仲間たちの協力もあって、夢香や松永に対する制裁はうまくいった。でも、会社という攻撃対象を持たず、法律に精通した弁護士という人種に対して、どのような攻撃が制裁として有効なのか、それを答えられる者は誰一人いなかった。
もやもやとした気持ちで面会交流日を迎えた。連れ戻しが心配だと言って、朝から僕の両親がうちに来ているが、娘たち自身が一番夢香を嫌ってるから、その心配は杞憂に終わりそうだ。
「誘拐されて連れ回されてるあいだ、あの女、お父さんの悪口ばかり言ってたよ。私たちが寝たあといつも殴られてたとか、お母さん以外の女の人と再婚したいみたいとか。自分が浮気してたくせにさ!」
「確かにあの女の彼氏に体を触られたことはなかったけどさ、お風呂から出て裸で歩き回ったりして本当にキモかった。死ねばいいのにってずっと思ってた」
久々に会ってこれを言われるのもつらかろう。
「たぶんめちゃくちゃに罵倒されると思う。会わない方がいいかもよ」
とLINEを送ると、
「それも自分がしたことの罰だと思って受け入れます」
という潔い返事が返ってきた。
土曜日の午前十時。
夢香は指定した時間の五分前に面会場所のわが家に来た。会うのは三ヶ月ぶり。小ぎれいな格好で来たが、さすがに顔色は悪くひどく憔悴して見えた。でも実は松永とは別の男とまだ不倫している。同情する気にはなれない。
夢香は、義実家で逮捕されたとき慰謝料の一部にすると奪われた僕の車に乗ってきた。これも僕に返したいという。
「一応聞くけどさ。この車にあの男を乗せた?」
「ええと……」
「じゃあいらない。面会終わったら乗って帰って」
と突き放したら、泣きそうな顔になった。さすがにほかの男とカーセックスしてるかもしれない車なんて受け取れない。泣きたいのはこっちなんですけど。
家に入るときお邪魔しますと言うのを聞いて、この人はもうこの家の人間ではなくなったんだなと改めて思い知らされた。夢香を連れて娘たちと僕の両親が待ち構えるリビングへ。
両親には黙ってて下さいと釘を刺してあるが、口を利かない代わりに視線で殺してやると言わんばかりににらみつける。というか、娘たちまでそれに負けないくらいの目力で母親をにらみつけている。
「クッキーを焼いてきました」
「ありがとう、お母さん!」
夢香が差し出したきれいにラッピングされたお土産をうれしそうに受け取る真希。大人になったもんだと感心したが――
「あなたの作ったものなんて食べたくないから全部捨てるね」
クッキーは開封されることもなく包みごとゴミ箱に捨てられてしまった。夢香はそれを悲しそうに眺めるだけ。注意などしたら逆ギレされて、余計収拾がつかなくなることは分かっているようだ。
同居親による洗脳は、子どもが別居親をここまで嫌うように持っていくこともできる。こんなことは特段珍しいことでもなく高葛藤の状態で離婚した両親の子どもが別居親を憎んで、二度と会いたくないと言ってるのはたいていこんな事情だ。
夢香も娘たちを洗脳して父親を憎むようにさせてから連れ去った。連れ去ったあとも洗脳を続けたが、小麦たちによる逆洗脳によって娘たちは夢香の不倫を知り、逆に母親を憎むようになった。娘たちが戻ってきてからは両親がうちに来ては夢香の悪口を吹き込んでいく。
正直僕も助ける気にはなれない。不倫されて冤罪で逮捕されただけでもきついのに、松永の子どもを産みたいという音声を聞いたせいで、彼女に対して完全に冷めきってしまった。
でも助ける。再構築を餌に、僕の言うことならなんでも従う兵士に育てるために。松永賢人は刑務所に行かずに済んだとしても、社会的にはもう死んだも同然。
あとは鷲本憲和さえいなくなれば、僕はあなたを許せる。あなたはまた子どもたちといっしょに暮らせるんだ。
僕のその一言で憲和弁護士のもとに刃物を持って乗り込ませるようになるまで彼女を追いつめる。犯罪するようにそそのかしたことが明るみに出れば僕だってタダでは済まない。それを覚悟で僕は非常手段に訴えることにしたのだ。
ことを成し遂げた夢香が僕に指示されたと自供するなら、子どもたちの養育を両親に任せた上で自死する覚悟もできている。おそらく僕は正気を失っている。でもどうせ誰もが最後には死ぬのだ。狂わずに成し遂げずに死ぬくらいなら、狂って成し遂げてから死にたい。僕の思いはそれだけだ。
杉原弁護士たちと話して、合法的に鷲本夫妻を破滅させる手段がないことが分かった。だからもっともっと夢香を追いつめるつもりだ。追いつめるのは周囲。そのたびに僕が助け舟を出す。もっともっと苦しんで、もっともっと僕に依存すればいい。そして最後に憲和弁護士と共倒れになって破滅してくれれば言うことはない。空の上の只野佐礼央も少しは喜んでくれるだろうか?
