坊主の嫁になってから、辛い事がいっぱいありましたが今思うと、あれは精神的DVだったな~と思い、思い出しながら愚痴を書いていこうと思います。
大学の時に知り合った旦那(以下糞坊主)に「俺次男だから寺継がないし」「家も出るしマンション借りるし」という素晴らしい前振りをされ結婚しますが、前振りだけあってもちろん坊主だし家もでません。そういえば「働かなくて良い、家にいてくれるだけで良い」という前振りもされていました。成る程、もちろん真逆になります。
東京の寺の坊主の嫁になってから、年中無休で働かされます。まず居るだけで良いから接客をしろと言われます。もちろん何の説明もありません。嫌だと言うと、じゃあ庭の水やりをしろと言われます。朝5時に起きて、昼3時くらいまでかかります。寺の紫陽花やら蓮やらの水やり、糞坊主の親の家の庭の野菜やら何やらの水やり、その頃育てていた鷺草(プランター百個くらい)の水やり糞坊主の兄夫婦の家の庭の水やり、その頃誰だかから預かっていた盆栽50個くらいの水やり。
その頃、朝起きて日焼け止めを塗っていた私に向かって糞坊主が言った名言「そんな事する暇があるなら仕事しろよ」今でも語り継がれています。
水やりが終わったら寺の仕事、塔婆を運んだり季節のものを出したりしまったり、バザーの準備したりその時によって変わります。
それから糞坊主の父親の趣味のものを運ぶ手伝い。
大体終わるのが夜8時くらい。たまにもっと遅くなる。これが本当にイライラした。私はパッパッとやって早く終わらせて帰りたい。糞坊主達は話ながらダラダラダラダラ。
ちなみに糞坊主の兄夫婦は何もしていません。言うなればパチンコしてます。
一度癌になって玉を一つ無くしてからそれはもう可愛いがられています。働かずに私達よりもよっぽど良い給料を貰っています。子供を有名な幼稚園に入れ修学旅行の北海道に付いて行ったりと好き放題しています。
彼の母親は「寺継いだら遊ぶ暇無くなるからね~」と言っていました。
紫陽花を一つ枯らしました。私のせいにされて怒られました。「サボってる」との事でした。その日から糞坊主の母親の監視が付くようになりました。それまでは大量に蚊に刺されながらも、好きな音楽を聞いて、たまに歌いながら楽しくやっていたのですが、それも出来なくなりました。限界が来たとき「水やりやめたい」と言いました。そこでまた糞坊主の名言「じゃあ何するの!!」これは使い勝手が悪いので使われていません。
今だったら「てめえの世話してんだよ!」とでも言い返せますが、当時は洗脳されていたので何も言い返しません。当時の洗脳のセリフは今は就職難だから働けるだけ幸せとか結婚出来ない女をとぼしめたりとかそんな感じだったかな~。
そして私の仕事は糞坊主の兄夫婦の子供の世話と内職になりました。どうしても働かせたいようです(笑)
朝から晩まで子供の世話それから家に帰って内職(袋に紙と飴を詰める、お金持ちセットという袋に飴や塩や五円玉等を詰める、五円玉に紐を結ぶ、半紙を切ったり色付けしたりテープまいたりして花を作る、これらを全て三百五十くらい)
子供は懐いて可愛くなったりもしますが、この頃が一番死のうと思っていました。絶対に本堂で首つって死んでやろうと、二度と寺が出来なくなればいい。私を好きな人皆に恨まれれば良いと思ってました。
多分寝れる時間が二時間だったからぶっ飛んじゃったんでしょうね。寝ようとしても、明日が来るのが嫌で眠れませんでした。
実母から「旦那はおだてて持ち上げて言うことを聞かせば良い」とか「○○さんはどんなに嫌な事があっても旦那の悪口を絶対言わないから偉い」だとかを当時の素直な私は聞き入れて、実行していました。
なので、糞坊主の兄から会う度に顔も合わせず独り言のように聞こえるように悪口を言われても、糞坊主の父親から「内職だけは早いんだな」と嫌みを言われても、糞坊主の母親から「なんで兄夫婦の子供が汚した所を拭かないの!」と、兄嫁が子供と居る時に兄嫁の前で怒られても、兄嫁がそれを当然とした顔で見ていても、糞坊主に「子供が出来たら生活全部変わるから」と言いくるめられても、誰にも何も言いませんでした。
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