コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
その日の夜。
指月は山の上から、月明かりと母屋からの灯りに照らし出された夏菜の屋敷の裏庭を見ていた。
そこでは楽しげに雪丸が斧をふるっており。
夏菜や有生、そして見た目マフィアだが、何故かスリの銀次っぽい男が切り株に座って、雪丸を眺めていた。
……楽しそうだな、と指月が思ったとき、いつか自分を罠から助けてくれた加藤が縁側を通りかかった。
こちらを見上げ、声を張り上げてくる。
「やあ、ついにたどり着かれましたね。
ご夕食まだなら、ご一緒にどうですか?」
「あ、指月さんー」
と夏菜も立ち上がり、振り返って手を振る。
いや……俺はまだ、かなり山の上の更に木の上に居るんだが。
お前たち、どんな視力だよ……と双眼鏡を外しながら、指月は思っていた。
「ほほう。
お前がこの間罠にかかっていたとかいう御坂の秘書か」
「はっ。
その節はお世話になりました」
指月は奥の座敷で、頼久と加藤を前に両手をついて頭を下げる。
なんだろう。
無性にへりくだりたくなったり、お仕えしたくなったりする人だ、と指月は貫禄ある頼久を見上げた。
あんなとぼけた娘が嫁で、社長、大丈夫だろうかと心配していたのだが。
この人の親族になるのだと思えば、悪くない感じがする。
社長になにかあっても、娘婿ということで守ってくれそうな気がするな。
……敵に回すと恐ろしそうだが。
そのとき、頼久が、
「お前のようなものが仕えているのだから、御坂はやはり、立派な男なのだろうな」
と言ってくれて、指月は感激する。
いかん。
社長を放り投げて、こちらにお仕えしたくなってしまった……と思っていると、頼久が指月に頭を下げてきた。
「うちの孫はちょっと惚けていて、あれだが。
よろしく頼む」
かなり惚けていて、あれな感じですが、お引き受け致しました、と思ったあとで、
「それにしても、長年の敵であった御坂と婚姻を結ぼうなどと、ずいぶんと思い切ったご決断をされましたね」
と無礼かもしれないが、ずっと疑問に思っていたので、つい訊いてしまった。
頼久は少し渋い顔をし、
「まあ、理由はいろいろだが。
一番の理由は、たぶん、夏菜が、彼が相手でなければ結婚は無理かな、という感じがしたからだ」
と言う。
加藤も苦笑いして、そうですね……と呟いている。
うちの社長でなければ駄目とか。
いつの間に、そんなに二人の愛は深まっていたんだっ、と指月はショックを受けていたが、実際の理由は違った。
指月が出て行ったあと、障子の向こうから聞こえる有生の話し声と夏菜の笑い声を聞きながら、頼久は呟いた。
「……あの子をうちで預かることにしたとき。
別に鍛えようと思ったわけじゃなかったんだかな」
「そうですねー。
みんながやるので、なんとなく一緒にトレーニングしているうちに、あんなことに……。
おそらく、御坂社長くらい強くないと、無理でしょうね」
と加藤も障子の方を窺いながら、苦笑いしていた。
「お前、なにしに来た」
と夕食の席で、有生が指月を睨んだ。
「いえ、此処に来る理由がなくなる前に、もう一度、このサバイバルロードを乗り越えてみたかったんです」
と指月が言う。
……サバイバルロードって、うちに来るまでの罠だらけの山道のことですかね?
と夏菜は苦笑いしていた。
いつものように広間に並んでの夕食。
今日は、夏菜、有生、指月で一列に並んで食べていた。
うちって、常に合宿みたいだよなー。
ずっと、こんなわいわいした中にいたから、社長とふたりきりとか静かすぎてどうしていいかわからなくなりそうだ、と早速、不安になる。
……もしや、社長がひとりで休日出勤とかしたときには、私は家にひとり切り?
しんとした家だかマンションだかわからないところのリビングで、ひとり、ぽつねんとしている自分を思い浮かべ、行く前からホームシックになりそうになる。
そんなしんみりしている夏菜の横で、有生と指月が揉めていた。
「そんなのこれからだって来られるだろ?」
「いいえ、わかりません。
そのまま社長たち、ラブラブになって、こっちには戻ってこないかもしれないじゃないですか。
社長がいないと、私が此処に来る理由がなくなってしまうじゃないですか」
と指月が言うと、途端に有生の態度が軟化した。
口調が柔らかくなる。
「……そうか。
いやまあ、そんなこともないと思うがな。
うん。
ないと思うがな」
そこで、指月が有生に訊いた。
「ところで、住む家は決まったんですか?」
「ああ、あの辺りには、うち名義のマンションがあるから。
少し離れているが、一軒家もあるんで、そっちでもいいかなと思ったんだが。
二人だけだし、週末しか行かないから、マンションの方がいいかなと思って」
……マンションか。
初めてだな、マンション。
すごい超高層階とかだったらどうしよう、と夏菜はいろいろ考える。
景ちゃんちが高層階だけど。
外の廊下歩いてたら、すごい風だったよなー。
初めてのマンション暮らしへの不安から、夏菜の妄想は何処までも広がる。
廊下を歩いていて、突風でマンションから吹き飛ばされそうになったり。
エレベーターの密室で、実は殺人鬼な男と二人きりになったり。
自分ちの鍵をなくしたり、暗証番号を忘れたりして、有生が帰ってくるまで、マンション前の茂みで膝を抱えていたり。
青ざめる夏菜に気づき、有生が機嫌悪く言ってきた。
「なんだ、その顔は。
俺とマンションで二人きりで暮らすのが嫌なのか」
「はい」
「……はい?」
なにもオブラートに包むことなく拒絶したので、有生が訊き返してくる。
「いや、マンションだと風で下まで吹き飛ばされたり、殺人鬼に狙われたり、おうちに入れなくなったりするんじゃないかと不安になって」
それを聞いた指月が、
「女子として、男と二人で暮らすのに、まずそこが不安っていうの、どうかと思うんですが……」
と前置きしたあとで、
「まあ、藤原の場合、常に周囲でなにかが起こってそうなんで。
それ、絶対ないだろ、と言えないところがミソですね」
と呟いていた。