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ヒルデガルドの腰に手を回して抱え、飛び跳ねようとする。彼女の背中に、イルネスがぴょんと服を掴んで張り付いた。
「カッカッカ! 振り落とされるんじゃねえぞ!」
「わかっとるわい。ぬしは儂をなんだと思って──」
ぐんっ、と身体が引っ張られるような感覚に舌を噛みそうになった。ヤマヒメはなんの遠慮もなく、彼女の言葉に興味など示さず、さっさと地面を蹴っ飛ばして一気に自身の塒まで飛び跳ねた。風邪を引きそうなほどの冷たい風に晒されたヒルデガルドは、フードで顔を覆って隠し、くしゅん、と小さなくしゃみをする。
歩きならば半日は掛かりそうな距離を、ヤマヒメは森を飛び越えて僅かな時間で辿り着き、二人を降ろす。
「空の旅はどうだったね。中々楽しかったんじゃないか?」
「私は遠慮願いたい。久しぶりに寒いと思ったよ」
飛空艇の墜落を防ごうと命懸けだったとき以来の凍えるような寒さだった。幸いにも、時間はうんと短かったので、指先が千切れそうにはならなかったが。
「くっく、変わった奴だのお! まあいい。それよりも、ほれ。ここが我らが里──ホウジョウの都、マガトキ。よくぞ参られた客人!」
巨大な木々でつくられた杭の壁はどこまでも続き、器用に造られた落とし格子の門の前で、鬼人と思しき大男二人が立っていた。彼らはヤマヒメが帰って来たのに気付くなり、即座に跪いて「お帰りなさいませ、われらが|主君《あるじ》よ」と、深々に頭を垂れる。彼女の「良い」という、ひと言があってから、彼らは門を開く。
「ついて参れ。わちきが案内してやろう」
誘われるがまま、鬼人の里へ足を踏み入れる。しかし、ヒルデガルドもイルネスも、口をぽかんと開けて驚くほど、そこにはどこにでもあるような人間の暮らしと同じ光景がある。少し違うと感じたのは、建物の造りだった。
「きれいだろう、わちきらの里は。貴様、さっきはひょうたんが古いと言っていたが、建物はどうだ。大陸では、やはりもっと進んでいるか?」
ヒルデガルドは首を横に振った。
「分からない。私たちは素焼きの瓦屋根を使うが……こっちはそもそもから違うみたいだし、どちらが良いのか、私には専門的な知識はないんだ」
ヤマヒメが残念そうに頬を掻く。
「んむ、そうかい。ここは全部が板葺きでなあ。古くなってきたら、板を張り替えなくちゃあならんで、もっといい技術があるってんなら聞きたかっただけだ、気にすんな。期待はしてねえさ、都合よく教えてもらえるとも思っちゃいねえ」
からんころんと、ヤマヒメが歩くたびに履物が軽快な音をたてた。ヒルデガルドは、その見慣れない靴をジッと見つめた。
「なあ、ヤマヒメ。それはどういう靴なんだ?」
「クツぅ? わちきが履いとるコレは下駄っちゅうんだ」
「……下駄。歩きにくくないのか」
「わちきらはなんも思ったことはねえよ」
文化そのものに大きな違いがいくつかあるのだろうか、とヒルデガルドが興味津々に周囲を見回すと、下駄以外にも、底に突起の無いものを履いて歩く者がいるので、彼女はそれを「こっちはなんだ、違う種類か?」と指をさして尋ねる。
クックッ、とヤマヒメが笑いを堪えながら。
「ありゃあ草履っつう奴だ。今の奴が履いてたのは藁で編んでんだ。財のある奴ぁ、もっと良い素材を使ってるが、まあ、藁も履き心地は悪くねえ」
そうだっ、と思いついてヤマヒメは手をぱんっと叩いて大きく鳴らし、くるっと後ろをついてくる二人を振り返って。
「良い事思いついたぜ。てめえら、郷に入っては郷に従えって言葉を知ってるか? せっかくだから、わちきらの文化ってもんに触れてみろ!」
びしっと遠くを指差して、彼女は言った。
「まずは呉服屋だ! てめえらの恰好はここじゃ似合わねえから目立っちまうし、わちきが一緒だから安全だが、いなけりゃ喧嘩を吹っ掛ける馬鹿もいるかもしれねえ。なにしろ、どいつも気性は荒っぽいんだ。男でも女でもよ」
ヒルデガルドとイルネスの手をがっちり掴んで歩きだす。
「わちきらの服は、ここいらじゃ着物って呼んでてよう! 昔、この島に暮らしてた人間共が、そういう文化を持ってたんだよ。それを習って、こうして皆着てるってわけ。それまでは適当な布をそれっぽく体に巻いてただけでねえ」
「……その昔に暮らしてた人間は、もういないのか」
疑いのまなざしを向けられて、ヤマヒメはニカッと笑う。
「安心せい、喰ったりはしてねえ。最後の一人まで看取ってやったよ。わちきらは魔物とはいえ、礼は尽くす。もちろん、無礼に対しては無礼で返すがね」
ふんふんと鼻歌を歌いながら機嫌よく歩く。アバドンのことはとにかく気に入らなかったが、ヒルデガルドとイルネスを彼女はとても良く思い、大陸の話も多く聞けるやも、という期待で胸がいっぱいだった。
「ん? おい、ヤマヒメ。何か揉めてるみたいだが」
「ありゃあ。なんだ、わちきのいねえ間に何かあったか」
そこは、彼女が連れて行こうとした呉服屋だ。背の低い小さな鬼人の男がぺこぺこと頭を下げ、大きな鬼人たち数名に「もう少し待ってください、お願いします」と、必死の形相だった。
「仕方ねえなあ。服を買いに来たってのに、馬鹿共が」