Ø. 虚構の神像
「たすけて……」
か細く掠れて消えた声は、
一人の天使のものだったと思う。
純白の柔らかい髪の隙間から露になっている右目は、どこまでも神秘的な金を宿していた。
まだ幼い華奢な体には皠の衣を纏っている。
『お前は悪魔だ!』
「うっ」
『裏切り者だ!』
「っ…いたい…やめて」
『悪魔は天界には要らないんだよ!』
「うっ!?
う…あ…ごめん、なさい…」
くぐもった呻き声と共に彼女の身体が蹴られる。
蹲りながら耐えている。
蹴っているのは他の天使たちである。
尤も、他の天使たちの振るう力は、彼女と比べものにならないほどだったが。
「…うぅ……だれか…」
『馬鹿だな、そんなに苦しいなら、お前が信じない神様にでも祈ってろよ』
「神……さま………?」
『本当に心から神様を信仰すれば、お前も俺達みたいに強くなれるし、なにより辛い目にも遭わなくて済むんだぜ?』
「…」
『まあ、俺達は教えてやってるだけなんだけどな、お前の馬鹿さ加減ってものを』
暴力、罵声、侮蔑、排除。
───天罰、神託、天啓、救済。
彼女が受ける全ては、
そんなご都合主義の言葉達に還元された。
無邪気で無慈悲な天使たちは、自分達の行いを全て美徳にした。
しかし幼い天使には、その美徳を無理矢理にでも真実に変えようとするほか手段はなかった。
ぼろぼろになった身体を引きずるように起こしながら、心の中でジブンに言い聞かせる。
(…これは、天罰、だから)
否、
そう信じずして何ができたのか?
齢六程の天使、ひとりに。
1.あの死に手を伸ばして
いつしか、
ワタシは痛みを感じられなくなりました。
並行して心も痛まなくなりました。
天界に迷い込んだニンゲンを、うっかりころしてしまう程には、
暴力を振るう天使たちの「虚構の信条」に洗脳されていたのでしょうか。
ともかくワタシは、ズレ始めていました。
それはもう、すべてから。
『神様』
『神様』
『神様』
かみさま、かみサま、カみサマ…
「たすけて……たすけてよ」
いつの間にか漏れ出していた弱音に、
気づいた時には遅すぎました。
「…?」
───悪魔は天界には要らないんだよ
───そんなに苦しいなら、お前が信じない神様にでも祈ってろよ
───神様を信仰すれば、お前も俺達みたいに強くなれるし、なにより辛い目にも遭わなくて済むんだぜ
───暴力。ちがう、天罰。
───罵声。ちがう、神託。
───侮蔑。ちがう、天啓。
───排除。ちがう、救済。
そうだ。
神さまは、確かに、いました。
私に道を観してくれた、あのひとたちが、
ワタシには、いました。
なんと心優しい神さまなのでしょう。
さあ、それならハナシは早い。
──はやく、
はやくワタシは救済されなくてはならない。
2.無能な神の殺し方
「ねえ、たすけてよ」
天使たちは驚きつつも笑っていました。
『…は?』
『とうとう殴られすぎて気が狂ったんじゃないの?』
『…説ある』
神さまたちが何かを言っています。
よくわかりません。
何を話しているのか、耳も頭も惘としていて聞き取れていないのか、それとも理解できていないのか。
ただ、ひとつだけわかったことがあります。
まだ、
ワタシは笑えているということ。
「刃物を持ってきました」
そう言ってナイフを差し出すと突然、
怯えたような表情になり、彼らは黙り込んでしまいました。
「はやく救済を完成させてくださらないと、ねえ」
なにも言葉を返さずに悄然としている彼らに、重ねて言立てました。
それでも言葉を返す気配は無い…
そこで、またワタシは気付きました。
───ああ、そうか。
───ずっと救われたかったのですね、アナタ達も。
───そうだ、
こんな辛い世界に生まれてしまったのに、このひと達が幸せなわけがない。
「────死んでください」
頭も心も口も勝手に動くのに、
笑顔だけは消えない不気味な不思議。
まるで蝶が喰われるように半壊した、
天使だったモノをゆっくりと見下げながら、
ワタシはしばらくそこで笑っていました。
「…ほう、
天使にこんなチカラがあるなんて、
知りませんでした」
先程、
ワタシが目を合わせた途端、天使たちの命にひびがはいって壊れました。
ぐにゃぐにゃ歪んで壊れたり、霧のように壊れたり、グシャグシャになってしまったりしていて
面白い。
こんなチカラ、知らない。
これは素晴らしい。
ニタリと嗤うワタシは、
恐らく既に天使ではなかったのでしょう。
3. 零時の孤独
むかしむかし、あるところに
