テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
110
177
ゆうき あきや
835
第28話:BTOパソコンと四十歳の葛藤
昨夜の深夜、俺はジェミニが授けてくれた『経費(ケイヒ)』という魔法の言葉に完全に酔いしれていた。
無敵のスター状態に入った俺は、BTOパソコンのサイトでオプションをマシマシにし、あわや四十二万円の七色に光る謎の箱をポチりかけた。
しかし。
クレジットカードの番号を入力し、最後の『注文を確定する』ボタンを押そうとした瞬間――四十年間、底辺で泥水をすすってきた俺の「貧乏性」という名の防衛本能が、急ブレーキをかけたのだ。
「……待て。四十万だぞ。経費で税金が安くなるとはいえ、口座から四十万の現金が消える事実に変わりはねえんだぞ……ッ!」
我に返った俺は、滝のような冷や汗を流しながらブラウザをそっと閉じた。
そして翌日の夜。俺は、ブオォォォンと轟音を立てる化石のようなポンコツPCを立ち上げ、緊急の配信枠を取っていた。
『【SOS】経費でパソコンを買いたい四十歳。誰か助けて』
配信開始から数分で、待機していた三万人のリスナーがどっと押し寄せてくる。
『おっさん、ついにPC買う決心ついたか!』
『昨日の案件フリーズは伝説だったwww』
『で、予算は?』
俺は安物のマイクを握りしめ、画面に向かって吠えた。
「予算は……出せても三十万だ! ジェミニ先生から『経費で落ちる』ってお墨付きはもらったが、何を買えばいいか全く分からねえんだよ!」
俺は画面共有で、大手BTOパソコンメーカーの販売サイトを映し出した。
そもそも俺の住む北海道の帯広市みたいな地方には、ハイスペックなゲーミングPCがズラリと並ぶような大型家電量販店なんてありはしない。
電車に乗って遠くの都市まで買いに行く交通費と手間を考えれば、ネットの『BTO(受注生産)』という文明の利器に頼るしかなかった。
「お前ら、頼む。俺の血と汗と涙の結晶である三十万円を、一番賢く使う方法を教えてくれ。変な家電量販店で『初心者おすすめセット』みたいなの買ったら、お前ら絶対『情弱ww』って煽るだろ!」
『当たり前だ! 配信者が量販店の吊るしモデル買うな!』
『BTO一択。俺らが最高の構成組んでやるよ』
『三十万あれば、そこそこ良いの組めるぞ』
『おっさん、まずはCPUとグラボを選べ』
「……でたよ。グラボ。なんだよその強そうな名前の武器は」
俺はカスタマイズ画面のプルダウンメニューを開き、そこに並ぶ謎の文字列に盛大に顔をしかめた。
「『Core i7』とか『Ryzen 7』ってなんだ? どっちが偉いんだ? それにこの『RTX 4070 Ti』って……呪文か? ファンタジー世界の召喚魔法か何かか!?」
『wwwwwwww』
『グラボ(グラフィックボード)な。映像を処理する一番大事なパーツだ』
『RTXは魔法じゃなくてNVIDIAの製品名だよw』
『配信しながらゲームするなら、RTX 4070か4070 Tiは最低限積んどけ』
「なるほど、じゃあその『RTX 4070なんとか』にするわ。……って、おい!!」
俺は画面に表示された金額を見て、素っ頓狂な声を上げた。
「グラボだけで十二万円!? バカ言ってんじゃねえぞ! ただの基盤一枚だろ!? 金でも塗ってあんのか! 俺のひと月の食費が一万五千円だぞ! 八ヶ月もメシが食えるじゃねえか!!」
『ゲーム機本体より高いからな、グラボは』
『それが現代のゲーミングPCの相場だ。諦めろ』
『おっさん、経費だから実質無料だろ?(錯乱)』
『ケチって安いのにすると、また案件中にフリーズするぞ』
「うぐっ……案件フリーズのトラウマを抉るな……ッ!」
リスナーの容赦ないド正論パンチに、俺は血の涙を流しながらプルダウンを選択していく。
「よし、CPUはコレ。グラボはコレだ。……次はなんだ? メモリ? 16GBじゃダメなのか?」
『配信用なら絶対に32GBにしろ』
『ゲームとOBS(配信ソフト)とブラウザ開いたら16じゃ即死する』
「分かったよ、32GBな! プラス一万五千円……痛ぇ……胃が痛ぇよぉ……」