ゴミ箱に捨てられたクッキーの包みを拾い上げて、包みから出して一つかじってみた。甘すぎず、くどくもなく、ちょうど僕の舌に合っている。不倫はしても妻であり母親であるわけだから、僕らの味の好みは知り尽くしているということか。
「おいしいよ」
と声をかけると夢香ははらはらと涙を流した。その姿があまりにいじましくて、鷲本憲和とも不倫してると知らなければ、コロッとだまされて再構築を選んでしまったに違いない。
とはいえ僕だけでなく娘たちの同意も必要だから、再構築のハードルは高い。実際、さっそく真希に激しく抗議された。もともとママっ子だった真希。それだけに裏切られた怒りは誰よりも強い。
「お父さん、その女が作ってきたものなんか食べちゃダメだよ!」
「クッキーに罪はないからね」
「また仲直りできるかもって勘違いされたらどうするの?」
「確かにお母さんは間違いを犯したけど、それは真希が優しい心をなくしていい理由にはならないよ」
そう言うと黙った。姉妹は素直で優しい心を持っている。二人がそのように育ったことに関しては、夢香に感謝してもいいかと考えている。
「最初の面会日だから今日はこれくらいにしておこう。時間をかけてだんだん慣らしていけばいい。きっと次に会うときはもう少し打ち解けて話ができるようになっていると思うよ」
真希も望愛も僕に注意されて声には出さないが、ありえないという顔をしている。
「あなたたちを傷つけて本当にごめんなさい。お義父さん、お義母さん、本当に申し訳ありませんでした」
最後に夢香は深々と頭を下げた。娘たちも両親も、誰も頭を上げていいと言わないから、僕が言ってあげた。
「ちょっと夢香と話してくる。遅くなるかもしれないけど、心配しないで」
心配しないでと言ってるのに、四人ともあからさまに心配そうな顔をしている。僕が以前のように夢香の尻に敷かれて、なし崩し的に再構築が決まってしまうという事態を恐れているのだろう。
マンションから出て五分ほど並んで歩いた。よく娘たちを遊ばせた近所の公園の中に入った。二人とも無言のまま。先に口を開いたのは夢香。
「すいませんでした」
「どのことで謝ってるの?」
「不倫していたこととか……」
と言い出したから、まずは突き放してみせた。
「不倫していたことを謝る? それはおかしいよね。だってあなたはまだ不倫をやめてないんだから」
「もう不倫はしてません。警察に連行されていったきりあいつとは会ってないし、子どもたちに危害を加えようとした以上、二度と関わるつもりもありません」
松永との会話の中では僕が〈あいつ〉呼ばわりされていたよねといじめてもいいが、話がそれるからやめた。
「これ以上嘘をつくなら、僕もあなたともう会わないことにするよ。あなたは代理人の鷲本弁護士とも不倫関係にあるよね? 証拠もある。それを承知の上であなたが娘たちと会うことを僕は許した。本当は腸が煮えくり返る思いなんだ。これ以上僕を失望させないでほしい」
夢香はなりふり構わずその場で土下座した。
「私がどうかしてました! 本当にごめんなさい!」
公園で遊ぶ親子連れが何事かと目を丸くしてこちらを見ている。そのくせ僕に見られると慌てて目をそらした。
「いや、いいんだ。あなたの人生だから好きな方を選べばいい。僕や娘たちとの交流をこれからも続けるのか? それとも僕らと縁切りしてリッチな弁護士の愛人としてお金には困らない生き方を選ぶのか?」
少しは悩むかと思ったら即答した。
「前者の方で……」
「それはどうして?」
「俊輔さんとも娘たちとも別れたくありません。鷲本弁護士は私にとってただの逃げ道でした」
