テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
再び二人きりになり、ゆっくりと水辺の周りを誠と歩いていた。
「久しぶりにこんなに歩いた」
「いつもパソコンの前だもんね」
仕事中の誠を思い出し、私はそっと隣を覗き見る。
「そうだな。親父の後を継がないとって、ずっと必死だったから……」
リラックスしていたせいか、無意識にこぼれ落ちた言葉のようだった。
誠はすぐに「悪い」と言葉を付け加える。
「ううん。一生懸命なのは知ってる。大学はアメリカって本当?」
私が誠について知っている情報は、女子社員たちが興味本位で話す噂話程度だ。
「ああ。あの頃は楽しかった。しがらみもなくて」
その言葉から、誠が今までどれだけ大変だったのかが伺えた。
「それに、たくさん遊んだ」
くすっと笑った誠を、私は盗み見る。
彼の言う「遊び」が何を指すのかはわからない。女遊び?
そんなことを考えながらも、私は問いかけるように誠を見据えた。
「ナンパや女遊びより、こうして歩く方が健全だからね」
なぜか少しだけ非難したい気持ちがあったのだろうか。
そう言ってしまった私に、誠は苦笑する。
「莉乃の中のおれのイメージって、きっと最悪だろうな」
ぼやく誠に、私はごまかすようにショップを指さす。
「誠、私お土産見たいな」
そんな私の言葉に、誠は小さく頷いた。
誠と楽しくお土産を見て、最後までパークを満喫すると、私たちは帰路についた。
帰り道は行きとは違い、助手席に香織が座ったため、必然的に私と誠が後部座席に並んだ。
「楽しかったな」
弘樹さんと香織が楽しそうに話している様子を、私も笑顔で聞いていた。
「莉乃、お前眠たいんじゃない?」
確かに、昨夜は緊張からあまり眠れず、今朝も早起きだった。
車の揺れと、みんなの柔らかな会話の声に、私はうとうとしていたのかもしれない。
「大丈夫だよ」
運転してもらっているのに眠るわけにはいかないと思い、私は目を見開いた。
「莉乃ちゃん、遠慮なく寝て行って。一時間はかかるから」
見た目とは違う優しさを見せる弘樹さんの言葉に、私は曖昧な笑顔を向けた。
そうは言われても、簡単に眠ることはできなかった。
そう思っていると、不意に後頭部に誠の手が触れた。
それはゆっくりと私の後頭部を支え、誠の肩へと導かれる。
「ほら、いいから」
もたれ掛かるような姿勢にされ、私は慌てて起き上がろうとする。
しかし、今度は肩に手を回され、まるで子供をあやすようにポンポンと軽く叩かれた。
そのころには弘樹さんと香織の会話も途切れ、車内は静寂に包まれていた。
誠の体温と、ほんのり甘い香り――香水だろうか――が心地よく、私はゆっくりと意識を手放した。
「莉乃、起きて」
耳元で囁かれる声に、私は微睡みからゆっくりと目を開けた。
目の前には綺麗な瞳があり、驚きのあまり一気に目が覚める。
「もう少し寝かせてやりたいけど、これ弘樹の車だから」
ハッとして窓の外を見ると、そこは待ち合わせた駅だった。
「ごめんなさい。私ったら……」
すっかり眠り込んでいたことに気づき、私は慌ててバッグを探し始めた。
「ありがとうございました」
車から降りようとドアノブに手をかけた瞬間、それを阻止するように誠に腕を掴まれる。
「莉乃? どうしたの?」
私が騒いだからか、香織の寝ぼけた声が聞こえた。
「香織ちゃんも起きた?」
弘樹さんの穏やかな声に、香織も眠っていたことが分かる。
「二人の家はどこ? 送るよ」
弘樹さんの問いに、香織は自分の最寄り駅を告げるが、私は答えるのを躊躇した。
香織の家と私の家は真逆の方向で、すでにかなり遅い時間だ。
誠の家は近いとはいえ、私たち二人を送るとなると弘樹さんがかなり遅くなるだろう。
