テラーノベル
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世界は光に満ちていた。光しかない世界だった。目を閉じてもなお、まぶたの裏まで染める白い奔流。落ちているのか、浮かんでいるのか、それすらも分からない。足元も、空も、大地もそこには存在しない。ただ、自分という輪郭だけが、白い世界にぽつりと残されていた。 星凪美夏(ほしなぎみか)はゆっくりと目を開く。
「……ここは?」
そこは、どこまでも白かった。空間という概念すら曖昧な場所だった。音も風もなく、自分の声だけが静かに溶けていく。数歩先には、先ほどの青年──アザゼルが立っていた。彼の纏う外套と黒く長い髪だけが、この世界で唯一の色彩だった。
彼は穏やかな口調で美夏の疑問に答える。
「ここは君の意識だけを切り離した場所だ。君の肉体は、まだあちらにある」
美夏は言葉を失った。怖い。だけど不思議と逃げたいとは思わなかった。現実に戻る方が、よほど恐ろしかったからだ。
美夏はアザゼルに静かに尋ねる。もはや泣く気力は残っていない。
「……私は死ぬんですか?」
「正確には、これまで生きた世界の君の命は、このまま尽きる」
その言葉はどこか冷たく、それでいて残酷な優しさがあった。
「私は高次元生命体だ。人類は私たちを神、悪魔、天使など、様々な名で呼んできた。人類から見れば、私たちには超越的な力がある。しかし私の力は万能ではない。私には、時間を巻き戻すことはできない」
「そんな。私を二年前に戻してくれるんじゃなかったの?」
「心配するな、嘘はついていない。時間を巻き戻すことはできないが、君を過去に戻すことはできる」
アザゼルは白い空間に視線を向け、何もないはずの場所へと手をかざした。すると彼の手のそばで透明な水面のようなものが波打ち、ありとあらゆる色彩を持つ無数の輝きが、枝分かれするように広がっていく。
「世界は一つではない」
一本の輝きから枝が伸び、そして枝が分かれる。木のようにも、神経のようにも見える無数の世界が現れる。アザゼルが手を動かすと、色も形も寸分違わぬ輝きがもう一本、現れる。
「デジタルデータを複製するように、私は世界を複製できる。そして複製した世界にいる二年前の君に、今の君の記憶を接続する。それが君たちの言葉で言う、回帰だ」
「もっと前には戻れないの?」
半ば懇願するように、美夏はアザゼルに尋ねた。
二年前には既に、White Noiseはデビューしている。できることならデビュー前に戻り、芸能界とは無縁の人生を歩みたかった。母親は激怒するだろうが、あんな目に遭うよりはマシだ。
しかしアザゼルの返事は無情だった。
「ああ。回帰は二年が限界だ。何故なら、記憶は脳に直接書き込まれるわけではないからだ。回帰前の記憶は、ワールドをまたいだ接続によって保持する形になる。二年以上離れれば、接続を維持できない」
「そうなのね……」
「記憶の外部保持にはメリットもある。回帰前の体験に起因する深刻なPTSDに苦しむことがない。君を殺した者たちに回帰後の世界で出会っても、行動に支障が出るような症状は現れない。復讐にはうってつけだ。ただし──」
アザゼルは美夏に一歩近づく。
「世界がリセットされるわけではない。君がこれまで生きた世界が消えることはない。君の死後も、回帰後も、世界は存続する。君は別の可能性を歩む、もう一人の星凪美夏になるだけだ」
美夏は俯いた。頭の中が整理できない。だが、一つだけ理解できることがある。自分が死んだ後も、月城律(つきしろりつ)は生きている。ずっと一緒にいると約束してくれた彼が、自分のいない世界に残る。彼は悲しむだろう。それともこれは、そうであってほしいと望んでいるだけに過ぎないのだろうか。「月城律は君のことなど何とも思っていない」と天導隆一(てんどうりゅういち)は美夏に言った。証拠の写真を見せながら。しかし天導は信用できない。平気で人を騙し、人殺しも厭わない。彼の出す証拠など、信じるに値しない。あんな写真はAIでいくらでも生成できる──
美夏の内心を見透かすようにアザゼルが付け加える。
「死んだ後のことを思い煩う必要はない。月城律もすぐに死ぬ。君の死から二ヶ月も経たないうちに、天導隆一に殺される形で」
「アザゼル。あなたには未来が見えるの?」
「私には、時の流れは意味を持たない。たとえば、そうだな──君たちは映画を見るように時の流れを認識する。映画の途中で席を立てばその後の物語は分からない。しかし私たちは違う。一本の映画の全てのコマ、全ての音声やサウンドを一瞬で理解するように一つの世界を認識する」
「つまり……もう助からないのね……」
アザゼルは何も言わなかった。その沈黙が答えだった。
美夏は静かに目を伏せた。胸が締め付けられる。世界の強度は圧倒的で、自分はあまりにも無力だ。悔しくて、怖くて、悲しくて仕方がない。それでも心の奥底から、別の感情がゆっくりと湧き上がってきた。それは怒りだった。天導隆一。自分を信じさせた社長であり、笑顔のまま見捨てた男。そして、何も知らず、何も気づかず、アイドルという偶像を眺めながら笑っている人たち。何もかも全てを奪われた。夢も、未来も、人生も。そして恋人の幸せも。美夏は拳を握る。
「……私を二年前に戻してください。復讐の機会が欲しい」
アザゼルは初めて微笑んだ。神、悪魔、天使などと呼ばれるだけのことはある。その笑みは、人間の感情とはどこか違っていた。
「機会は与えよう。だが、結果は保証しない。これは契約だ。奇跡を約束するものではない」
「契約の代償は何?」
「代償は回帰そのものだ」
「意味が分からない」
年相応の不満げな顔を見せる美夏に、アザゼルは悠然と答えた。
「未来の記憶を有する時点で、君は過去の君ではない。未来の記憶は武器になるが、その未来は変化する。君が一つ選択を変えれば、その先も変化する。起きるはずの出来事が起きなくなり、いるはずの者がいなくなり、あるはずのものがそこにない。そのとき感じる喪失が、契約の代償だ。……さあ、始めよう」
アザゼルが手をかざす。白い世界に広がっていた色鮮やかな輝きの枝が、一斉に形を変える。一本の枝を折れば、無数の未来が枝分かれしていく。
そして世界中の光が美夏に流れ込んできた。星々のような光。無数の声。数え切れない世界。意識が引き裂かれそうになる。だが、不思議と苦しさはなかった。アザゼルの声だけが、最後まではっきりと聞こえた。
「君の書き換えた世界を、私に見せてくれ」
世界が崩れる。白が消える。光が弾ける。そして美夏は回帰した。ちょうど二年前の今日、White Noiseの初めてのライブステージに。
コメント
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アザゼルの「世界を複製する」っていう説明、すごく綺麗で怖かった…。記憶だけ持って別の可能性を歩むって、救いなのか呪いなのか分からないのが刺さりました。律くんの死を告げられたときの美夏の絶望、そして復讐を選んだ強さ。二年前の初ライブに戻るラスト、もう目が離せないです🥀
専業プウタ
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