「……すみませんね、こんな時間に」
「いえ、お気になさらないでください。私も暇を持て余していた所がありましたから」
夕食が終わってから、ドルギア殿下が私の元を訪ねて来た。
紳士的な彼が、何の理由もなくこんな時間に女性の元を訪ねて来るとは思えない。恐らく、何かがあったということなのだろう。
事実として、ドルギア殿下の顔は明るくない。私に関する何か良くないことが、起こっているということだろうか。
「これをあなたに話すべきかどうかは迷いましたが、念のために伝えておくべきだと思いました。実は、王都の周辺以外でも、魔物の大量発生が報告されています」
「それは……」
「パルキスト伯爵家の周辺です。確か、エルメラ嬢が訪ねているとか」
「ええ、そうですね。確かにエルメラは、パルキスト伯爵家の屋敷にいるはずです」
ドルギア殿下の言葉に、私は驚いた。
まさかよりによって、パルキスト伯爵家の周辺で同じことが起こっているなんて、奇妙な偶然である。
ただ、エルメラのことは別に心配ではない。彼女は魔物が例え一万体いたとしても負けないだろうし、私なんかが心配するのは失礼である。
「わざわざそれを伝えに来てくださったのですね。ありがとうございます」
「いいえ、まあ、アーガント伯爵家の方から連絡はあると思ったのですが、もしも知らないなら早めに知らせておいた方がいいと思って」
「……そういえば、お父様やお母様からの連絡はありませんね」
ドルギア殿下の言葉に、私は少し首を傾げることになった。
エルメラに関することを、両親が把握していないということもないだろう。然るべき連絡がないのは、おかしなことであるような気がする。
とはいえ、今回の件はあのエルメラのことだ。心配する必要がないことなので連絡を入れていないということも、あり得ない訳ではない。
「まあでも、エルメラは多分大丈夫だと思います。彼女は才能溢れる魔法使いでもありますから、魔物なんかには負けません」
「妹さんのことを信頼されているのですね」
「信頼……」
ドルギア殿下は、私に対してとても真っ直ぐな言葉を返してきた。
しかし私は、その言葉を素直に受け止めることができない。私がエルメラに抱いている感情は、信頼などという言葉で言い表せる程、明るいものではない気がしたからだ。
「……少しお話を聞きましょうか?」
「……え?」
「なんというか、思い悩んでいるような気がしますから。僕で良かったら力になりますよ?」
私の心中を察してくれたのか、ドルギア殿下はそのような提案をしてくれた。
その言葉に、私は昼間のことを思い出す。彼に婚約のことを話したら随分と心が楽になった。もしかしたら今回も、そういった効果が期待できるかもしれない。
それなら迷う必要はないだろう。そう思って、私はドルギア殿下にお願いするのだった。
◇◇◇
「偉大なる才能を持つ妹、ですか……」
エルメラの話を聞き終えたドルギア殿下は、ゆっくりとため息をついた。
その表情は、それ程明るいものではない。なんというか、思い悩んでいるといった感じだ。
「力になると言っておいて情けない限りではありますが、僕にはイルティナ嬢の気持ちがわからないかもしれません。何せ僕は、末っ子ですからね」
「……しかし失礼ながら、兄弟姉妹に劣等感を覚えているという点では、ドルギア殿下は私と同じなのではないでしょうか?」
「まあ、それはそうですね。そういった共感があったからこそ、僕はイルティナ嬢と仲良くなれたのかもしれません」
ドルギア殿下は、私の言葉にゆっくりと頷いてくれた。
私と彼は、不思議と馬が合う。それは前々から、わかっていたことである。
それはきっと、私達に似通った部分があるからだ。私は妹に、彼は上の兄や姉に、それぞれ劣等感のようなものを抱えている。
「ですが、スケールが違うようにも思います。僕の場合は、偉大なる兄や姉を見本として、目標としてそうなりたいと思えますから」
「それは……そうですね。私とは違います」
「そもそもの話、エルメラ嬢は外れ値です。普通の尺度では測れないのかもしれません」
エルメラという偉大なる才能は、他に類を見ない。そんな彼女の姉という立場は、もしかしたらかなり特殊なのかもしれない。
ドルギア殿下の言葉を聞いて、私はそんなことを思った。それは至極簡単なことではあるのに、今までずっと見落としていたことでもある。
「そういうことなら、私は最初から間違っていたのかもしれませんね」
「間違っていた?」
「……姉になりたいと、思っていたんです。妹から尊敬されるような立派な姉に。でもそうなることなんて、きっと無理だったんです。相手はあの、エルメラですから」
今は見る影もない訳だが、これでも昔は良き姉として振る舞っていたつもりだ。
先に生まれた者として、妹を導く。そういった役目が自分にはあるのだと、思っていた。
だけど、いつしか私は自信をなくしていた、私なんかが、エルメラを導くことができないと、心のどこかで思うようになっていたのだ。
そのことについて、私はもっと早く認識しておかなければならなかったのだろう。
一般的な姉なんか、エルメラには当てはまらない。彼女の姉になるなんて、私にはきっと荷が重過ぎたのだ。
「もう少し弁えるべきなのかもしれませんね、私は……エルメラの上に立とうとするのではなく、彼女に従う。それがエルメラの姉に求められることなのかもしれません」
なんというか、私の今後の身の振り方がわかったような気がする。
彼女の姉であるなどというちっぽけなプライドは、捨てた方がいい。あくまでも彼女の才能に従う者としての振る舞いを、心掛けた方がいいのだろう。
そう思って、私はドルギア殿下の方を見た。すると彼は、私を真っ直ぐに見つめていた。
彼の瞳には、曇りがない。優しい顔達の彼にしては威厳に溢れたその表情に、私は少しだけ気圧された。
そして彼は、ゆっくりと口を開いた。その言葉に、私は目を丸めることになった。
「そうでしょうかね? 僕はそんなことは、ないと思いますけど」
「……え?」
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