「お姉様、歩けますか……?」
ホテルの入り口前で立ち尽くす私を、シェナはそっと支えてくれた。
ガラス扉に、私とシェナの寄り添う姿が映っている。
「うん。大丈夫……」
ただ歩を進めることさえ、気力が必要だった。
シェナが居なければ、その場にへたり込んでいる。
でも、早く部屋に戻らないと、ウレインが気をかけてくるに違いない。
そうでなくても、他のスタッフが。
「お戻りですか聖女様――大丈夫ですか?」
案の定だった。
ウレインは自動のガラス扉を開かせて、出迎えてくれた。
だけど、今は答えることさえ、いちいち気を張らなくては出来ない。
「寄るな。問題ない」
私が口を開く前に、シェナが制してくれた。
「さ、左様ですか。では、何かありましたらお声を――」
全てを言い切る前に、察したウレインは下がってくれた。
……エレベーターまで、もう少し歩かなくては。
何という体たらくだろう。
魔王さまがお辛いのであって、私なんか関係ないのに。
――私なんか。
私はお側に居ても、過去の魔王さまをお支えすることが出来ない。
過ぎてしまったことに、私は手を差し伸べられない。
「もう少しです。お姉様」
その声に、いつの間にかエレベーターで部屋に戻りつつあることを知った。
とりあえず、ソファかベッドに倒れ込みたい。
足に、力が入ってくれない。
**
部屋に入るなり全身の力が抜けた私を、シェナは読みきっていたかのように抱き上げてくれた。
そのまま寝室に移ると、ベッドにそっと寝かせてくれて。
「お水をお持ちします」
そして水を飲ませてくれて、そのまま寝かしつけられた。
あまり考え過ぎないようにと。
だけど、魔王さまのことを考えずにはいられない。
私には想像も出来ないような、過酷な目に遭われていたこと。
それでも這い上がり、魔族を率いるお立場にまでなられたこと。
そんな過去を、微塵も感じさせないこと。
でもやっぱり、夢にうなされておられること。
眠れていないかもしれないこと。
――私には、何ひとつおっしゃってはくれないこと。
それは、私に負担をかけないためだろうか?
それとも、もうほとんどをご自分で乗り越えられたから?
でも、うなされていた。
――こんな小娘では、何の役にも立たないと。
そう思われているのではないかと、それについても考えてしまう。
――それじゃあ、商工会ギルドの会長に言われた通りだ。
ただの愛人。
捌け口に抱くだけの情婦。
――だって、それしかお役に立てていないのだから。
そんなことをぐるぐると考え続けていると、いつの間にか眠ってしまったらしい。
意識が戻ってきたのを感じて目を開こうかと思った時に、くちびるに柔らかいものが触れた。
温かくて、心地良くて、甘い香りがする。
「あ。起きたぁ? あんまり寝苦しそうな顔してるからぁ、チューしちゃったぁ」
「は?」
リズが顔を離していくところからぼんやりと見えていて、焦点が合ったころには、その言葉が聞こえた。
「こ……この人は! 人が思い悩んでるときに、何すんのよ!」
だけどくちびるの余韻がこそばゆくて、ぺろりと舐めた。
「ふふ~ん?」
勝った。という顔をするから腹立たしいのに、余韻のせいで怒る気になれない。
「もう。リズはそういうの、ズルいんだからね」
「でもぉ。ちょっとは元気になったでしょぉ?」
さらに、白くて綺麗な指先で私の頬を、ぷにぷにと指す。
「…………」
「それでぇ? 魔王様のカコ、聞いちゃったんだ?」
そのへ文字になった眉は、どういう気持ちの表れなんだろうか。
「リズは知ってたの?」
「まさかぁ? 私もシェナに初めて聞いたのよぉ」
「悲しくならない? 魔王さまが、どれだけお辛い思いをされたのかって」
「そりゃあ、ちょっとくらいはねぇ。でもぉ、今は、あなたが居るからいいんじゃない?」
その存在意義を、悩んでいるのに。
「わかんないのぉ?」
「わかんない」
だと思って、キスしたのに。と言う。
「意味わかんないんだけど」
「えっ? 元気になったじゃない」
「……キスしろって、こと?」
リズは大きく息を吸ったかと思うと、大きなため息で落胆した。
「ほんとおバカさんよねぇ……。愛情を捧げなさい、って言ってるのよ。私たちにはそれしか出来ないし……昔のことなんて誰にも、どうにも出来ないでしょうが」
それに――、と。
「愛情を一番近くで捧げられるのは、あなただけなのよ? サラ」
そう言われると、なんだか急に、自分がトクベツなもののように思えた。
「私だけ……」
「分かったら、今夜もい~っぱい、抱かれてくるのねぇ」
さっきまで、自分はただの情婦のようだと思っていたのに。
妻として、誰にも負けない愛情を注げばいいのかなと、そう思えるようになった。
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