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耀聖(ようせい)
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ささみチーズ。
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【13時過ぎ・山中】
まだ空が市役所で仕事をしている頃――。
最後の一本を滑り終えた美羅たちは、早くも下山の準備を始めていた。
「今日はここまでにしましょう」
ゴーグルを外した美羅は、空を見上げながら静かに言う。
「えっ、まだ時間ありますよね?」
女性客が少し名残惜しそうに尋ねた。
「時間はあるわ。でも気温が上がり過ぎてるの」
美羅は雪面へ視線を落とす。
「このまま滑るより、帰り道の雪崩の方が怖い。山は『もう少し』が一番危ないのよ」
「なるほど……」
男性客も雪質を確かめながら頷いた。
「春のバックカントリーは気温との勝負だからね。引く勇気も大切だ」
「そういうこと。それじゃ、スノーシューに履き替えて下山しましょう」
「はーい!」
二人も素直に頷き、それぞれ装備を整え始める。
ガイドとして何より優先すべきなのは、お客様を無事に帰すこと。だからこそ美羅は、予定より二時間早い下山を選んだ。
それが最善の判断だと信じて――。
※※※※※
危険斜面を半分ほど下った頃だった。美羅が足を止める。
「あっ……」
沢筋へ目を向けると、真新しい雪崩の跡が白い筋となって斜面を削っていた。
「もう雪崩が起きてる……」
表情が少し険しくなる。
「急ぎましょう。でも慌てないで、確実に」
「早めに切り上げて正解でしたね」
女性客が安堵したように息をつく。
「そうね。でも……」
美羅は風を受けながら顔をしかめた。
「まずい、気温が急に下がってきた」
「それって良いことじゃないんですか?」
「急激な変化が一番危ないの。雪の層が一気に不安定になることがあるから」
「そ、そうなんですね……」
三人は歩く速度を少しだけ上げる。
林道まで降りれば、危険はかなり減る。
あと少し。
そう思った、その時だった。
――ゴォォォ……
低く唸るような音が、足元から伝わってきた。
美羅の表情が変わる。次の瞬間、叫ぶ。
「まずい……ワッフ音よ! 雪崩が来る!」
「えっ!?」
ズドドドドドッ――!!
山全体が震えるような轟音が響いた。視界が、一瞬で真っ白に染まる。
雪煙が木々をのみ込み、巨大な白い奔流となって三人へ襲いかかった。
「二人とも!泳ぐの! 手を止めないで!」
美羅は振り返り、声を張り上げる。
「はい!」
返事は聞こえた。
しかし次の瞬間、その声さえ轟音の中へ飲み込まれていった――。
※※※※※
【空の自宅】
「ダメだ……」
何度かけても、スマホは電源が入っていないというアナウンスが流れるだけだった。
ニュースの内容と時間を考えれば、遭難したガイドは美羅さんで間違いない。
「そんな……。昼間、SNSに写真をアップしてたんでしょ?」
不安そうにリオンが尋ねる。
「ああ。昼に一度だけ連絡は来た。でも仕事中は、もともと頻繁にやり取りしないんだ」
春はバックカントリーガイドの繁忙期だ。
朝から夕方まで山に入り、下山すれば疲れ切って眠ってしまうことも珍しくない。だから返信が遅くても、今までは気にしたことなどなかった。
「……美羅さんのご両親には連絡しないの?」
その一言に、僕は思わず口を閉ざした。
「それは……」
言葉が続かない。
そんな僕の表情を見て、リオンは何かを察したようだった。
「あっ……まだ、ご両親とは会ってないんだ」
「……色々あるんだよ」
ぶっきらぼうに答えるのが精一杯だった。
美羅さんは二十七歳。結婚を考えてもおかしくない年齢だ。
それでも彼女は、自分の両親や将来の話になると、いつも笑って話題を変えてしまう。
