帰ってきても誰もいないリビング。月明かりが窓から差し込み薄暗い部屋。何もする気が起きず電気も付けずにドサっとソファーに座り込む。着替えないでそのまま隆ちゃんを追いかけたから仕事帰りにのままだ。でも皺になろうがどうでもいい。動きたくない。――疲れた。
何分、いや何時間ボーッとしていたか分からない。
「うおっ、み、美桜!?」
玄関が開く音なんて聞こえなかった。驚く隆ちゃんが目の前に映っている。でも声を出す気力も出ない。
「……美桜? 大丈夫か? どうした!?」
焦っているように見える隆ちゃんに何かを言う力も出ない。
(その驚いた表情……見たくない……)
頬をツーっと涙がつたる。止めようとも思えない。身体に力が入らない。
「美桜!? どうした!? 何があったんだよ」
焦りに焦った初めて見る彼の表情。私以外にこの人のいろんな表情を見ていた人が居たと思うと沸々と怒りでさえ湧き出てきてしまう。
「……何でもない」
「何でもない訳ないだろ!?」
私をギュッと抱きしめ、どうしたんだ、大丈夫か、と連呼する。彼に抱きしめられると嬉しくて、ホッとして、少しだけ身体に力が入りゆっくり彼を抱きしめ返した。
「隆ちゃんだって……何でもないって……毎日毎日、私になんか、内緒にしてる……」
「嘘ついてるよね……」
一度言葉に出してしまうとポロリ、ポロリと言葉が出てしまう。
私の言葉を聞いた瞬間隆ちゃんの身体が強張った。
「み、美桜? 何言ってんだ?」
彼の少し声が震えている。必死で隠そうとしているのか。それほどまでにあの男の人の存在がバレたくないのか。
「……実家に行くって行って違う所に行ってた。隆ちゃんって同性愛者だったんだね……」
グイッと密着していた身体を剥がされ、両肩を掴まれる。
「ちょ、ちょっとまて、俺が同性愛者ってどう言う事!? 何で急にそうなった?」
「だって男の人に抱きしめられてた」
隆ちゃんの顔を見るのが辛くて目線を逸らした。
「……美桜、もしかして俺の後つけてたの?」
表情を見てなくても分かる。呆れたような声。
「ごめんなさい……隆ちゃん実家に行く理由教えてくれなくて、毎日毎日帰りが遅いし、ちょっと不安になっちゃって……ご、ごめんなさいっ」
なんで私が謝ってるの? と思いながらも謝るのをやめられず、溢れ出てくる涙を止める事も出来ない。
「っつ……本当にごめん! まさかこんなに美桜を不安にさせてたなんて……ちゃんと理由言えば良かったよな。でも決して浮気でもなければ、俺は同性愛者じゃなくて、美桜だけが好きだよ」
クイッと優しく顔を上げられ涙で潤んだ視界に真剣な眼差しの隆ちゃんが映し出される。けれど彼は深い深い溜息をついた。
「ちゃんと理由を言うから……聞いてくれるか」
泣き過ぎて答えられず、コクンと頷く。
「最初に言うけど、俺は美桜だけが好きだからな。でもこの話を聞いて……き、嫌いにならないでくれよ……」
月明かりに照らされた隆ちゃんの顔は眉間に皺を寄せ少し困った表情だった。
「……美桜は漫画が好きだろ、でも読んでる漫画は男と女の恋愛でBLは読んでないって最初に言ってたもんな。だからますます言いづらいと言うか……」
ほんの数秒の沈黙の後、頭を掻きながら決心したかのように口を開く。
「俺の姉がBL漫画家なんだよ。それで……原稿書くのに呼び出されてて、多分美桜が見た男の人も姉の担当編集者さんだと思う。俺、あの人と原稿の資料の為だからって……その、か、絡まされてるんだよ……決してやましいアレではないんだけどな。たけど、BL好きな人じゃない限り男同士が絡んでるってちょっと抵抗ないか?」
おっと。思考回路がまたもついていかなくて頭の中がぐちゃぐちゃになっている。つまり、隆ちゃんは私が腐女子と言う事を知らない故に、自分が姉の漫画の資料にされている事を私に知られたくなかったって事……かな?
「……お姉さんペンネームは?」
「確か高森亜也だったかな」
全身の細胞がザワザワと騒ぎ出す。心臓がバクバクと激しく動く。
(え、ちょっと待って? あの私の一番推しの高森亜也先生が隆ちゃんのお姉さんで、そのBLの資料に隆ちゃんが使われてて、え、それってやばすぎる!!! 凄すぎる!!!)
「隆ちゃん……私も隆ちゃんに嘘ついてた事があるんだけど……ちょっと来てもらえるかな?」
テンションが上がりきってるのを悟られないよう、落ち着いたトーンで話す。さっきまで身体に全く力が入らなかったのに、今じゃ身体の奥から力がみなぎるように興奮し、身体が火照っている。
ずっと隠していこうと思っていた宝庫(BL漫画が入ってる段ボール)を開く。もちろん手に取ったのは高森亜也先生の作品だ。
「隆ちゃん……私本当はBL大好きな腐女子なんです。隠しててごめんなさいっ!」
バンっと隆ちゃんの目の前に表紙を突き出し、精一杯身体を折り曲げて謝る。嘘ついててごめんなさい! と。
「え……ま、まじで?」
チラッと隆ちゃんの顔を覗き込むと目を大きく見開き、手に口を当てて、かなり驚いた顔をしている。
「ま、まじなんです……BL好きっていうと、その、引かれるかなって思って、あの、言えなかったんだよね……好きな物は誰にも貶されずに一人で楽しんだ方がいいなって、ずっとそうしてきたから。内緒で一人の時間にBL読んでました。なんなら隆ちゃんがお姉さんの仕事手伝ってていない間ずっとBL読んで至福の時間を過ごしてました! ごめんなさい!」
「いや、俺は身内があれだからBLが好きでも引かないけど、まさか美桜が腐女子で、しかも姉のファンって……なんかもう笑えてくるな」
クククッと肩を揺らし笑う隆ちゃん。つられて私も笑みがこぼれる。
こんな事なら最初から素直にBLも好きです、って言えば良かった。そしたらお互い嘘をつかないでいれたのかもしれない。お互いの変な偏見のせいで、危うくすれ違うところだった。(いや、一回すれ違ったか)
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