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✧≡≡ FILE_018: 優しい世界 ≡≡✧
──夜の公園。
ベンチに座るドヌーヴは、すっかり酔っていた。
瞳がとろんとして、口元に笑いが張り付いている。まるで笑うことそのものを研究してる途中の人間みたいだ。
「……ほら、立てます?」
総一郎が呆れ顔で肩を貸す。
学生とはいえ、さっきまで恩師をここまで運んできた彼の背中は、なんだかもう、社会人より疲れている。
「夜神くんはいいねぇ……まっすぐで」
「先生はまっすぐ歩けてませんけどね」
「それは、物理的な話だろ」
と、先生はへらへらと笑った。
この男、理屈を酔いで薄めても、結局中身は理屈だ。厄介の化学反応体である。
「もう時期できるんだ」
「何がですか?」
総一郎は、つい問い返してしまう。
──酔っ払いの話は、たいていくだらない。けれど、この人の“くだらない”は、たまに世界をひっくり返す。
「夢の金属だ……」
──夢を語る人間ほど、目が醒めている。
しかし、呂律は回っていない。
「金属、ですか」
「そう。……熱を持たず、電気を常に流し続ける。夢のような物質だ」
「それって……そんなもの、本当に……」
「できる。いや、もうすぐ“できてしまう”んだ」
笑いながら言うその“しまう”が、どうしようもなく怖かった。
「もしそれが完成したら、多くの人が救われる。貧しい国にも電気が通って、寒さで死ぬ子どもはいなくなる。それに──」
先生は少し顔を上げて、夜空を見た。
「“犯罪”だって、なくなるかもしれない」
──その言葉が落ちた瞬間、総一郎の脳内に、文字通り「?」が光った。
あまりに唐突で、総一郎は思わず眉をひそめた。犯罪と金属の間に、どんな回路があるというのか。
先生は酔った勢いで構わず続けた。
「ルミライトが実用化されれば、すべてのインフラが変わる」
先生の声が落ち着いていた。
「電気があれば、街中どこにでも“目”が置ける。監視カメラだ。電力コストを気にせず、24時間稼働できるから、“すべてを見ている社会”になる」
少し風が吹いた。街灯の光が二人の影を揺らす。
彼の口調はどこまでも真っ直ぐだ。
「つまり……監視社会になるってことですか?」
「そう」
先生は夜空を見上げる。
「悪事を働こうとした瞬間、映像が残り、即座に個人が特定される。そんな社会になれば、誰も“犯罪をしよう”とは思わない。“やってもすぐバレる”。ならば、犯罪を選ばなくなる──」
酔っているはずなのに、先生の声には濁りがなかった。
明確で、冷たくて、まっすぐだ。
「ルミライトが広がれば、監視カメラの死角はなくなり、昼も夜も関係ない。暗視、熱感知、顔認識。それらを搭載し、カメラは悪事を見逃さない。人の目よりも、監視カメラ──証拠さえあれば、裁判で勝てるからね」
総一郎は息を呑む。
それは比喩じゃない。
“本当に、世界のすべてが見える社会”だ。
「そんな社会になれば、犯罪は減ると思わないか?」
その声は穏やかだった。春風のように。
──減る。そう思ってしまった。
犯罪が“できない”世界では、人も“しようとしなくなる”。
欲望より先に、誰かの目がそれを止める。
そんな世界がもし、本当に存在するなら──
「──優しい世界ですね」
ぽつりと零したその言葉に、先生は目を細めた。
けれど、その表情は微笑みでも満足でもなく──ほんの、かすかな痛みを湛えていた。
「……それを目指しているんだ、俺は」
その声は夜風よりも低く、街灯よりも淡い。
「法を学んで、法を教えて……ずっと思っていた。“法は正義だ”って言う人がいるけど──俺は違うと思う」
総一郎は黙って聞いていた。
元法学教授であり、発明家であり、理想主義者でもあるこの人が、“正義”という言葉を批難する姿を初めて見た。
「法律っていうのは、“犯罪が起きたあとに機能するもの”であって、全部、事後対応だ。いくら法を整備しても、裁判を厳格にしても、人が悪いことをしようと決めた瞬間を止めることはできない。世の中が“最初から悪事を起こさせない世界”になったら──」
酔っているのに、その語りには一点の迷いもなかった。
「世界は確実に良い方向へ進むと思うんだ」
彼にとっては、“計算可能な現実”。
どこかに向けた言葉と言うより、何度も自分が夢に見た世界のように響いた。
「だから、ルミライトが必要なんだ」
──心では止められない衝動を、彼は“仕組み”で止めようとしている。
「俺はね、人の善意に頼らない世界がいちばん優しいと思ってる」
“人は変われる”ではなく──“人が変わらなくても平和でいられる”世界。それが彼の掲げる理想であり、祈りであり、研究の目的だった。
「法は、正義の最後の砦でしかない。──犯罪のない世界、俺はそういう“優しい世界”を作りたい」
唐突に語られた先生の“目的”は、あまりにも真っ直ぐで逆に耳を打った。
「法を知っていても、それで悪事を止められるわけじゃない。起こってしまった事件に名前をつけて、理由を探して、罰を与える。そういうことじゃなくて──そもそも、事件が起こらない世界の方が、よっぽど価値がある」
この人は本当に“覚悟”してる。未来に責任を持とうとしている。
「だから、発明家になった」
ぽつりと落とされた一言。
総一郎の目が見開かれる。
「犯罪を起こさせない技術を作るために。誰かを疑わなくて済む世界を作るために」
先生は、未来を“裁く側”から、“防ぐ側”へと自分の人生の舵を切った人間だ。
それは、誰かに認めてほしくて言った言葉じゃない。ただ、自分の進んだ道を言葉にしただけ。
けれど、総一郎の胸には──驚くほど深く刺さった。
(……この人は、ほんとうにすごい)
尊敬は、すでにしていた。
講義の姿勢も、法への造詣も、教育者としての在り方も。
けれど今、この瞬間──それらすべてが“前座”に思えた。
──これは、覚悟の話だ。
知識や技術の話じゃない。
“どう生きるか”という根本の問いに、この人はとうの昔に答えを出していた。
「……すごいですね、先生」
思わずこぼれたその言葉に、先生は肩をすくめて笑った。
「なにが」
「……全部がです」
答えになっていない答えだったが、それ以上の言葉は出なかった。
人の善意に頼らない。
人の過ちを前提にしない。
最初から“誰も悪いことができない世界”をつくろうとする、その志に、総一郎は圧倒されていた。
ここにいたのは、ただの酔っぱらいでも、ただの法学者でもない。
未来に責任を持とうとしている人間だ。
誰よりも優しく、誰よりも冷静で、誰よりも“世界を信じていない”からこそ、“みんなが信じられる世界”を作ろうとしている──
──光みたいな人だと、思った。
まぶしくて。
眩しくて。
でも決して見下ろしてこない。
ただ、自分が照らすべきものの方角に向かって、確実に進んでいる。自分の信じる“優しい世界”に向かって、まっすぐに。
あの光は、きっと誰かの影を照らすためにある。
総一郎は、その夜、ほんとうに心から思った。
この人の言葉を忘れてはいけない。
これから先、自分が何かを選ぶたびに先生の声が頭の中に響いてしまうだろう──そんな気がした。