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◇◇◇


スマートフォンの画面を難しい顔で眺めていた瑞記は、背後からポンと肩を叩かれびくりと体を震わせた。


驚き振り返ったが、すぐに目元を和らげ白い歯を見せて笑う。


「驚かせないでくれよ」


「何度も声をかけてるのに無視するからよ。そんな真剣に何を見ていたの?」


瑞記は笑みを引っ込め、眉を下げる。


「君は気にしなくて大丈夫だよ。仕事関係じゃないから」


瑞記の言葉に、彼女は僅かに首を傾げた。


「ということは、奥さんからかな?」


そう言いながら瑞記が座っていたソファーの背後から周りこみ、当たり前のように隣に座る。


「プライベートの内容なのかもしれないけど、そんな暗い顔をされたら気になるよ。だって瑞記は私の大切なパートナーだからね」


そう言って覗き込んで来た彼女の顔には、心配だという感情がありありと浮かんでいる。


「なんでも相談に乗るから遠慮なく話して?」


優しく微笑まれると、瑞記の心を覆っていた不快な感情がすっと消えていく気がした。


「ありがとう。希咲がいてくれて本当によかった」


「あれ? 今頃気付いたのかな?」


いたずらっぽい笑みを向けられて、瑞貴もつられて頬を緩めた。


驚くくらい心を許せて安らげるパートナー。彼女は瑞記にとって必要不可欠な存在だ。


彼女がいるから、クライアントからの無理な注文にも過度な期待にも応え続け、今日まで来られたのだ。



彼女――名木沢希咲と出会ったのは、五年前。


当時働いていた中堅デザイン事務所に希咲が中途入社したのがきっかけだ。彼女は業界経験者だったから即戦力で、ふたりでチームを組んで仕事をする機会が多く、自然な流れで親しくなった。


誰もがはっと振り返る程の美貌を持ちながら気さくで明るい希咲は、社内でもクライアントの間でも人気者。そんな彼女に恋をする男が次々と現れた。実は瑞記も彼女に憧れのような気持ちを抱いた時期がある。


『私、実は既婚者なんだ』


そう軽く言われて、育ち初めていた想いはあっけなく消えたのだけれど。


しかし今振り返ると深みに嵌る前にふっきれて良かった。

おかげで希咲とは公私共に支え合えるパートナーになれたのだから。


自分たちは、男女の違いなど関係なく分かり合えるとても心地良い関係だ。


きっと希咲もそう思ってくれている。


瑞記は体の力を抜いて、すぐ隣に座る希咲の肩にもたれかかった。


「園香が大怪我をしたって言っただろ?」


「ええ。例のオフィスビルの階段から落ちたって。怪我の具合はどうなの?」


「全身酷い打撲だけど、骨折はしてないようだよ」


「あの長い階段から落ちて? 運がいいのか悪いのか分からないわね。それにしてもどうしてあのビルに居たのかしらねえ」


希咲がほっそりした指を小さな唇に当てて、首を少し傾ける。


「そうなんだよな……よりによってあの場所で問題を起こすなんて」


瑞記は思わず溜息を吐いた。

園香が転落した現場は、昨年完成した複合オフィスビル。

一階と二階には飲食店などの専門店が入り、それより上階がオフィスフロアという造りだ。


飲食店のエリアの行き来用には外側に大きな階段がある。

園香が落ちたのはその階段からだったのだが、問題はそのビル――グランリバー神楽は、瑞記が事務所移転を検討していた物件なのだ。

業務拡大に向けて希咲と決めたお気に入りの物件だと言うのに、そこで妻が怪我をしてしまうなんて、縁起が悪い。


園香にはまだ移転の話をしていなかったから偶然だろうが、彼女がそこで何をしていたのか気になってしまう。


「ランチに訪れたって訳じゃなさそうだものね」


「ああ。事故に遭ったのは午前十時前だからね。その時間に営業していたのは、カフェくらいだよ。でもわざわざあのビルまで行って、どこにでもあるようなカフェに入るか?」


「そうねえ……って本人に聞いちゃえばいいんじゃないの?」


「いやそれが」


「それが?」


希咲が大きな目を瞬き、瑞記の顔を覗き込んで来る。


「実は……事故のショックで記憶がなくなったんだ」


「……え?」


希咲が絶句して笑みをけす。


「信じられないよな? 俺もまさかと思ったけど、本当に何も覚えてないんだ」


「本当に、何も覚えていないの?」


「あ、ああ……希咲? 顔色が悪いけど、どうしたんだ?」


何事にも余裕のある彼女らしくない反応に、瑞記まで動揺してしまう。

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