久し振りにやって来たハーロルトがひまわりとリオンに良く似たノア・クルーガーとの邂逅の情報を運んで来た事で、仕事で感じる焦燥感とは全く違うそれをこの数日覚えていたウーヴェは、あの後一人きりの時に集めた情報をメモに書き出していたが、それも焦燥感を増幅させていることに気付き、万年筆を訂正だらけのメモ帳の上に投げ出す。
デスクの椅子を回転させて二重窓へと身体を向けて伸びをし新鮮な空気を身体全体に取り込んで深呼吸をしたウーヴェは、あの日ランチ帰りに見かけた後ろ姿と先程己が映るかもしれないから録画しておいてくれと電話をかけて来た無邪気な――と好意的に評されるが実際は邪気だらけ――の笑顔を思い出し、確かに驚くほど似ていると頬杖を着く。
ウーヴェ自身は実父であるギュンター・ノルベルトの若い頃とよく似ていると祖父母のようなヘクターとハンナに涙交じりに称されたことがあったが、それは、ギュンター・ノルベルトがウーヴェの実父だという事実を彼女達が知っているからであり、姉のアリーセ・エリザベスとはイングリッドというフィルターを周囲が勝手に掛けた結果、三人とも母親似だという評価がついて回っているだけだった。
今日も隙間時間にネットの海で探した己の伴侶にそっくり-まるでリオンを数年若返らせたのかと思う程似ていた-の彼の情報とそれに付随していた写真を思い出し、初めて出会った頃のリオンの横顔を思い出して脳内で二枚の写真を並べてしまうが、何故か分からないが他人の空似という言葉で済ませる事が出来ないと強く感じてしまっていた。
精読した訳ではないがノア・クルーガーの両親が女優とフォトグラファーとして売れ出す前にこの街で短期間暮らしていた事、その時小さな教会の世話になっていたという一文をどこかのインタビュー記事で見かけ、それがウーヴェの思考をある方向へと強力な磁石のように引っ張っていたのだ。
もし、もしも若かりし頃の二人が世話になった小さな教会がリオンが捨てられていた――ああ、何と嫌な言葉だろう――あの聖母教会だとすればと考えても仕方のないことを考え、検索結果に表示されたノアと両親の写真や記事から読み取った横顔が、彼とリオンの良く似た容貌というよりは全身から発せられる雰囲気が、考えても仕方の無いもしもの先を考えさせてしまうのだ。
雰囲気も容貌も酷似しているノア・クルーガーが、リオンと血の繋がりのある兄弟ならば、と。
想像を飛躍させすぎている自覚を溜息で吐き出し、リオンに頼まれていた録画をしないといけない事を今更ながらに思い出して再度溜息を零しながら立ち上がったウーヴェは、ステッキを頼りに帰り支度を始めるが、何気なくテレビのスイッチをつけてすでに前夜祭の会場らしき場所が映し出されていることから自宅での録画に間に合わないことに気付くと、お祭りムードで盛り上がっている雰囲気をテレビ越しに伝えてくれる放送の録画を開始し、患者が座るソファの肘置きに腰を下ろして見入ってしまう。
ヨーロッパを中心に活動している俳優や女優、監督などの映画に携わる人々らがこの街で開催される年に一度のお祭り騒ぎに参加する為、いつも以上に着飾っていたりいつもと変わらないスタンスである事を伝えるかのように普段着に少しだけ飾りをつけた衣装でテレビの中に溢れかえっていた。
そんな中、見慣れた背中をカメラが一瞬映したかと思うと画面がクローズアップされ、そこに和やかな顔で友人だと思われる著名人と談笑している両親とその隣で同じように笑っている兄の顔を見出したウーヴェは、母の少し後ろにいるリオンも発見して録画が間に合って良かったと胸を撫で下ろすが、リオンの蒼い目がカメラを捉えたのか一瞬だけテレビ越しに目が合う。
「……」
テレビに映し出されている顔は結婚してからは見ることのなくなった刑事の頃を彷彿とさせる顔で、やはり彼には刑事という職業が相応しく、己を支えるために転職させたことは間違いでは無かったのかという後ろ向きの疑問が芽生えてくる。