さん付けで呼ばれたのはいつ以来だろう? おそらく夢香が松永と不倫を始めた三年前から、呼び捨てかおまえ呼ばわりだった。とても感慨深いが今は感傷に浸っている場合ではない。
「娘たちはともかく、僕は捨てるつもりで娘たちを連れて出ていったんじゃないの? 連れ去る前だって、僕に対してあなたはずっと態度が悪かった」
「不倫してる自分に酔ってました。ステイタスがあったり、お金を持ってる男性がかっこよく見えて、そういう男性に相手してもらえる自分を俊輔さんより上の存在だと錯覚して、ひどい態度を取ってしまいました。申し訳ありませんでした!」
顔面を地面にこすりつけて必死に謝っている。その錯覚はいわゆるシタラリというやつだろう。言い訳したり逆切れしたりしないから、確かにシタラリからはすでに覚めているようだ。シタラリから覚めても憲和弁護士との関係を断ち切れなかったのは、夢香自身も言ったとおり、僕と松永を失った後の最後の逃げ道として残しておきたかった、というところか。
僕は手を差し伸べて夢香を立たせて、そばにあったベンチに並んで腰掛けた。
「夢香」
「はい」
「さっきあなたは僕と娘たちとの交流を続けたいと言ったね」
「できればまた四人で暮らしたいですが、無理なのは分かっています。どれだけ罵られてもいいので、面会を続けてほしいです」
「口で言うほど簡単なことじゃない。娘たちはさっき見たとおり、あなたを鬼か悪魔のように嫌っている」
「また信頼を得られるように精一杯努力します」
「僕だってあなたがやったことを考えたら、再構築が期待できないことは分かるよね?」
夢香は肩を落として、はいと答えた。
「でも僕は、娘たちや両親は大反対するだろうけど、あなたとの再構築を望んでいる」
「本当ですか!?」
「もちろん松永と不倫を始める前のあなたに戻ることが大前提だけどね」
「本当に私に優しかったのは俊輔さんだけでした。あなたを愛しています! 二度と裏切らないし、ひどい態度も取りません!」
そろそろ本題に入ることにした。彼女が僕の申し出を拒否するなら、僕も彼女との交流を拒絶するだけだ。どうせそれに反対する者は誰もいない。
「あなたと再構築するに当たって、一つだけ問題がある」
「問題?」
「不倫してあなたも松永も徹底的に制裁を受けた。でもまだ一人だけ無傷の男がいる。僕にはそれが耐えられない。お金じゃないんだ。僕の誇りを取り戻す方法で制裁したい」
「誇りを取り戻す方法?」
「あなたや松永が受けた以上の制裁をあの男に与えたい。あなたはそれを考えて実行してほしい。それが成功したらあなたと再構築すると約束するよ」
実際、あの男を破滅させることができたなら、喜んで僕は夢香と再構築する。只野佐礼央も言っていたじゃないか。また子どもと暮らせるなら、ちっぽけなプライドなど捨てて、ほかの男におもちゃにされた妻を不倫される前と同じように愛してみせる自信がある、と。
一人息子は虐待死した。佐礼央は息子と会えないまま死んだ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。人の不幸を利用して荒稼ぎする悪徳弁護士に勝つには、それくらいの覚悟を持たなくてはならないようだ。僕は身を捨ててでも佐礼央の無念を晴らす。これはただの復讐ではない。二度と佐礼央や僕のような被害者を出さないための、未来のための戦いなんだ。
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