五歳年下の僕に、重荷を背負わせたくなかったのだろう。その気持ちは痛いほど分かっていた。
「美羅さんらしいね……」
リオンが小さく呟く。
「空のこと、縛りたくなかったんだ」
「ああ……たぶん、それが理由だ」
部屋に重い沈黙が落ち、リオンは複雑な表情で俯いた。
空のことを想えば胸が締め付けられる。でも、美羅のことを考えると胸の奥が少しだけざわつく。
心配と嫉妬。
励ましたい気持ちと、素直に応援できない自分。
そんな感情が入り混じり、リオンは何も言えずに唇を噛み締めるのだった。
※※※※※
【雪崩に遭遇して三分後】
雪崩に巻き込まれた三人は、必死にもがきながら雪の流れに抗った。
「急がないと……」
美羅は運よく雪面へ這い出すことができたが、二人の姿は見えない。
迷っている時間はない。
ザックからビーコンを取り出し、即座に捜索モードへ切り替える。
「近い……こっち!」
反応を追って雪を掘る。数十センチ掘ったところで、ピンク色のジャケットが見えた。
「いた!」
美羅は女性の腕をつかみ、一気に雪の中から引き上げる。
「大丈夫!?」
「げほっ……りょうちゃん!」
「彼はまだ下よ! 一緒に探すわ!」
もう一つのビーコン反応は二十メートルほど下流側だった。
二人は雪を蹴りながら移動する。
「ここ!」
「はい!」
スコップを全力で振るう。だが雪は重い。
焦る気持ちばかりが先走る。
「もう少し!」
黒いジャケットの背中が見えた。
二人で一気に雪をどけると、男性が大きく息を吸い込み、そのまま体を起こした。
「はぁっ……!」
「助かった……」
「よかった……!」
女性は泣きながら彼へ抱きついた。
「雪崩の端だったから助かったのね」
美羅は胸を撫で下ろす。だが、安心する暇はなかった。
男性の左腕が不自然な方向へ曲がっている。
「骨折ね……」
近くの木から枝を拾い、添え木を作り、包帯で固定しながら声を掛けた。
「痛いけど我慢して。すぐ終わるから」
「ありがとう……」
「はい、終わり。よく頑張った」
応急処置を終えると、美羅は周囲を見渡した。まだ安全とは言えない。
「ここには長居できない。安全な場所まで移動するわ」
「分かりました」
二人を励ましながら、雪崩の影響が少ない尾根寄りへ移動する。
※※※※※
しばらく歩き、安全な斜面までたどり着く。
美羅はスマートフォンを取り出した。
「……圏外か」
「私のスマホなら……」
女性が確認すると、アンテナが一本だけ立っていた。
「お願い、緊急連絡先へ」
女性は震える手で電話を掛ける。
「もしもし……雪崩に巻き込まれました。でも三人とも生きています。場所は――」
そこまで伝えたところで、スマートフォンの画面が暗くなった。
「切れちゃった……」
「大丈夫」
美羅は静かに頷く。
「無事だって伝えられただけでも十分よ」
本来なら、自分一人で尾根まで登れば確実に連絡を取れる。
しかし骨折した男性を置いていくわけにはいかなかった。
ガイドとして、その選択肢だけはあり得ない。
「今日はここでビバークするわ」
「はい」
「少し寒くなってきましたね」
山の夕暮れは早い。
さっきまで暖かかった空気が、急速に冷え始めていた。
「あと一時間もすれば暗くなる」
美羅は雪面を見回す。
「雪穴を掘って。風を避けられる場所を作るわ」
「分かりました!」
「私は彼を連れてくるから」
連絡を優先したため、男性は少し離れた場所で待機させていた。
美羅は装備を軽くすると、再び雪原を駆け出した。
まだ気を抜ける状況ではない。
三人全員で朝を迎えるまでが、ガイドの仕事なのだから。
※※※※※
【翌日早朝】
夜明け前、美羅は一人で雪穴を出た。
「そろそろ来る頃ね」
県警の捜索ヘリなら、朝一番で飛んでくるはずだ。
そう考えた美羅は、蛍光マーカーとサバイバルシートを使って目印を作り、尾根の開けた場所で待機していた。
――パタパタパタ