かわいそうな天使様がおりました
その天使様は
間違った思想をもって生まれた欠陥品でした
その欠陥ゆえに
幼いころから同族の天使どもにより
目を塞ぎたくなるほど酷い暴力を受け
罵詈雑言を浴びせられていました
天界に生まれたものは怪我が瞬時に治るのです
飲まず食わずで死ぬこともない
数日間の暴力など
日常的でした
やがて
苦痛に耐えられなくなった天使様は
間違った真実をつくり出しました
“ 死こそが全世界においての最たる救済であり美徳である ”
その間違った思想によって
天使様の凄惨な過去でさえ
美徳に塗り替えられました
洗脳されていました
天使様は救済しました
たくさん痛めつけ
たくさん苦しめ
そしてたくさん殺したのです
人を
天使を
神を
ああ
なんて哀れな天使様なのでしょう
死ぬこと
殺すこと
なにもないこと
それらでしか幸せになれないと思い込み
何の理由も自覚もなく
かなしいだけの罪を重ねて歩く
ああ
なんて哀れな天使様
目を開けば視界に在るもの全てを奪い尽くして
気付けばひとり
くらい世界にいました
「ああ、なんて哀れな教祖様」
4.銀河の滑車を壊して
「全能に見えて、なかなか大変なんすね、天界も」
「そうなんです、大変なんです。
ブラックですし(ボソッ」
「あはは…笑」
「……あれ、
そういや色々話してくれましたけど…
一番上の、創世神様は?」
「……創世神様は贖っておられます」
「…贖い…、というのは?」
「…数年前、
天界の命の過半数が消えた惨殺事件はご存知でしょうか」
「…え?あ…、すみません。
…実は俺もまだまだ浅薄で」
「いいえ、大丈夫ですよ。
その代わり、少し長くなるので楽に聞いていてくださいね」
「は、はい。
すいません…ありがとうございます」
「…今からでいうと…そうですね、17年前になるんでしょうか…。
ひとりの天使が、【神様を信仰できない】という欠陥をもって生まれました。
…あはは、そう、それだけじゃないですよ。
この欠陥には、ちゃんと重大なデメリットが…。
というより、…そうですね、
……正直、天使としては致命的でした。
それも当然ですがね。信仰心がない天使は力を失うというメカニズムでしたから。
それに、本当に致命的なのはソレではありませんでした。
天使という種族は思想が強い。
…つまり、同族に天使として異質な個体がいると排他しなければ同族として許せなかったのです。
瞬く間にその天使は仲間から酷い仕打ちを受け、
………そして、
それは結果として彼女を歪める原因になりました。
彼女の薄い信仰心は、歪んだ信仰心へと変化しました。
……そう。
【太虚】…『死』に対しての異常なまでの願望です。」
「……ん?それってただ自殺願望になっただけなんじゃ…」
「……あはは、
彼女のトラウマが自殺願望だけで留まれば、彼女一人の死だけで済んだのでしょうか」
「…え、
まさか…死を肯定する思想って」
「…そう。
大量虐殺は、太虚を信仰する天使たったひとりによって行われました。
壊れた天使が振るうチカラは、そこにいた誰もが見た事のないものばかりでした──目が合った者の身体が突然歪に壊れたり、指先を動かしただけで周辺が溶けて消えたり、感情や息遣いの変化や揺らめきによって世界の秩序が崩れ始めたり──とにかく奇妙で凄惨な光景だったと、生き残った天使や神様達は言いました。
そして、最後には自力で最果てにある創世神様の居場所まで辿り着きました。
創世神様はゆっくりと目を開き、天使もまた創世神様に笑いかけました。
永遠と言えるほど長い時間が経ったのか、はたまた刹那と言えるほど一瞬だったのか…。
…そして、
先に動いたのは、天使でした。」
「…それで、
創世神様が生きているということは…」
「…はい。創世神様が殺されることはありませんでした。
しかし、
天使を殺すことも出来なかったんです。」
「…え?どういう…」
「両者とも死亡しなかったのは、奇跡的に両者とも【創世神の器】だったからです。」
「【創世神の器】……?」
「はい。
数兆年に一人、存在だけで創世神様に成れる可能性を百パーセント秘めているという【創世神の器】が誕生します。
それが、奇跡的に現創世神様と、この幼い天使だったというわけです。」
「…なるほど。
【創世神の器】について詳しく教えてもらってもいいすかね?」
「勿論。【創世神の器】は、極論『なんでもできる存在』です。」
「な、え?なん、なんでも??はい???」
「あはは、いい反応ですね!
