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# 第1話『人生最期の契約』
「君にはスターになってもらう。後世に語り継がれる伝説のアイドルにね」
芸能事務所Dream Gateの社長は穏やかに微笑んだ。
夕焼けに染まる観覧車は、とうの昔に動くことをやめていた。かつて子どもたちの歓声で満ちていた園内は、今では夕風が音もなく吹き渡るのみ。色褪せたメリーゴーランドは、白馬の塗装が剥がれ落ち、回転することなく夕日に照らされている。人気者だったマスコットキャラクターの看板は、笑顔のまま傾いていた。割れたガラス越しに見えるゲームコーナーには、景品を抱えたぬいぐるみが何年も同じ場所で時を止めている。植え込みは雑草に飲み込まれ、そこから生える錆びついた支柱に園内マップがしがみついていた。
ここは営業を終えたばかりの遊園地ではない。とうに廃業し、誰からも忘れられた場所だ。それでも夕陽だけはかつてと変わることなく園内を黄金色に染め上げている。静寂を破るように、一羽の烏が観覧車の頂上から飛び立った。
星凪美夏は、思わず胸の前で両手を握り締めていた。
所属事務所の社長である天導隆一が今しがた口にした言葉を反芻する。『君にはスターになってもらう。後世に語り継がれる伝説のアイドルにね』──夢みたいだ。新曲のMVの撮影のために、わざわざ自分一人だけを彼がここに連れてきた理由が、ようやく分かったような気がした。
「ほ、本当ですか……?」
美夏の声が震える。天導は柔らかな笑みを崩さない。テレビで見せる穏やかな社長の顔。その笑顔に、所属タレントは何度励まされてきただろう。
「ああ。本気だよ。君には、誰もが忘れられない存在になってもらう」
落ち着きのある低い声で天導は美夏に答える。
その言葉だけで充分だった。美夏の所属するアイドルグループWhite Noiseは売れなかった。デビュー当初こそ活躍を期待されたものの、思うように仕事は増えず、ライブ会場も埋まらない。自分がもっと頑張れば。もっと笑えば。もっと努力すれば。そう思って走り続けても、景色は何も変わらなかった。だからこそ、ようやくチャンスが訪れた、美夏はそう思い、喜んだ。
「ありがとうございます」
美夏は深く頭を下げる。涙が浮かびそうになる。
幼い頃から母の意向でタレント養成所に通っていた。それは美夏の意思ではなかった。アイドルになりたかったという夢と未練を、母が娘に押しつけたのだ。嫌だと言えば、折檻される。だから幼い美夏は母の言うとおりにするしかなかった。息苦しくて仕方がない。それでも有名人になれば、誰かが自分を見つけてくれる、美夏はそう信じていた。母の夢を演じることで埋もれてしまった本当の自分に誰かが目を向けてくれる、そう信じてここまで来た。
美夏は顔を上げ、助けを求めるようにもう一度、天導を見た。
天導は静かに笑みを浮かべたまま、小さくため息をつく。
「ここまで来ても、まだ気づかないのか」
「……え?」
天導の声には、先ほどまでの温かさは欠片もなかった。
「君には──殺人事件の被害者として死んでもらうことになった」
「え……?」
美夏には天導の言葉の意味が理解できない。
ここに来たのは、新曲のMVを撮影するためだったはず。だから天導の言葉を額面どおりに受け取ると、ストーリー仕立てのMVで殺人事件の被害者役を演じることになったという意味になるのだが、それにしては何かがおかしい。天導の声色や表情と、自分の受け取る言葉の意味が、どうにも噛み合わない──ような気がする。
天導は肩をすくめ、まるで世間話でもするかのような口調で続けた。
「有名になりたかったんだろ? 君は若く、容姿もいい。アイドルとしては不人気だが、そんなことは些細な話だ。凄惨な事件の被害者になれば、一躍有名人になれる」
「社長……いったい何を……」
「君の死は世間の同情を集める。White Noiseの知名度も上がる。会社にも利益がある。誰も損はしない」
天導の言葉は、商品価値を説明する営業資料のように淡々としていた。
信じられないものを見るような目で美夏は天導に縋った。
「そんな……冗談ですよね……?」
「冗談で、わざわざこんな場所に連れてくるわけがないだろう」
「いくら有名になれるからって、売名のために死ぬのは無理です。私には……」