だが、そんな内なる声を聞き入れてしまうと連鎖反応的に全ての過去を思い出しそうで独りでそれを乗り越える自信がまだ無かったウーヴェは、彼が望んだ事であり己も納得した事なのだからもうそのことについては考えないでおこう、考えるのならばリオンが側にいるときだけにしようと強く呟き、画面越しの逢瀬に物足りなさを感じて何度目かの吐息を零す。
家族がいた場所とは違う場所が今度は映し出され、芸能関係に疎いウーヴェでさえも知っている俳優や女優らが談笑している姿、楽しそうに仲間と一緒に騒いでいる姿などがカメラの前を右から左へと横切って行く。
前夜祭の空気が十分に伝わるテレビに微苦笑したウーヴェだったが、両親がいる特設の檀上に上る為のレッドカーペット上でインタビューを終えたばかりの女優が初夏にふさわしい色合いのドレスの裾を踏まないように手で軽く持ち、隣を歩くタキシード姿の男の腕に腕を回した時、テレビのカメラが切り替わって彼女の経歴や今回ノミネートされた映画についての簡単な紹介が聞こえてくる。
『ハイディ・クルーガーのインタビューは後程じっくりとお聞きいただくとして、やはりパートナーとの仲の良さは有名で今日も一緒でしたね』
『それはそうでしょうねぇ。先程彼女の息子のノア・クルーガーが映ってましたね』
『側にいたのはバルツァーの社長だと思いましたが、仕事を一緒にしたのでしょうか』
ハイディ・クルーガーとその配偶者のヴィルヘルム・クルーガーの夫婦仲の良さは芸能界でも有名で、最近ではフォトグラファーとして名が売れ出している二人の息子もやはり母親のノミネートが嬉しいのか同じ会場にいたとコメンテーターが、クルーガー一家の仲の良さは微笑ましいが良すぎではないかと少しだけ皮肉を込めた言葉で同意を求めるが、その言葉への同意は半分程度で、仲が良いことは悪い事ではないと苦笑する人もいた。
そんなテレビの中の人間関係を垣間見ながらぼんやりと右隅に小さく映し出されている特設会場の様子を見ていたウーヴェは、ハイディ・クルーガーと並べられた男性の写真パネルを何気なく見るが、それが先日新聞の紙面で見たヴィルヘルム・クルーガーだと知り、紙面を見た時と同じ感想を抱いてしまう。
初めて見た人だが何故かホッとするような気持ちになり、何故そんな事を感じるのかと首を傾げるが、家族写真が映し出された時、さっきは先走り過ぎだと自制した仮説が脳裏でより大きな声を上げてしまう。
その家族写真はここ数年のうちに撮影されたものらしく、ハイディ・クルーガーの嬉しそうなキスを頬に受けつつ若干照れた顔で笑っているのは彼女の息子のノアで、二人の背後にある鏡には撮影をしているヴィルヘルム・クルーガーがカメラを構える姿も一緒に映っていて、間接的に家族写真になっているそれを彼女らと一緒に仕事をした事のあるタレントか誰かが解説をしていた。
その写真のノアをリオンと置き換えたとしてどれほどの違和感があるだろうかと、こんなありえない事を想像させてしまう程リオンとノアは似ていたし、それ以上にヴィルヘルム・クルーガーとリオンの雰囲気がそっくりだった。
それは、兄の容姿を時を経てウーヴェが追いかけるように似てきている事と同じような印象を抱かせる相似具合だった。
家族仲が良い証拠の写真を眺めて画面中央に再び映し出された特設会場の様子に再度リオンが映り込まないかと身を乗り出したとき、一瞬では何の音か判断できない乾いた音と、聞き取りにくいが名前のようなものを叫ぶ男の声が、人々の楽しそうな喧噪を突き抜けて響き渡った。
「?」
テレビ越しでは何の音かも分からない二つのそれだったが、画面の奥で夏色のドレスが似合っているハイディ・クルーガーが糸が切れたマリオネットのようにレッドカーペットの上に倒れ、その横で彼女をエスコートしていた夫のヴィルヘルム・クルーガーが事態を理解出来ない顔で鮮血を撒き散らしながら足下に横たわった妻を見下ろしていた。
「!?」
テレビで中継されている最中のその光景に誰しもが一瞬言葉を失うが、女性の甲高い悲鳴を切っ掛けに彼方此方から悲鳴が上がり、警備をしていた警察の声、犯人を取り押さえろの声が重なり合い、一種のパニック状態に陥ってしまう。
