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鏡の前で服装チェックを終えたのだろう。
壁伝いにノロノロと帰ってきた羽理は、仕事に行くわけではないのに薄化粧をしていて、家にいる姿とは対照的な綺麗系の服を着こなしていた。
「なぁ、羽理。別にお前は休みなんだし……いつもみたいに猫三昧な家着でもいいんだぞ?」
黒のフィッシュテールスカートに白レースのベルスリーブブラウスを合わせて、寒かったら羽織ると言って、ベージュのゆったり系長袖カーディガンをまで用意している羽理は、どこからどう見ても女子力高い系乙女だ。
あまりの可愛さに、大葉がつい照れ隠しもあって揶揄ったら、羽理がぷぅっと頬を膨らませた。
「けどっ、柚子さんがいらっしゃいます! 大葉のお身内の方相手に、気なんて抜けませんよぅ!」
何だか嫁になることを自覚しているかのような物言いに、大葉はますます照れ臭さが募ってしまう。
それに――。
下手に身綺麗にされると、ライバルが増殖しそうで気が気じゃないのだと察して欲しい。
世の中には、別に巨乳じゃなくても構わないという男だって結構沢山いるのだから。
「バーカ。今更だろ」
羽理は昨夜、柚子にもノーパン&ノーブラにブランケットを被ると言うとんでもない格好を披露しているのだ。
羽理の荷物の上へ乗っけられたひざ掛けにちらりと視線を投げ掛けて、わざとククッと声を出して笑ったら、怒った羽理に「大葉の意地悪!」と胸をトン!と叩かれた。
そうしておいて、急な動きに耐えかねたみたいに「はぅっ」と唸って羽理がうずくまるから。
大葉は(俺はそこまでお前にダメージを負わせる抱き方をしたか!?)とソワソワさせられた。
だが、理由が理由だけに何だか恥ずかしくて、『大丈夫か?』と声を掛けることすら出来なくて、その代わりと言うか何というか。
「ま、正直お前はどんな格好してても最高に可愛いから心配するな」
罪滅ぼしも兼ねてこぼした本音は、羽理の体調を気遣う言葉よりも遥かに恥ずかしいもので――。
羽理が真っ赤になってうつむいたのを見て、大葉も急に決まりが悪くなってそっぽを向いた。
***
「じゃあ、行ってくるからな」
大葉のマンション玄関先で、キュウリみたいに愛らしい黒目がちの目でこちらを見上げる羽理の頭を、半ば吸い寄せられるようにヨシヨシと撫でたら「わ、私、犬じゃありません!」と跳ねのけられてしまった。
そのはずみ、どこかが痛んだのか、「はぅっ」と悲鳴を上げて壁に寄り掛かる羽理を見詰めつつ……。
(な、何で犬だと思ったのがバレたんだ!?)
なんて思った大葉だったけれど、そういう、自分からは寄ってくるくせに、こちらから触れると威嚇してくる猫みたいなところも可愛いぞ?と思って思わず口元がにやけそうになる。
(俺も相当重症だな)
それを堪えながら「なるべく早く帰って来る」と付け加えたら、羽理が壁に手をついてそろそろと身体を起こしながら「お、お腹を空かせて待ってます……」と、さも待っているのは夕飯だと言わんばかりに答えてきて、大葉は(照れ隠しだろうか?)と思ってしまう。
そんなところも何だか愛しくて……「ああ、期待して待ってろ」と、つい声を弾ませてしまったのだけれど。
途端、羽理の背後でキュウリを抱いて立っていた姉の柚子が、「はぁぁぁぁー」とあからさまに大きな溜め息を落とした。
「ちょっとちょっとぉー。私とキュウリちゃんってば、朝から何のメロドラマを見せられてるのかしらね!?」
「う、うっせぇ!」
柚子の指摘に、真っ赤になってうつむいた羽理を守るみたいにギュッと腕の中に閉じ込めたら、急に抱き寄せられて足だか腰だかが痛かったんだろう。羽理が「にぎゃっ」とうめいた。
それを「すまん」となだめつつも、大葉は懸命に姉を牽制した。
だがそうしながらふと見詰めた先――。
柚子の腕の中でこちらを見上げてくるキュウリのつぶらな瞳にウッと心臓を撃ち抜かれて、(いや、ウリちゃん。パパはウリちゃんのことも愛してまちゅよ?)とか何とか愛犬への後ろめたさが後押しをしてしまう。
結果、ふと気が付けば、自分がいま満身創痍の羽理を腕の中に抱いていることも……。
もっと言えば頭を撫でながら声掛けした愛犬自身も柚子の腕の中だと言うことさえも、すっかり失念して、
「ウリちゃんもいい子にしてて下ちゃいね? パパ、行って来まちゅよ?」
大葉はいつも通り、幼児語でキュウリに語り掛けてしまっていた。
「わぁー、たいちゃん!」
「大葉……?」
二人から同時に呼び掛けられて、そのことにハッと気が付いたけれど後の祭り。
「お、俺がっ。可愛い愛犬にどんな感じで声掛けようと……二人には関係ねぇだろっ」
照れ隠しでしどろもどろ。つっけんどんに言い放ったら、「まぁ……百歩譲って私は構わないとしても……その呼び方。羽理ちゃんは照れちゃうだろうし関係ないとは言い切れないわよねぇ?」と、柚子が大葉の腕の中に閉じ込められたままの羽理を見詰めてニヤリとする。
その言葉に、大葉は慌てて腕の力を緩めると、落ち着かない気持ちで羽理を見下ろした。
「あ、あのな……羽理っ。こ、これは……お前と出会う前からずっと、な呼び方なわけで……その……今更変えろと言われても……えっと一朝一夕には無理と言うか……」
「……はい。……大葉の中でキュウリちゃんは……ウリちゃん、で定着してる……ってこと……です、よね……?」
遣る瀬無い照れ臭さをどう処理していいのか分からないんだろう。
瞳をゆらゆらと彷徨わせながら、どこか確認作業でもするかのように羽理が言うから。
大葉は一瞬グッと言葉に詰まって、「そ、それで! ……俺の中でお前は〝羽理〟だ!」と宣言して、自分でも『はいそうですね』としか返しようがねぇじゃねぇか!と内心わさわさした。
「あ、はい。私は〝ただの羽理〟で……〝ちゃん〟付けはキュウリちゃんだけ……」
だが、羽理は自分を納得させるように順序立ててそうつぶやくと、「あの……ちょっと慣れるまで照れちゃうかも知れないんですけど……頑張って恥ずかしがらないようにしていきます……ので」と、気を遣ってくれた。
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