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放課後。教室にはまだ数人が残っていた。
部活に行く前の寄り道、雑談、忘れ物を取りに来た誰か。
ただの「学校の日常」のはずだった。
なのに、蓮司が教壇に寄りかかった瞬間から、空気が変わった。
「──なあ、日下部」
蓮司が名指しする。
わざとらしいほど明るい声。
なのに、その声が、空間の重力を一段階下げた。
「今日の体育、見てたよ。おまえさ……意外と、足速いんだな?」
「……は?」
日下部が顔を上げる。
蓮司は笑っていた。軽く、軽く。
何も考えていないような表情で、日下部の肩に手を置く。
「なにって、ほら──おまえ、遥のこと好きだろ?」
一拍、沈黙。
まるで冗談めいた言葉に、周囲の何人かがちらりと視線を寄せた。
日下部は動かない。
ただ、肩の上の手が焼けつくように熱い。
「いやさ、“好き”っていうかさ」
蓮司は指を滑らせる。
肩から、二の腕。袖口の布を、爪で引っ掻く。
「“守りたい”とか、“わかってやれるの自分だけ”って、思ってるんじゃない? そういうの、ちょっとダサいけど……まあ、嫌いじゃないな」
日下部の目が動いた。
誰かがこちらを見ていることに気づいた。
蓮司はわざと声を落とさない。
距離は縮めても、会話の音量は保ったまま。
「でもさ。遥って、“汚れてる”って思ってるよ」
「“もう誰にも触られちゃいけない”って、ちゃんと自分で思ってんの。──おまえのことも、例外じゃないよ?」
言葉は冗談。けれど、確実に打ち込まれる。
日下部は、目の奥を押さえ込むようにして視線を伏せる。
教室の片隅、窓際。
遥は机に頬杖をついたまま、その光景を見ていた。
(……また)
胸の奥がじくじくと痛んだ。
蓮司が何をしているのかは、すぐにわかった。
見せびらかす。
壊れる瞬間を、演出して。
そのすぐ近くに、自分を座らせる。
(俺のせいで)
(また、日下部が……)
日下部は声を出さなかった。
蓮司の手を振り払うこともなかった。
肩の上の手が、まるで罰のように、重く見えた。
遥は、立ち上がれなかった。
あのときの声が、頭の奥で木霊していた。
──「おまえが欲しかったの、あれだろ。痛いくらい、ちゃんと触れてくれるやつ」
(違う)
そう思いたいのに、喉の奥が焼けつくように塞がっていた。
(俺は──また、誰かを壊してる)