「香織、送ってもらって。私は大丈夫だから」
「え? そんなわけにいかないでしょ? 莉乃の方が危ない……」
そこまで言って、香織はそれ以上何も言わずに言葉を止めた。
「莉乃、落ち着け」
私たちのやり取りを黙って聞いていた誠が、そこで口を開いた。
誠はじっと私を見つめると、小さく息を吐く。
「弘樹、香織ちゃん、今度は二人で行けよ」
くすりと笑いながら言い、誠は車から降りてしまう。
「莉乃、ほら行くぞ。俺が送る」
「え? でも……」
家がすぐそこにある誠に、また車を出させることに躊躇し、私はその提案を受け入れるのをためらう。
「お前、そんな大きいぬいぐるみ抱えて電車乗るの?」
「それは……」
バッグに加え、誠に買ってもらった大きなキャラクターのぬいぐるみを抱きしめていた私は言葉に詰まった。
小さいものでいいと言ったのに、私がそれを欲しがっていると気づいたのか、誠は「大は小を兼ねるよ」と笑いながら一番大きなぬいぐるみを買ってくれたのだ。
「莉乃ちゃん、そうして。その方が俺たちも安心だ」
静かな弘樹さんの言葉と、「そうしなさい」と訴える香織の瞳に、私は小さく息をついた。
「いいの? 遅くなるよ?」
「そう思うなら早くしろよ」
言葉とは裏腹に、優しい瞳を向ける誠に、私は荷物を持ち直し、車を降りた。
あの日も来たが、誠を連れて行くのに必死で、周囲をよく見ていなかった。
駅からすぐのこのマンションに住む誠を見て、改めて彼が副社長であることを思い出す。
結局、大きすぎるぬいぐるみは誠が脇に抱える形になり、私はその背中を追いかけた。
「こんな都心のタワーマンションに住めるなんて、すごいね」
「なんだよ。急に」
突然の私の言葉に、誠は少し戸惑ったような表情を浮かべた。
地下駐車場に降りると、高級車がずらりと並んでいて、
どれだけのお金持ちがこのマンションに住んでいるのだろうと、私は唖然とした。
その中でもひときわ目立つ誠の車に促されるように、私は乗り込んだ。
住所を告げると、誠は慣れた様子でハンドルを握り、車は静かに走り出す。
「こんな高級車、緊張する」
革張りのシートが快適すぎて、私はなぜか深く座れず、背筋を伸ばしていた。
「もっとリラックスすればいいだろ?」
苦笑しながら誠が言い、信号待ちで車が止まる。
「やっぱり副社長なんだね」
改めて自分との違いを実感し、私は思わずつぶやいた。
「なんだと思ってたんだ?」
「今日は途中から忘れてたから」
それは本当だった。
会社の上司であることを忘れ、香織のためだったはずなのに、自分が楽しんでしまった。
そのことに気づいて、なぜか少し寂しいような気持ちになる。
ごまかすための言葉を探したが、見つからず、私は口をつぐんだ。
「じゃあ今日は忘れてろ」
視線も表情も変えずに言う誠に、私はチラリと時間を確認する。
「もう一時間ないね……」
その言葉が沈黙を生んでしまい、私は慌てて口を開く。
「明日からきちんと秘書に戻るから」
この人には、たぶん彼女もいる。
そもそも今日は香織のために付き合っただけで、私にだけ優しいわけじゃない。
部下を無下にしない、ただそれだけ――そうわかっている。
でも、今日感じた誠への気持ちの変化を、私は認めたくなかった。
何度も「この人は上司」と自分に言い聞かせる。
こんな副社長を――誠を――知りたくなかった。
ただの上司と部下だった頃の関係に戻りたい。
そう思っても、もう遅いことは自分でもわかっていた。
優しさも、思いやりも、知ってしまった。
持て余す気持ちを隠すように、私は東京の夜の街に視線を向けた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!