テラーノベル
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朝。目を覚ますと、腕の中にいたはずのソフィアの姿は、すでになかった。
「……また、いないのか」
カイルは手を伸ばし、彼女が眠っていた場所へそっと触れた。まだ、わずかに温もりが残っている気がした。昨夜はあれほど近くにいたのに。朝になれば、もういない。
(……お前はいつも、何か用があるとき以外は――俺が起きる前にいなくなるな)
昨夜のことを思い出す。ソフィアは自分を抱き寄せ、優しく髪を撫でてくれた。あの温もりが、どうしようもなく嬉しかった。もっとそばにいたくて。少しも離したくなかった。
「…………」
カイルは空になった隣を見つめ、布団をぎゅっと握りしめた。
(……いつか)
(お前も、この朝を惜しんでくれる日が来るのだろうか)
***
「おはようございます、お嬢様! お茶を淹れましたよ!」
「ありがとう、アンナ。助かるわ」
湯気の立つカップを受け取りながら、机いっぱいに広げた資料へ目を落とす。アンナが持ち帰った工房の営業記録と、魔法複写機で復元した三枚の受領証。
工房は洪水で休業中。出荷記録はゼロ。そして第二回、第三回の受領証は――第一回を元に改ざんされていた。
「……ほぼ黒ね」
「ですよね! もう完全に真っ黒じゃないですか!」
「まだよ」
「ええっ!? これでもまだダメなんですか!?」
「神殿側の受領台帳を確認していないもの」
私はティーカップを置いた。
「本当に石鹸が届いていないのか。神殿側の帳簿と在庫を確認するまでは、断定できないわ」
「じゃあ、神殿に突撃ですか!?」
「そのつもりだけど……」
問題はそこだった。清貧を尊ぶ神官たちから、私の評判はすこぶる悪い。
「普通に『倉庫を見せてください!』なんて言ったら、門前払いされちゃいますよね……」
「ええ。だから――」
私はにっこり笑った。
「カイル殿下を使うわ」
一瞬、昨夜のしょんぼりした顔が頭をよぎった。
(……まあ、これはこれ。それはそれよ)
「また殿下を使っちゃうんですか!?」
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「使えるものは、夫でも使い倒す主義なのよ♡」
「はあ、まったく……」
「アンナ、殿下の予定を確認してくれる? 神殿へ行く日があればいいんだけど」
「はいっ!」
アンナは手帳を取り出し、ぱらぱらとめくった。
「あっ! お嬢様、めちゃくちゃラッキーですよ! 今日の午後、殿下は神殿と貧民街の定期視察です!」
「……完璧ね」
私はすぐさま立ち上がった。
「ふふっ。さっそく、可愛くおねだりしてくるわ」
***
「失礼いたします、殿下」
「ソフィア……?」
皇太子執務室。秘書官と書類を広げていたカイル殿下が、驚いたように顔を上げた。
机のすぐそばまで歩み寄ると、胸の前で両手をきゅっと組み、首を傾げる。
「本日の神殿と貧民街への定期視察……私もご一緒してよろしいでしょうか?」
「……お前も?」
「ええ」
潤んだ瞳で上目遣いを向ける。
「殿下の公務を、もっとお近くでお支えしたくて♡」
「…………」
カイル殿下は、ちらりと秘書官を見た。そして何事もなかったかのように、いつもの冷静な表情を装う。
「……構わない。お前が望むなら、同行を許可しよう」
「まあ! ありがとうございます、殿下♡」
(よし! これで堂々と神殿へ入れるわ!)
「それと殿下。もう一つ、お願いがございますの」
「何だ?」
持参した予算明細を広げ、彼の袖口を少し引く。
(悪いけど、殿下。証拠を押さえるまでは、手の内を全部見せるわけにはいかないのよ)
「今年、神殿へ薬草石鹸を1500箱寄付しておりますでしょう?」
「ああ」
「薬草石鹸は湿気に弱い、デリケートな品ですわ。せっかく民のために購入したものが、傷んで使えなくなってはもったいないでしょう?」
「……なるほどな」
「ですから今回の視察で、保管状況も確認させていただきたいのです。必要でしたら、皇太子妃用の倉庫へ一部を移すこともできますわ」
しおらしく眉を寄せて見せる。
「…………」
カイル殿下が、じっと私を見つめた。
「……何でしょう?」
「いや……」
ほんのわずかに、表情が和らぐ。
「お前が、そこまで慈善事業や民のことを真剣に考えていたとは思わなかった」
(……本当の目的は、神殿の帳簿と現物確認だけどね)
(横領を暴いた実績を足がかりに、いずれは自由に使える予算をいただいて――逃走資金をたんまり確保してやるんだから♡)
もちろん、口には出さない。胸元へ手を当て、にっこり微笑む。
「皇太子妃ですもの。民の暮らしを気にかけるのは当然ですわ」
「そうか……」
カイル殿下は感心したように頷くと、一枚の羊皮紙を取り出し、さらさらと署名した。
「これを持っていけ」
「これは?」
「皇室から神殿へ寄贈した物資について、帳簿や保管状況を監査する権限を認める書面だ」
「まあ!」
「これがあれば、大神官であってもお前の調査を拒めない」
私はありがたく書類を受け取った。
「ありがとうございます、殿下♡ さすが、頼りになりますわ」
(やったわ!)
(これで神殿の倉庫も帳簿も、調べ放題じゃない!)
頼んでもいないのに、向こうから監査権限までくれるなんて。
(最高のプレゼントね♡)
「それでは、午後に」
「ああ」
目的のものを手に入れ、私はさっさと執務室を後にした。
***
ソフィアが退出した後。
「…………」
カイルは手元の書類へ視線を落とした。だが――文字が、まったく頭に入ってこない。
(昨夜の今日で……!)
(ソフィアの方から、俺と一緒に出かけたいなどと……!?)
昨日は、せっかく用意した茶会で盛大に空回りした。けれど昨夜、ソフィアは自分を優しく抱きしめてくれた。そして今朝――今度は彼女の方から、一緒に出かけたいと言ってきた。
(まさか……)
(ソフィアは、少しは俺のことを……!?)
「…………」
口元が緩みそうになる。慌てて手元の書類を持ち上げ、顔の下半分を隠した。
「……殿下?」
向かいに座る秘書官が、怪訝そうに眉を寄せる。
「何でもない」
カイルは小さく咳払いをした。
「……左様でございますか」
「ああ」
秘書官はしばらく黙っていたが――おそるおそる口を開いた。
「ところで殿下」
「何だ」
「その書類……逆さまですが」
「…………」
コメント
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お疲れさまです、ひよりさん!第19話、ニヤニヤしながら読んじゃいましたよ〜🤍 ソフィアの「使える夫は使い倒す」発言、最高に決まってますね。でも一方で、朝の布団を握りしめるカイル殿下の心情が切なくて。昨夜の温もりを惜しむシーン、すごく好きです。秘書官の「書類逆さまですが」のツッコミで笑いました。カイルの純情な勘違いとソフィアの計算高さのギャップが絶妙です!次が気になります🌷