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あれは結納の日。
姉が成人式に着た、継母が生家から持ってきた美しい振り袖。それを継母と血の繋がりのない愛人の娘の分際で袖を通し、麗は微笑みすら浮かべ顔を上げていた。
これは、実質身売りだった。
相手は下劣な手段で財を成したと噂に聞く棚橋という高齢男性で、危機的状況に陥った家業、佐橋児童衣料に援助をもらうために必要なことだ。
今隣で目も合わせない佐橋児童衣料の社長である父は小物だ。
相次ぐ経営の失敗に、馬鹿なスキャンダル、そのくせ優秀すぎるほどに優秀な後継ぎである姉に嫉妬して会社から追い出し、あの姉が跡継ぎだからと我慢してくれていた投資家からも見放され、会社は最早風前の灯だ。
それで、そうだ、娘を金持ちと結婚させよう! と、京都に行く感覚で自社株とセットで売り払おうとしているのが現状だった。
最初は美人で賢く血筋も良い姉に来た話だったが、いつも気丈な愛しい姉が見せたかすかな怯えを麗が見逃すわけがなかった。
だから、自分から棚橋に近づいて精一杯誘惑した。ない胸をむりやり寄せて盛って、真っ赤な口紅を塗って、棚森さんのこと、わたしとっても素敵だと思っています。婚約者を私に変更してください、と甘えて縋った。
だが、慣れないことはするものではない。
必死でした下手な誘惑は、嘲笑われただけだった。
相手は姉のような絶世の美女を狙っているのだ。麗ごときではやはり姉の身代わりにはなれないのだと絶望した、そのとき。
こんなつまらない手でどうにかできると思うとはお前、処女か? とからかわれたのだ。
麗は否定しなかった。
父のせいで男性不信気味の麗はそもそも誰かと恋愛しようという意思が薄弱なのだ。
だが、かえってそれがよかったらしい。
二十代のバージンを妻にできれば自慢になると手を叩いて喜ばれた。
結局のところ、あの美貌でたくさんの男たちに持て囃され、傅かれている姉を相手にすることに棚橋が怖気づいたのだと思わなくはなかったが、もちろん口には出していない。
これもそれも愛しい姉を守るため。姉のためなら麗はどんなに怖気の走る気色悪い爺さんとだって喜んで結婚できるのだ。何なら介護もちゃんとする。
この結婚から逃げるため、単身アメリカに行った、姉。
英語どころか、色々な言語を話せるからきっと大丈夫だろうが、家事だけは苦手なのだ。
本当は、今すぐアメリカに行って掃除と料理をしてあげたい。
だけどこれが麗が姉のためにできる最も大きなことなのだ。姉のためなら、自分の気持ちも、体もどうでもいい。
「失礼します。お連れ様がおつきになられました」
ふすまの向こうから女将が声を掛けてくる。
麗ごときがトロフィーになるかはさておき、トロフィーワイフはトロフィーワイフなのだ。棚橋の機嫌を損ねるわけにはいかない。
緊張してしまっていたのだろう、噛んでいたことに気付き、麗は唇を緩め、覚悟を決めて微笑んだ。
そうして女将の後ろに見えたのは……。
海外モデルと並んでも押し負けないスラリと高い背に、力強い目が印象的な、棚橋とは比べ物にもならない美丈夫。
「アキ兄ちゃんっ⁉⁉⁉」