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部活が始まる前の、体育倉庫。器具の移動で呼び出され、日下部はひとりで倉庫に入った。
中は埃っぽく、重い空気が淀んでいた。
跳び箱、マット、折りたたまれた平均台。
奥まで光は届かず、扉を閉めれば外の音も遠のく。
「──ちょうどよかった」
振り返ると、蓮司がいた。
いつの間にか後ろに立っていて、いつもの調子で笑っている。
「ちょっとさ、話あるんだよね。あんま人に聞かれたくないやつ」
扉が閉まる。
静寂が一気に深まった。
「……帰れよ」
日下部が低く言う。
「こわ。いや、何もしないって。ねえ──」
不意に、蓮司の手が伸びる。
ジャージの腰を掴まれる。
ほんのわずか、引き寄せられる。
「なんで、そんなに焦るの?」
「やっぱ、遥のこと、好きなんだ?」
その言葉が落ちると同時に、蓮司は日下部の頬に触れた。
やさしくも、荒々しくもない。ただ、“当てるだけ”の距離。
「その顔、もっと見たいんだけどな。……怖いんだろ? 俺のこと」
「……おまえ、ふざけんな」
日下部の声は震えていた。
けれどその手は動かない。押し返すには、あまりに接触が近すぎた。
蓮司は耳元で囁くように続ける。
「遥、見てたよ。おまえが黙ってたの」
「だから俺、ちょっと楽になったんだよね」
「おまえも──俺と同じで、壊す側だろ?」
日下部の呼吸が浅くなる。
「違う……」
「じゃあ、なんで声出さなかった?」
言葉が、喉に棘のように刺さる。
「だってさ。好きなら、守るでしょ?」
「でも黙った。じゃあ、“俺と同じ”でしょ」
その論理の暴力に、日下部は言い返せない。
蓮司は最後に軽く笑った。
「おまえが反応してくれるとさ──遥も、面白くなるかもな」
「……あいつ、最近また壊れそうな顔してんじゃん」
蓮司は触れていた手を引き、静かに出て行った。
閉じられたままの体育倉庫に、日下部はしばらく動けなかった。