「大切な恋人がいるから、か?」
天導はせせら笑いながら、ポケットからスマートフォンを取り出した。そして画面を美夏に見せる。そこには、一枚の写真が映っていた。夜景を背に寄り添いながら親密そうに笑い合う、人気アイドルグループPolarisの月城律と、White Noiseのメンバー・朝霧舞白。美夏の呼吸が止まった。
「月城律は君のことなど何とも思っていない」
嘘だと思いたかった。月城は、美夏に優しくしてくれた。忙しい合間にも連絡をくれたし、夢を応援するとも言ってくれた。そしてずっと一緒いると約束してくれた。自分に向けられた彼の笑顔が、今は舞白に向けられている。頭の中が真っ白になり、手が震えそうになる。
天導は、美夏の反応を愉快そうに眺めていた。
「君は月城に騙されたんだよ。こんな男に操を立てて寿志先生の好意を拒絶するとは、実に馬鹿な女だ。あの一件がなければ、White Noiseが干されることはなかっただろうに」
寿志先生。その名を聞いただけで、おぞましい記憶がよみがえる。映画監督としても知られる大物タレントの寿志清純が美夏に向けたものは、断じて好意などではなかった。美夏はテレビ局の控え室で寿志から性的暴行を受けそうになった。なりふり構わず逃げ出して、事なきを得たものの、引き替えにWhite Noiseは仕事を失った。
美夏は何かを言おうとした。しかし言葉にならない。
「星凪美夏。君は芸能界で成功する器ではなかったということだな」
天導は美夏の絶望に染まった表情を満足そうに眺めると、スマートフォンをポケットにしまった。
「もっとも、処分の理由はそこではない。決定打は他にある」
「……決定打?」
「月城律からUSBメモリを受け取っただろう? ジャーナリストの月城智明の遺稿が入ったUSBメモリだ」
心臓が止まったような気がした。どうして天導隆一が、そのことを知っているのだろう。一週間前のあの日、律は人目を避けるように小さなUSBメモリを美夏に手渡した。『父が残した取材データだ。誰にも見せるな』と小声で言いながら。
内容はもとより受け取ったことすら、美夏は誰にも話していない。事務所にも、メンバーにも、家族にも。知っているのは自分と律の二人だけのはずだった。
(まさか、そんな……)
美夏の背筋を冷たいものが這い上がる。自分は誰にも話していない。だとすると、情報の出所は一つしかない。さきほどの天導の言葉が脳裏によみがえる。『君は月城に騙されたんだよ』──足元が崩れそうになる。そんな美夏の様子を見て、天導は吹き出すように笑った。
「おいおい。恋人の律君を疑うのか」
その笑みは獲物をいたぶる捕食者のようだった。
「月城智明の遺稿を息子の律君が手に入れたのは最近の話だ。月城の遺稿は、彼を殺した者たちに奪われ、消息不明になっていた」
「事故死じゃなかったんですね」
「ああ。ファイルを見たなら分かるだろう。月城は芸能界のタブーを表沙汰にしようとした。だから殺されたんだよ。だが、最近になってたまたま、私が遺稿を入手してね、折角だから律君に返してあげたんだ。……通常の方法では検知できない特殊なウイルスを仕込んだ上でね」
美夏は目を見開く。
「誰かがファイルを開くと、端末情報が私に送信されるように細工していた。だから気づいたんだよ」
美夏の全身から力が抜けた。律が裏切ったわけではない。最初から、データそのものが監視されていたのだ。倒れそうになる美夏の身体を天導が受け止める。
美夏の脳裏に、USBメモリの中で見た資料がよみがえる。亡くなった月城智明の取材記録。芸能界の権力者たち。不可解な事故死。握り潰された証言。決して世に出ることのなかった真実。胸の奥が凍りつく。
……だからなのだ。売れなかったからではない。寿志に性接待をしなかったからでもない。芸能界が隠そうとしてきた『触れてはならないもの』に手を伸ばしてしまった。だから、消される。証拠ごと。自分という存在ごと。そうすることで売れなかったアイドルグループの宣伝になるのなら、やらない理由などないのだろう。
美夏の視界の外側で天導が静かに微笑んだ。
「……ようやく理解したか」
