テラーノベル
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ニンゲン達がいる、すぐ側まで近付こうとしているゆらを、止めることが出来なかった。
まだ幼いから、夏だけ賑わう浜辺と、自分達と少し身体の違うニンゲン達のことを知りたくて仕方ないのだ。
ゆらを少年が見つけてしまった時、波と水のうねりが彼を絡め取るように仕向けた。
本能的に、溺れてゆくニンゲンを間近に見たら、魂を欲するだろう。喰らってしまえば、陸への興味だって薄れるに違いない。
でも、ゆらは魂を獲らなかった。
岩場の上に懸命に押し上げ、彼に触れて安堵して微笑んだのだ。
(そんな美しい笑顔を、見せてはいけない)
二人の視線が交わされる瞬間を、こころが触れようとするのを、私は成す術なく見ていた。
死のすぐ隣まで来ているニンゲンしか、私は知らない。それだけがニンゲンと、人魚とが唯一触れ合う瞬間だ。
違う生き物。
焦がれるように想いを寄せる対象ではない。
「せなねえさま」
少し恥ずかしそうに、しかし揺るがない決意を宿した瞳をして、ゆらは言った。
「わたし、あのこがいる街へ行きたい」
もう彼女は、ゆらであってゆらでない。境界線を越えて、向こう側に行ってしまった。
――それが始まり。そして別れ。
「もう、海には戻らない」
固い決意を示すように、由良は瑞基の手を強く握った。
「姉様達、みんなが不思議がってたよね。どうして人間のところに行きたいなんて思うのかって」
海の中の人魚達の方も見渡す。皆、由良が出て行く時見送ってくれたひと達だ。
「行きたかったのは人間のところじゃなくて、瑞基の側だったから。最初に出逢った時から、このまま離れて今までと同じに生きるなんて無理だと思ったんだ」
ついこの間まで、自分のその気持ちが何なのか、はっきり自覚していなかった訳だが。
同意を示すように、瑞基が手を握り返してくれた。
「だから、もう海では――瑞基の隣以外では生きられない。…戻れない」
ごめん、と謝るのも違う気がして、由良はせなの目を真っ直ぐ見詰めた。彼女の瞳には、もう恨むような光はなかった。
後を次ぐように、瑞基が口を開いた。
「俺が、この海に由良を連れて来たかった理由はね」
まあ来年は遊んでる暇がないからってのも本音だけど、と前置きする。
「由良が人魚だって知った後で色々話を聞いて、きっと大事にされて過ごしてたんだろうなって思って。ずっと帰らないから、皆が心配してるんじゃないかなって」
繋いだ手を解いて、由良の頭を自分の肩に引き寄せた。
「だから、お姉さん達に会って直接、もう由良には俺がいるから大丈夫、安心して下さいって伝えようと思って」
そのお陰で、結構死と隣合わせの思いをした筈なのに、瑞基は何事もなかったかのように曇りなき笑顔でせなに問い掛ける。
「伝わりました?」
呆れるほどに臆面がない。
「……もういい」
目を伏せて、せなは首を横に振った。
「脅して逃げ出すような男だったら、ゆらのためにも喰らってやろうと思ってたけど、ちっとも怖じ気づいてないし」
ゆら、と呼んで手招きされる。近寄って、高さを合わせて屈むと、頭を撫でられ、頬を軽く摘ままれた。幼い頃にしてくれたように。
「元気で暮らしてね。さようなら、ゆら」
「……姉様達も。元気で」
せなが、すうっと由良達から離れて、海中に潜って消えて行った。続いて、海面に見えていた人魚達も波間に見えなくなって行く。
誰だろう。手を振ってくれた。
「………元気で」
皆が居なくなると、急に波の音が騒がしく聴こえ始めた気がした。
不意に足から力が抜けていき、その場にがくん、とくずおれた。寸手のところで瑞基が抱き留める。
「由良?!」
「いや……今頃になって、緊張の糸が」
由良は瑞基の腕を頼りにしゃがみ込んだ。
「大丈夫?」
「ちょっと休ませて」
そのまま砂利の上に腰を下ろす。
瑞基も隣に、脚を投げ出して座った。包み込むように、肩を抱いてくれる。
「あんまり長くここにいても、身体が冷えて熱出しそうだしなー。…そうだ」
瑞基の瞳が輝いた。この顔は、ろくな事を思い付いていない。
背中に腕を回し、もう片方の腕は太股の下に差し入れ、 由良を横抱きにして立ち上がる。
「一度やってみたかったんだよなー。お姫様抱っこ」
「重いだろ」
ずり落ちそうで怖かったので、不本意だが瑞基の首にしがみついた。更に顔の距離が近くなって、瑞基が嬉しそうに口許を弛めた。
「ちっとも重くない。50キロないだろ由良」
人間としては重くないとしても、持ち運ぶ荷物としては重たいだろう。それに……。
「まだ姉様たち、その辺で見てるかも知れないし、恥ずかしいからやめてくれ」
「何で。むしろ、俺の頼り甲斐があるとこを見せつけてやりたいくらいだ」
足元が砂利だというのに、瑞基はぐるっと一回転した。よろけて転倒しないかと、由良の方が気が気でない。
「もう大丈夫だから。歩けるから」
全力で頭を振って頼み込んで、ようやく降ろして貰えた。瑞基は「えー、家まで行けたのにー」と不満顔だが。
すっかり置き忘れていたらしい、地面の上のランタンを持ち上げて、瑞基の祖母の家の方を指し示す。
「朝には電車で帰るんだろ。家に着くまでが旅行だからな。 ……父さんには、そろそろ旅行がバレてる気がするし。体力と気力を温存しておいた方がいいと思う」
途端に瑞基の表情が凍りつく。
「そういえば、暁斗さんに内緒で来てたんだった…… 」
ある意味、せなと同じくらい強敵だ。
本当に、由良を実の子供のように想ってくれている人だから。
「こうなったら、一度徹底的に話し合おう。人であって人でない者と、生涯を共にする先輩だしな」
握り拳を作り、夜空を仰いで覚悟の表情をしている瑞基。
それほど心配はいらないだろうに。魂を喰らうような相手ではないのだし。
「瑞基」
名を呼んで、手を差し伸べる。
それに応えて、瑞基が手を取って指をしっかりと絡めてくる。
「………帰ろう」
掌の確かな感触に、自然と笑みが溢れた。
ランタンの仄かな灯りだけを頼りに、二人は寄り添って帰途を急いだ。
終
コメント
1件
第17話、読み終わりました……。 「せなねえさま」と呼ぶ由良の声が、すごく胸に残ってます。海の側で育った者同士の別れ方が、綺麗でせつなくて。せなが「もういい」って手を離すところ、あれは姉として本当に愛してたからこその言葉だなって思いました。そして最後の「帰ろう」——瑞基の指を絡める仕草に、もう迷わないんだなって安心できました。 完結、お疲れ様でした。素敵な物語をありがとうございます🌙
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