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「――人の顔を削ぐのは“人間”じゃねぇよ」
監視官の口から放たれたその一言が、朝の雑踏の中でもなお
耳奥で反芻されていた。
身震いするような嫌悪感と、得体の知れぬ恐怖。
事件は確かに現実に起こっている。
それでも尚、あれは本当に“現実”なのか、と
疑いたくなるほど歪んでいる。
陽が昇ると共に、捜査本部は動き出した。
警視庁から派遣された刑事たちが八王子市内とその周辺、
さらに被害者たちの地元を縦横無尽に駆け巡る。
「……それで、“顔が映ってなかった”って
どういうことなんですか」
若い刑事――矢代洸一(やしろ こういち)が、
苛立ち混じりに呟いた。
刑事歴八年、三十を迎えたばかり。
所轄では通用する機転も、今回の事件ではまるで歯が立たない。
「言葉のまんまだ、映ってねぇ。
人間の輪郭はあるのに、顔の部分だけが“無かった”」
そう答えたのは、矢代と初めてコンビを組むことになった
叩き上げの刑事――志摩重蔵(しま じゅうぞう)、六十二歳。
元捜査一課の腕利きで、やくざ絡みの事件にも精通し、
裏社会に顔が利く人物だ。
「そんな馬鹿な……。映像がバグったとか、
そういうことじゃなくて?」
「なら何度も確認しねぇ。捜査本部の技術屋も手を上げた。
編集も加工も無し、記録媒体自体に異常は無い。
だが、映ってるそいつは顔が“削れてる”。“最初から”な」
信じがたい事実を前に、矢代は眉間に深い皺を寄せた。
焦りは募る。
被害者二名はすでに無惨な遺体となって発見され、
世間は騒然としている。
SNS上では“顔削ぎ事件”として憶測と怪談めいた噂が飛び交い、
視聴者の恐怖心を煽り続けている。
だが、事件そのものは一歩も進展していなかった。
「俺たちにできるのは、足で稼ぐことだけだ。
噂話でもいい、細い糸でもいい……それを手繰るしかねぇ」
志摩はそう言い残し、八王子の町並みに消えた。
聞き込みは難航した。
事件現場周辺では「夜中に奇妙な音を聞いた」という証言が
ちらほら得られるが、具体的な姿を目撃した者はいない。
近隣の住民は怯え、口を閉ざす者も少なくない。
遺体となったユーチューバーたちの地元にも捜査は及んだが、
彼らは動画配信以外ではごく普通の若者だった
という証言ばかりが積み重なる。
「こっちは駄目だな。こいつらの交友関係も洗ったが、
何も出ちゃこねぇ」
「こちらも同じです。まるで“最初から何もない”みたいに」
矢代は拳を握り締め、溜息を吐く。
時間ばかりが無情に過ぎていく。
三日目の朝、事態は再び急転する。
顔を削がれた遺体が、新たに発見されたのだ。
現場は――またしても心霊スポットだった。
「……またか」
志摩が低く呟く。
駆け付けた現場は、薄暗い林道の奥、人気の無い小さな祠。
その祠の前に、顔を無惨に削がれた男性の遺体が横たわっていた。
「被害者は、失踪していた大学生の一人。
肝試しに来て、そのまま行方不明になってたって話だ」
鑑識から報告がもたらされる。
「顔面部、皮膚が鋭利な刃物で剥がされたような痕跡。
ただし、切断面が異常に滑らかで通常の工具では説明がつかない。
爪の間からは血液と共に皮膚片が詰まっていたことから、
被害者は顔を削がれる際に必死に抵抗したものと推測」
「……それだけじゃねぇだろ」
志摩が更なる報告を促すように顎をしゃくる。
「はい。被害者の頸部には皮膚を掻き毟ったような
ただれた傷跡が確認されました。
また、身体の一部に絞殺痕と見られる痣のようなものがありましたが
これは外傷性でも内傷性でもなく、
皮膚表面に浮かび上がるような痣でした」
矢代は息を呑んだ。
「まるで、触れられただけで“焼き付けられた”みたいな跡……か」
「そうだ。だが、どんな器具や薬品を使っても再現できねぇと
技術班が首を捻ってる」
この三日間、手掛かりを求め奔走した刑事たち。
しかし、得られたのは更なる謎と、増え続ける犠牲者だけだった。
SNSでは早くも“黒の手帳”との関連を指摘する声が上がり始めていた。
『また八王子の心霊スポットで事件。例の手帳が関係してるってマジ?』
『削がれた顔、掻き毟った傷跡……これ呪いだろ』
『YouTuberの件から明らかにおかしい』
憶測、嘲笑、怯え、狂騒。
だが、そのどれもが、真実の輪郭を捉えてはいなかった。
「志摩さん……これ、本当に人間の仕業なんでしょうか」
「“まだ”そう決めつけるわけにはいかねぇよ。
だがな、洸一。ひとつ言えることがある」
志摩は煙草を咥え、火を点けた。
ゆっくりと肺に煙を送り込み、そして静かに吐き出す。
「“これは、ただの殺人事件じゃねぇ”。その証拠が、目の前に転がってる」
沈黙が二人を包む。
焦り、不安、苛立ち
――すべてを抱え込んだまま、時は進み続けていた。
(→ 後編へ続く)