『こ、これは……! 一体何があったのでしょうか!?』
スタジオで中継の画面を見てコメントをしていたキャスターやゲストらが不安そうに顔を見合わせてそれでも沈黙してはいけない事から何か言葉を発しようとするが、中継されている現場が祭りどころの騒ぎでは無い事に出演者の顔が蒼白になる。
番組のスタッフも混乱しているのか画面を切り替えることも出来ずにインタビューを終えた直後の惨劇を一部始終放送してしまい、現場から伝えられるそれに絶句してしまっていた。
それはテレビ越しに事件の目撃者となってしまった視聴者も同じで、ウーヴェも身を乗り出したままの姿勢で身動きできなくなってしまっていた。
テレビの中から流される惨劇の現場となってしまった特設会場の混乱ぶりを眼鏡の下で目を瞠って見ていたが、人々が我先にと会場を後にしようとして警察の指示を無視して動き出そうとした直後、再度乾いた音が響き渡る。
その音に反応するようにカメラが左右に激しく動き、両手を挙げて立ち上がる一人の男の姿を画面中央で捉えた瞬間、ウーヴェが足を引きずってテレビにしがみつくように画面に顔を寄せる。
「リオン!?」
皆が頭を抱えてその場に身を伏せる中、二度目の発砲をする意思はない事を伝えるかのように指に拳銃をぶら下げるような形で銃口を己に向けつつ両手を高く上げ、ジャケットを脱いだ姿で抵抗しません、これで静かになったでしょうと不敵な笑みを浮かべたのは、つい先ほど画面越しの逢瀬を済ませたリオンだった。
「何をしているんだ!」
狙撃態勢に入っている警官が何かのきっかけに引き金を引けば撃たれてしまうんだぞとウーヴェが蒼白な顔で怒鳴った言葉が画面の奥からも聞こえ、そちらを見ると父が同じように蒼白な顔でリオンを怒鳴りつけていて、その横では母と兄が互いを支えるように腕を回している事を確認したウーヴェは、デスクに置きっ放しのスマホを取るためにテレビから離れ、最近連絡を取ることの多くなった兄の秘書に電話を掛ける。
「……ヘクター? 大変なことになった」
『ウーヴェ様も見てらっしゃいましたか? ……ギュンターに連絡を取ってみます』
「ああ、お願いする。俺もリオンに連絡をするが……」
テレビの中で立ち尽くしているリオンの傍に見知った顔を発見し、ヒンケルとコニーもいる事から拳銃を持っていることによって犯人と間違われて射殺される事態は避けられた事に胸を撫で下ろすが、ホルスターに銃を戻して何事も無かった顔で両親や兄の前に戻って行く背中を見守っていたウーヴェは、母が蒼白な顔のままリオンの頭を胸に抱え込むように抱きしめるのを見、己が幼い頃にベルトランと一緒に危険な遊びをしたときに同じような顔で抱きしめられたことを思い出すが、その後にいつも優しい母とは思えない程厳しく叱られたことも思い出し、画面の中で同じ事が起きていないかと冷や汗を浮かべるが、画面はリポーターが現場の様子をスタジオに報告している様子に切り替わっていて、リオンの様子は映し出されていなかった。
リオンに電話を掛けても当然ながら虚しくコールが鳴るだけで溜息混じりにスマホをデスクに置くと同時に通話を終えたばかりのヘクターからの着信があり、耳に宛がいつつデスクの上に散乱している書類を重ねていく。
『これから向かいます。ウーヴェ様はどうされますか?』
「……乗せて貰えるか?」
『三十分ほどでそちらに向かいます』
到着前に連絡を入れると教えられて頷いたウーヴェは混乱している会場に着いたとしても部外者の自分達が入れるのだろうかの危惧を覚えるが、その時はきっと優秀な秘書のヘクターが何とかしてくれるだろうとその不安を押しやり、万が一医師として何か手伝うことがあるかも知れないとも思いつつ混乱を来している現場から必死にリポートをする声をBGMにクリニックを閉めて現場に向かう準備に取りかかるのだった。
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