背後で砂利を踏む音が響いた。ひとつではない。いくつも聞こえる。美夏は天導から身を離そうとした。しかし彼の力は思いのほか強く、思うように動けない。美夏は背後に視線を向ける。見知らぬ男たちが、遊歩道の向こうから歩いてくるのが見える。派手な服装の者もいれば、黒一色の者もいる。首元や腕に刺青のある者も少なくない。笑っている者もいれば、無表情の者もいる。彼らに共通しているのは、夕暮れの遊園地にはひどく場違いな連中という一点のみだった。
「なるべく派手にやれ。逮捕されるのは、闇バイトで雇ったガキどもの役目だ」
天導の言葉で、男たちが一斉に動いた。美夏は悲鳴を上げ、必死にもがこうとした。しかし何も変えられない。腕をねじり上げられたかと思うと、鋭い蹴りが腹に入る。視界が大きく揺れ、世界が反転する。
天導は夕日の中で立ったまま、何も言わずに美夏を見ていた。その表情からは、怒りも、焦りも、迷いも、何一つ読み取れない。予定通りに進む仕事を見届けているだけのような顔。美夏はまるで荷物のように男の肩に担ぎ上げられ、遊園地の外れにあるバックヤードに運ばれていった。
◇
時間の感覚が失われていた。どれほど経ったのか分からない。窓のない薄暗い部屋に美夏は監禁されていた。湿ったコンクリートと血や汚物の臭いがする。男たちの笑い声が聞こえる。美夏は床に横たわったまま、ぼんやりと天井を見上げようとした。だが、視界が霞んでいる。輪郭が溶けていく。光も影も区別できない。まぶたを何度も動かすが、何も変わらなかった。
視力が失われつつある中で、耳だけが妙に冴えていた。どこかで扉の閉まる音がした。誰かの足音、笑い声、何かを引きずる音がした。そのたびに体が勝手に震えた。ここでは人の気配は、暴力の気配でしかなかった。
(……私は、ここで終わる)
美夏は他人事のように思った。
テレビもファンも警察も、誰も助けには来ない。いや、仮に助けが来ても、これまでのようには生きられない。ステージに立っても笑えない。誰のことも信用できない。有名人になることに価値を見いだせない。今まで信じていたものを全て失った。自分はこのまま消えていく。それが一番マシなのだろう。そう思った瞬間、どこからともなく声が聞こえた。
「私と契約すれば、復讐の機会を与えよう」
低く、穏やかな声だった。その言葉だけで、世界の音がすべて遠ざかる。
いつからそこにいたのだろう。黒い外套をまとった青年が、美夏の傍らに立っていた。夜よりも深い黒髪。宝石のように静かな赤い瞳。人間とは思えないほど整った顔立ち。風など吹いていないのに、長い髪と外套が舞うように揺れている。霞んだ視界の中で、彼の姿だけはどこまでも明瞭だった。目ではなく脳で直接見ているような感覚がある。
この世の者ではないのだと美夏は確信する。
青年は静かに膝をつき、美夏に右手を差し伸べた。
「私と契約すれば、君を二年前に戻そう」
美夏は震える唇で尋ねる。
「……あなたは」
「私は高次元生命体、名はアザゼル。もっとも、この名は君たちの次元に合わせて用意したものに過ぎない。本来の私に名前はない。私の生きる次元では、過去、現在、未来を区別する必要がないのでね」
美夏は掠れた息を漏らした。アザゼルの話は理解できない。これはきっと夢か幻覚なのだろう。復讐の機会、二年前に戻る、そんな言葉にも惹かれるものはない。今はただ、一刻も早くこの苦痛から解放してほしかった。こんな記憶を抱えたまま、二年前から人生をやり直すのも嫌だった。
それでも美夏はアザゼルの手を取りたいと思った。
彼に手を伸ばそうとして、既に手足を失っていることを思い出した。
「……契約、します」
美夏は瞼を閉じ、小声で呟いた。
その一言を口にした瞬間、横から乱暴な衝撃が走った。
「てめぇ。何をぶつぶつ言ってんだ!」
誰かの怒鳴り声が聞こえた。
蹴られた勢いで、美夏の体が床を転がる。再び強烈な衝撃が走り、彼女の意識はそこで途絶えた。
#回帰
専業プウタ
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コメント
1件
しらなみさん、第1話読みました…!😭💦 いやもう、最初の廃遊園地の描写からしてエモくて不気味で、すごく引き込まれました…! 「伝説のアイドルに」って言われて喜んでた美夏ちゃんが、まさか♡♡♡れちゃうなんて…しかも何もかも騙されてたってのが辛すぎる🥺💔 最後に出てきたアザゼルくん(?)の登場、めっちゃカッコよかったです…!これからどうなるの!?続きが気になりすぎて夜しか眠れないやつだ〜〜〜!!✨