面白いのは嫌いではありませんよ、私!」
「ちょ、からかわんでくださいよ!?」
「はは、すみません笑」
「…でも、その、なんでもできるって…?」
「…そうですね、天界最強クラスの能力で言うなら、
【全支配(天界含めた全世界全ての事物を完全に支配する)】、
【全能力(存在する全ての能力を扱える)】、
【大いなる神の息吹(真の神の器とも言える究極の素質。厳密には能力ではない)】、
【能力増加能力(能力が自動的に無限増加する)】、
【全事象支配(これから存在し得る全ての事象を支配する)】、
【空事象支配(決して起こることのない不可能な事象を支配する)】
…辺りがカスに見えるくらいです」
「なるほどわかりません」
「ですよね」
「……まあ、
やばいんだろうなっていうのは伝わりました」
「上等ですね」
「…それで、
創世神様は天使様を無力化か何かしたんすかね?この感じだと」
「…半分正解です。
正しくは、【存在していない】ということにしました」
「…え、それって」
「あっ、まずいですよ、時間です!」
「ぅわ、やばい!
すみません!お邪魔しましたッ!」
「はい、
またいつか、【存在しないはずの午前0時】にて御逢いしましょう」
「…ええ、もちろん。
いつでも話をしに来ますよ。
…じゃ、また」
5.堕ちた黒に染まりたかった
【私】は、
小さな【天使】を見下ろして呼びかける。
また、【天使】は殺意と共に慈悲を込めて笑いかける。
【私】は【天使】から流れてくる思考の中から、壮絶な殺意と過去があることを悟った。
【私】が初めて感じたのは「衝撃」、
そして「恐怖」と「後悔」であった。
それは生まれて初めて【私】が「恐怖」に駆り立てられた瞬間であった。
しかし【天使】は違った。
【天使】は、既に知っていた。
本当の「恐怖」を。
【天使】から流れてくる記憶は凄惨なものだった。
暴力を受けて、意識が無になったこともあった。
間違った思想に洗脳されていた。
身体を壊されて、自動回復で治って、
壊されて治って壊されて治って壊されて治って壊されて治ってが気が遠くなるほど繰り返された。
故に、目の前の【天使】に対して、
【私】が恐れ戦く心は本物であった。
【私】は【天使】に、こう呼びかけた。
ーーー【私】は、【貴女】を排除しなければならない。
ーーーそれは、
【貴女】の存在がタブーだからである。
ーーー【貴女】には、
これから「記憶」「過去」「精神」「力」を失ってもらわなくてはならない。
ーーーそれを回避する有効手段は最早存在することは無く、【貴女】の「身体」だけは、消去せずに世界に留めることを約束する。
ーーーそして、
ーーー【貴女】を苦しませ、罪なき大切な存在たちを死なせた【私】自身を、
ーーー「贖罪」として、
永遠に封印することとする。
6.噺骸
おそようございまーす寝坊助創世神様!!!!!
…はあ、
起きてくださいよ、創世神様。
仕方ないじゃないですか、
第九章世界が異質すぎて思い出してしまったんですから。
…。
約束ですよ、
次に貴女様が起きた時は、
また“ 宗教勧誘 ”、
させていただきますからね。
コメント
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題名がところどころ賞の名前が使われている…。 器が2つ…。writerとミッドナイトは片割れ同士…。 これは読み掘らないとな…。
あれ…器…2つ…あれやばぁ…() 歪んだ信仰…人によりますよね…。本人からしたら周りと同じことをしてるのに、それを「歪んでる」って言われる訳ですからね…。
4まで題名的なのがあれなのに気づかなかった。うわぁ良い