く触れる。
ハリーはそれを避けない。むしろ少しだけ身を寄せたようにさえ見えた。
ドラコの足が止まる。
胸の奥で嫌な音がした。
まだ十分に息を吸えていないみたいな、浅く冷たい苦しさ。
見てはいけない。
そう思った。
でも、目が逸らせない。
ハリーが何か言う。
ジニーが笑って肩を叩く。
そのあと、ハリーがベンチの背に腕をかけ、ジニーのほうへ顔を近づける。
本当に触れたのかまでは、遠くて分からなかった。
分からなかったが、そんなことはもうどうでもよかった。
必要なのは、あれが見せつけられているのだと気づくことだけだった。
タイミングがよすぎる。
場所も角度も、あまりにも。
中庭へ出ればここから見えると、ハリーは知っている。知っていて、やっている。
ドラコはその場でようやく理解した。
怒っているのだ。
昨日の自分に。
ひどいことを言われて、本気で傷ついて、だからこれをやっている。
そう思った瞬間、別の痛みが来た。
ハリーは、自分を傷つけるやり方まで知っていた。
それが、どうしようもなく苦しかった。
ドラコは踵を返した。
これ以上見ていたら、その場で何か壊れる気がした。
歩く。
速く。
誰にも顔を見られたくなかった。
廊下の角を曲がり、人気のない階段まで来たところで、ようやく壁に手をつく。指先が冷たい。呼吸が浅い。うまく吸えない。
「……当然だ」
自分に言い聞かせる。
当然だ。
あれだけのことを言った。
ハリーが怒るのも、突き放すのも当然だ。
ジニーと笑うくらい何だ。
あんなのは、ただの会話かもしれない。わざと見せつけたのだとしても、自分には責める資格なんてない。
分かっている。
分かっているのに、胸が痛い。
ハリーが他の誰かに向ける柔らかい顔。
かつて自分にはなかった時間を共有してきた相手との自然な距離。
それを今、こうして見せられると、自分の立っている場所が急に不安定になる。
もともと自分のものだったわけじゃない。
それなのに、“取られる”みたいな感覚がくるのが惨めだった。
ドラコは目を閉じる。
謝らなければ。
ちゃんと。
今度こそ、本当に。
そう思う。
でも同時に、ハリーがあのままジニーの方へ戻ってしまうかもしれない想像が、頭の奥にへばりついて離れない。
自分で壊したくせに。
自分で試して、傷つけて、突き放したくせに。
いざ相手が離れそうになると、こんなにも怖い。
「最低だ……」
誰に向けた言葉か分からない。
自分に決まっていた。
その日の夕方、ドラコはついにハリーの姿をまともに見られなかった。
廊下の向こうに緑の目を見つけた瞬間、反射的に道を変えてしまう。謝りたいのに。話したいのに。いざ顔を合わせると、あの中庭の光景がよみがえって足が止まる。
一方で、ハリーもまた平気ではなかった。
ジニーと笑いながら話していた時、胸の奥ではずっと冷たいものが残っていた。
ジニーは途中でそれに気づいたらしく、「ハリー、あんた全然笑ってないよ」と半ば呆れたように言った。
それでもハリーはやめなかった。
やめられなかった。
ドラコに傷つけられた。
本当に。
あんなふうに、どうでもいいみたいな言い方をされて、怒っているだけじゃ済まなかった。
だから見せつけた。
君だって痛いだろ、と思いながら。
その醜さを、ハリー自身も分かっていた。
でも、中庭の端でドラコが立ち止まり、それから顔を背けて去っていくのが見えた時、胸の奥がひどく沈んだ。
勝った気なんて、少しもしなかった。
ただ、やってしまった、と思った。
あんな顔をさせたかったわけじゃない。
いや、させたかったのかもしれない。
でも本当に目にしてしまうと、思っていた以上にきつかった。
その夜、二人は互いに相手のことばかり考えていたのに、一言も交わさなかった。
ドラコは自分の最悪さを反芻していた。
ハリーは自分の幼稚さに嫌気が差していた。
どちらも謝りたい気持ちはあった。けれど、まだ痛みのほうが勝っていて、素直に動けるところまで行けなかった。
だからただ、それぞれの部屋で眠れない夜を過ごした。
ドラコは、ハリーがジニーに向けたあの笑顔を思い出していた。
ハリーは、ドラコが昨日言った「お前がいなくても退屈しない」という言葉を、何度も何度も腹の底で反芻していた。
どちらも、自分のほうが悪いと分かっている。
それでも、傷ついた事実は消えない。
そして、その消えない傷を抱えたまま、次に何を言うかをまだ誰も決められずにいた。