If a tree falls in a forest and no one is around to hear it, does it make a sound?
「誰もいない森の中で木が倒れたら音がするか」
木が倒れるとき空気が振動して音の波動を起こしますが、電波と一緒で受信機がないと音として存在に入りません。
だから、それを聞く人がいないと音はしないのです。
本当は、目に見える物も、そのエネルギーの波動を脳が翻訳して始めてイメージとして捉えるわけですから、
誰もいなかったら、木も存在に入らないことになりますね。
つまり、
五感に捉えられるものとわたしたちは一体だということにもなるのです。
私たちがいなければ、存在に入らないからです。
この世界は、
見る人(観測者)がいないと、
存在しないのかもしれません。
量子力学では、観測者が観測するまで、
すべては可能性であると。
つまり、
観測者が観測(測定)するまでは多数の可能性が同時に存在していて、
測定した瞬間にそのうちの一つに固定されてしまうと言います。
量子レベルでは、
測定者が違うと結果が変わってくるということも起こります。
思うのですが、
体の調子が悪いなと思って医者に行きますよね。
いろいろ検査した後、病名を告げられます。
そうすると、それまで何となく具合が悪かったのが、はっきりとその病気の症状が現れてくるという感じがしませんか。
何が言いたいのかというと、
どんな場合でも、いろんな可能性があると思うのです。
それが、これと決めつけた途端、
その可能性の中の一つに固定されてしまいます。
これだと、人生が広がらなくてつまらないですよね。
人間は脳の10%しか使っていないそうです。
最近は、人間の寿命が延びたせいか、
世界的にも認知症が増えているようです。
脳内のたんぱく質異常で脳が萎縮するということですが、
いつも同じことを考え、
同じようなことをし、
これを何年も続けていくと、
そうなりやすいのかなという気がします。
本来、脳は年齢に関係なく、柔軟性(可塑性)があって、
刺激により機能的、構造的な変化を起こすことができるはずなのに。
よく、思考が現実になると言われますよね。
想像も思考のうちです。
だから、よい想像は決して無駄ではないのです。
ただ、
思考があっちこっちにいって無秩序なため、効果が出にくい。
そんなとき、
英語で”center yourself”と言うのですが、
意識を自分の中心、みぞおちあたりに持っていくと、
心が落ち着いて雑念が少なくなると思います。
深呼吸もいいですね。
貴方の心と向き合えるのは貴方だけ。
『観測者の学術記事』
「誰もいない森について」
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