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「きゃーー!いやだーー!京介さん!」
「な、な、何を大声で!義姉上《あねうえ》!」
「京介さんの大声よりましよーー!」
芳子の叫びが響き渡っている。
月子も何事が起こったのかと、つい立ち上がっていた。
皆がいる部屋へ行った方がよいのだろうと月子は思い、縁側伝いに足を運んだ。
部屋の障子は開け放たれており、恐る恐る覗く月子の姿は、すぐに皆の目についた。
「月子さん!すまない!」
「月子さん!京介さんが!ああ!!」
男爵夫妻は、月子の姿を見たとたん、頭を下げる。
「え?!あ!あの!!」
「なんですか!二人して!月子も驚いている!そもそも!同居もしている、恋仲ですよっ!口付けのひとつやふたつ!そうなるでしょう!!」
「それっ!それだよ!京介!見合いはしたが、祝言はまだだろう!」
「そうよ!京一さん!京介さんにちゃんと言わないと!」
「あぁ!!月子さん!すまん!祝言は早急に挙げる!どうか、京介のやったことは、堪えてくれないだろうかっ!」
男爵夫婦は再び頭を深々と下げた。
「……口……口付け」
月子は恥ずかしさから卒倒しそうになっていた。
男爵夫婦がひたすら頭を下げてくるのも困りものだが、話の流れ的に、おそらく、というよりも、岩崎が完全に男爵夫婦へ月子と二人で行った事を話してしまっている。
なぜ、口付けたと、その様なことを岩崎は平気で、しかも、例のごとく大きな声で話すのだろう。
「あぁ!!月子さんの操《みさお》がっ!」
「そうだぞ!京介!芳子の言う通りだ!いくら、見合いを受けたからと言っても!まだ祝言前だと言うのに!お前は!なんて事をしでかしたんだ!けじめというものが京介、お前にはないのかっ!」
芳子は、わんわん泣き出し、男爵は京介へ怒りをぶつけている。
月子は、恥ずかしさと騒がしさから目の前が真っ暗になった。
倒れそうになりつつも、なんとか堪えているのにも関わらず、岩崎が、また大声を張り上げた。
「ですから、何度も言うように、口付けも、私はちゃんと心を込めて優しく対応しました!決して軽い気持ちではありません!!」
月子は、くらくら目が回った。
だから、どうして、岩崎はペラペラ喋るのだろう。
「や、やめてっぇーー!!いい加減にしてっっ!!」
どこからこんな大声がと、月子自身も驚くほどの叫びをあげ、気がつけば、縁側を駆けていた。
挫いた足が、まだ少し痛んだが、そんなことよりも、我慢できない感情が胸の奥から込み上げて来て、月子は、母さん、と呟いていた。
その呟きが通じたのか、いや、この騒ぎに気がついたのだろう、障子を開けて、母が顔を覗かせている。
「母さん!!」
月子は、たまらなくなり、母の元へ駆け込んだ。
大粒の涙を流しながら、月子は、母にしがみつく。
痩せこけた体だったが、それでも、月子の荒れた心は静まって行く。
「月子、なんとなく母さんもね、理由はわかってるから、安心おし。びっくりしたかもしれないけれどね、大丈夫だよ」
あれだけの大声対決的な状態では、流石に母の耳にも入るだろう。
今更、事情を話さなくても良いのは助かるのだが……、母に知られてしまっているというのも恥ずかしく、月子は、オロオロするばかりだった。
「月子様。もうお一方も、オロオロ、ドギマギ、されておりますよ?どうしますか?」
梅子が、笑いを堪えながら障子を見ている。
閉めてある母の部屋の障子には、行ったり来たりしている岩崎の姿が、日光に照らされ写っていた。
と──。
小さな陰が現れて、ゆらゆら揺れている。
続いて、ぴーぴーと、良く通る唄声が流れて来た。
「あっ、さっきの曲ですねぇ」
不思議そうに梅子が言うが、追うように、外国語の歌詞が続いた。
「……セレナーデ……」
恋しい人へ、窓の外から唄う曲を、岩崎がお咲を使って、障子の外から唄っていた。
「月子、許してあげたら?岩崎様は、悪い人じゃないと思うよ?」
母の言う通り、岩崎は、悪い人ではない。絶対に。ただ、少し声が大きくて……明け透けなのだ。
「……岩崎様なりに、頑張ってるようだけど?」
母は、月子の手を取ると少し首を傾げた。
「……母さん」
「素敵な唄声だねぇ?月子?」
柔らかい母の笑みに月子もつられて微笑んでいた。
岩崎は少しだけ、いや、だいぶん不器用な所があるだけなのだ。裏表はなく、常に月子を気遣ってくれる。
そして。今は。
──自分の元へ来てくれ、幸せにしてくれ、と、岩崎は月子へ唄いかけていた。
「ふふふ……お咲ちゃんも、大変だ」
月子が、呟く。
「そうだねぇ。でも、お咲ちゃんも、凄いよねぇ」
飄々と言う母に、月子は、つい笑った。