冷たい朝の空気を切り裂くように、やがてローター音が響き始める。
「おっ、さすが県警。ちゃんと見つけてくれたわ」
青空の向こうから県警ヘリが姿を現した。美羅は両手を大きく振って合図を送る。
ヘリは上空でホバリングし、救助隊員がホイストで降下してきた。
「負傷者は?」
「男性が左腕を骨折。女性は無事よ」
「了解」
「二人を先にお願い。私は歩いて下山するから」
隊員は一瞬だけ驚いたような顔をした。
「君も搬送できるが?」
「装備を置いて帰るわけにはいかないでしょ。それに私は歩けるから大丈夫」
「……分かった。下山したら所轄へ来てくれ」
「了解」
追加の救助隊員が降下し、骨折した男性と女性をヘリへ収容する。
二人が無事に機内へ乗り込んだのを見届けると、美羅はようやく肩の力を抜いた。
「これで一安心ね」
ザックを背負い直し、一人静かに下山を始めた。
※※※※※
【下山中】
携帯電話の電波が入った瞬間、美羅は迷わず空へ電話を掛けた。
「ソラ、おはよう」
『美羅! 無事か!?』
受話器越しの声は、今まで聞いたことがないほど切羽詰まっていた。
「大丈夫よ。私は一人で下山中」
美羅は思わず笑みを浮かべる。
「夕方には会えると思う」
『……本当に良かった』
少し間が空く。
『迎えに行く』
その一言だけで十分だった。
「うふふ、ありがとう」
電話を切った美羅は、小さく息を吐く。
まだ足は少し震えていた。
でも、それは寒さのせいだけではなかった――。
※※※※※
【所轄近くのペンション】
事情聴取や各種手続きが終わった頃には、すっかり日も傾いていた。
「はぁ~、やっぱり猪鍋は味噌仕立てが一番ね」
「寒い日の鍋は最高だな」
そのまま帰るには遅すぎる。二人は所轄近くのペンションへ泊まることにした。
宿の名物は天然猪を使った牡丹鍋。臭みはまったくなく、肉は驚くほど柔らかい。
「ごめんね。事情聴取が長引いちゃって」
「気にするな。明日の朝には帰れるんだろ?」
「うん。一旦帰る」
湯気の立つ鍋をつつきながら、美羅は嬉しそうに笑う。
「ああ、体が温まる。この味噌、自家製かな」
「そんな気がするな」
「空の味噌でも作ってみたいなぁ」
「味噌まで自家製にする気か?」
「だってさ」
美羅は箸を止め、楽しそうに笑った――。
「私が獲った猪を、空の特製味噌で食べるなんて最高じゃない?」
「やっぱり猪を狩りたいんだ」
「もちろん!」
目を輝かせながら頷く。
「今度、猟友会に頼んでみようかな」
「でもライフルは、まだ撃てないだろ?」
「夢よ、夢。いつか三〇口径のライフルで仕留めてみたいの」
遭難したばかりとは思えないほど、いつもの美羅だった。
豪快で、明るくて、何事にも前向き。
空も自然と笑みを浮かべる。
そして部屋へ戻った。
その瞬間だった――。
「……ソラ」
さっきまでの笑顔が消える。
美羅はふらりと近づくと、そのまま空へ抱きついた。
「怖かったよぉ……」
声が震えている。
山では最後まで冷静だった彼女が、今は子どものように泣いていた。
張り詰めていた糸が、ようやく切れたのだ。
「もう大丈夫」
空はそっと背中を撫でる。
「よく頑張ったな」
「うん……でも今日は離れたくない」
「分かった」
「ベッドでいっぱい甘える……」
「はいはい」
苦笑しながらも、空はその願いを断れなかった。
その夜、美羅は抱き枕のように空へしがみついたまま、ようやく安心したように眠りにつく。
空もまた、その温もりを感じながら静かに目を閉じた。
雪山で失いかけた当たり前の日常が、何よりも大切なものだったと、二人は改めて実感するのだった――。
コメント
1件
雪崩の緊迫感がすごくて、読んでる間ずっと息を止めてました。山ではあれだけ冷静だった美羅さんが、ソラくんの前で「怖かったよぉ」って泣くシーンにぐっときました。強がってた糸がほどける瞬間の描き方が丁寧で、二人の距離がぐっと縮まったのが伝わってきます。