行きなり障子が開いた。
ぴぃー、とセレナーデの曲を唄い上げたお咲が、ひょっこり顔を覗かせる。
「はいはい、縁側からごめんなさいよ!で?あの人は、何してるわけ?!」
お咲の背後から、岩崎を揶揄する若い男の声がした。
「あれ?田口屋の二代目さん!旦那様達はあちらの部屋ですよ?」
梅子は、二代目と面識があるのかこなれた口調で言う。
どこから、何の為に現れたのかは、月子にも皆目分からなかったが、確かに二代目がいた。
「あー!岩崎の旦那には、挨拶済ませて来たから。なんだか、夫人が、うるさかったから、退散してきたのさっ。そしたら、ぴーぴーお咲が唄ってて、いい年したおっさんまで、縁側で唄ってて、なんなんだと、気になるでしょ?!おまけに、大の大人のくせに、こそこそ、隣の部屋に隠れてんだよ?梅ちゃん、なんなの?!何があったのよ?!」
とぼけつつ、二代目は、ひたすら岩崎をこき下ろす。
「えっと、なんだか、よくわかりません。京介様がお一人で唄い始めて……ああ、お咲ちゃんも唄ってましたけど?」
「まあ、いいや。あんな、おっさんのことは。梅ちゃん!船橋屋の芋羊羹買ってきたから、みんなで食べなよ」
「えっ!船橋屋の!!」
梅子が歓声をあげた。
「いもーー!!」
お咲まで、瞳を輝かせている。
「あれ?お咲、お前さん、芋好きなのかい?」
二代目の問いに、お咲は、コクコク頷いた。
「そうか!お咲!浅草名物、船橋屋の芋羊羹だぞ!食べたら、ほっぺが落っこちることまちがいなしだっ!」
包みを差し出しながら言う二代目に、お咲は歓声をあげた。
「えーと、そうですね、ここではなんですので、皆様、お隣のお部屋で……」
梅子が、ちらりと月子を見る。
おそらく、母への気遣いと、病を気にしてという意味合いだろうと月子には分かった。
今まで、散々病にかこつけ避けられた。
だから、梅子の言いたい事は良くわかるのだが、不思議と嫌な気持ちになることはなく、月子は素直に梅子の言うことを受け入れられた。
多分、言い方、なのだろうと月子は思う。そして、梅子に悪気が一切無いという事が、一番大きな理由ではないだろうか。
「あっ、そう?梅ちゃんがそう言うなら、俺は、どこでも構わないよ?おっさんなんか、排除して、隣の部屋に若い者通し集まって芋羊羹摘まむのも、おつじゃないかい?ねっ、月子ちゃん?」
「つ、月子は関係ないだろうっ!」
慌てきる岩崎の声が響いて来た。
「えっ、関係ないって?!梅ちゃん!あのおっさんは、月子ちゃんには、芋羊羹食わせないらしいよ?!」
あー、おっさんはこれだから、などと言いつつ、二代目はお咲を手招き、さっさと隣の部屋へ入って行った。
たちまちに岩崎の大声が響き渡る。
「二代目!私は、月子に芋羊羹を食べさせないとは言ってないぞ!!むしろ、月子に全部譲ってやりたいほどだ!」
「何言ってんだよ。芋羊羹は、若い者通しで楽しく食べるんだよ!そんな大きな声を出すおっさんが居る方が邪魔だわっ!!」
お咲にも食わせてやれと、二代目が叫び、お咲も、いも!!と叫んでいる。
「月子。少し放っておきなさいな……」
困りきる月子へ、母は、クスクス笑いながら言った。
「あっ、私は皆さんのお茶の用意をしてきますね。取り皿もいりますよねー。戻って来る頃には、修まってますよ」
梅子も、男二人の言い合いなど気にとめることなく、笑いながら出て行った。
「何を屁理屈言っている!二代目!お前こそ何で居るのだ!!」
「うっせぇーよ!その大声なんとかしろよっ!ほんと、おっさんじゃねぇかっ!!若者は、そんな馬鹿みたいに叫ばねぇんだ!!」
「答えになってないぞっ!二代目!!」
「しつこいねぇ!俺は、岩崎の旦那に頼まれて、人の手配を受けに来たんだ!仕事だ、仕事!!京さん!あんたも、つべこべ言わずに、さっさと演奏会の準備にとりかかりな!」
「わかっている!というよりも、演奏会の準備について、二代目!お前が指図する筋合いはない!なぜ、演奏会の話などするのだっ?!」
「だから、仕事!それが、今回の依頼だよっ!演奏会の客寄せ頼まれたんだっ!」
「……客寄せって、それは、つまり、演奏会にサクラを用意するということなのか?!」
なんだそれわっ!と、岩崎のすっとんきょうな声が流れた。
「……月子、なんだか、演奏会ってのは、大がかりな物になりそうだね……」
演奏会に観客から動員するというべきか、雇うというべきか、何か大がかりな事を男爵がしようとしているようで、月子も、母と二人、顔を見合わせるしか出来ない。
更に勢いを増した男達の声は流れて来る。
そこから判断すると、どうやら、芳子の初舞台を成功させるに為に、観客席が空席だと困るという理由から、二代目へ男爵が観客動員をと声をかけ、ついでに、やはり、お咲では、月子の世話は無理と、お咲の世話をする女中と、月子の世話をする女中も手配したようだった。
「なんだか、男爵家というのは、大変な所なんだねぇ」
月子の母も、流石に唖然としている。
「母さん……」
「どうするかは、もう決まっているのだから……月子は、従っておきなさい」
頷き合う月子親子とは裏腹に、
「なんだそれわっ!!」
と、案の定、岩崎は吠え、二代目との言い争いは収まりそうになかった。
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