クリックするたびに、画面右下に表示される『合計金額』がチャリン、チャリンと跳ね上がっていく。
まるで自分の寿命が削られていくような感覚だ。
「ストレージは1TB。電源? 電源なんてコンセント挿せば入るだろ! なんでここにもランクがあるんだよ! 『850W GOLD』? ゴールドってなんだよ、成金か!!」
『電源ケチるとPC全体が死ぬぞ』
『心臓部だから良いの積んどけ』
『あとCPUクーラーも水冷か、良い空冷に変えろ。デフォだと爆音だぞ』
四万人の有識者たちによる、手加減なしのスパルタPC構築講座。
一つ一つのパーツの役割をリスナーに教えられながら(半分キレながら)、俺は一時間かけて、ついに一つの理想的な構成を完成させた。
画面右下の合計金額は――『318,500円』。
「……さんじゅう、いちまん、はっせん、ごひゃくえん」
改めて数字に出して読むと、手足が震えてきた。
三十年間ニートをやり、生活保護のセーフティネットで生き長らえてきた俺にとって、三十万という金は命そのものだ。
「……本当に、いいんだな? 俺、これ買っても、明日から生きていけるんだな?」
『いけるいける! 最高の投資だ!』
『おっさん、経費だ! 魔法の言葉を思い出せ!』
『ケイヒデ・オチマス!』
『鈴木さんも許してくれるよ(たぶん)』
コメント欄が、俺の背中を全力で押してくる。
いや、背中を崖から突き落とそうとしている。
「……ッ、よし!!」
俺は目をギュッとつぶり、マウスを握る右手に全身の力を込めた。
「見てろよ、鈴木さん! 税務署! これが四十歳の覚悟だァァァ!! ケイヒデ・オチマァァァス!!!」
ターンッ!!!
部屋中に響き渡るほどの力で、左クリックを押し込んだ。
『ご注文が完了いたしました。ご登録のメールアドレスに詳細をお送りしました』
画面が切り替わった瞬間。俺は全身の力が抜け、三万円のゲーミングチェアの背もたれに深く沈み込んだ。
「……買った。買っちまった……。俺の、三十万円……」
達成感と、口座から大金が消える絶望感が入り混じり、俺は天井のシミを見つめたまま放心状態になった。
すると、画面の端で、極彩色のエフェクトが次々と弾け飛んだ。
『スーパーチャット:10,000円(PC購入おめでとう!)』
『スーパーチャット:50,000円(これで案件もバッチリだな! ご祝儀だ!)』
『スーパーチャット:5,000円(初期設定枠も待ってるぞ!)』
『スーパーチャット:10,000円(三十万の玉座に座る男の、三十万のPC!)』
「あ……」
四万人のリスナーたちが、俺の決死のダイブを祝福するように、怒涛の赤スパを投げ始めたのだ。
金額はあっという間に十万円を超えていく。
「お前ら……」
俺の目に、うっすらと涙が浮かんだ。
なんて温かい連中なんだ。俺の出費を少しでもカバーしようと、こんなに金を……。
「……って、馬鹿野郎ォォォォ!!!」
俺は涙を引っ込め、マイクに向かって絶叫した。
「スパチャ投げんな!! 俺の今年の『売上』が増えるだろ!! 経費で利益を減らした意味がなくなるじゃねえか!! また税金が上がっちまうだろうがァァァ!!」
『wwwwwwwwww』
『草』
『永久機関完成』
『経費使ったのにまた税金増えてて草』
『おっさんの悲鳴が一番のエンタメ』
『スーパーチャット:10,000円(ほら、もっと税金払えよ)』
「やめろォォ! 資本主義の悪魔どもめェェェ!!」
深夜の北海道。
四畳半のボロアパートに、四十歳の個人事業主の悲痛な叫びと、ポンコツPCの最後の轟音が、いつまでも虚しく響き渡っていた。
本日もお読みいただき、ありがとうございました!
「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、
ページ下部にある【★】での応援や、作品フォローをお願いいたします!
コメント
1件
みぅだよ〜🤍読了したよ🌙 「ケイヒデ・オチマス」に笑った(笑) おっさんの貧乏性とリスナーの熱い応援のバランスが絶妙で、スパチャで税金が増えるオチも含めて「経費の闇」を感じた…。 四十年の防衛本能と三十万の決断、めっちゃ刺さる話だった。 続きも気になるよ〜🥀✨