テラーノベル
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『べつに怒鳴るくらいいいよ。
キスくらいじゃなんとも思わないけど、たぶん俺がおかしいから』
言われて心が痛んだ。
だけど端正なレイの顔を精一杯にらんで言う。
『……そうだよ。そんなのおかしいんだからね』
『感情が欠落してるのは自覚してる。けど……』
レイの顔が近付き、額どうしが当たった。
『ミオとのキスは別だよ』
レイの碧い目がすぐ目の前に迫る。
まばたきも、息をすることも出来ない私に、レイは唇を重ねた。
挨拶のような短いキスに、一体どんな意味があるんだろう。
彼は額をもう一度あてて、私の瞳を覗いた。
……レイはひどい。
そんなことを言われて、そんな目で見つめられたら、心臓が止まりそうになる。
『……どうしてお父さんを探してくれたの?』
『最初はただの興味本位だったよ。
ホストがバカみたいな幻想を抱いてるから、現実知ってやりたくなって』
『なにそれ』
思わずむくれた私に、彼は笑って目を細めた。
それから一呼吸置いて、呟くように言う。
『……辛い?』
短い一言だった。
だけど、その一言にたくさんのものが詰まっている。
『大丈夫だよ。
けど……一度会ってはみたかったかな』
レイの言う通り、夢は見ていた。
私がお父さんを探しているように、実はお父さんも私を探してくれていて、いつか会いに来てくれるって。
だけど、同時に思ってもいた。
もしかしてもうほかの家庭があって、私のことなんて忘れてしまっているって。
無理に笑うと、レイは私の後頭部に手を回し、自分のほうに引き寄せた。
とても自然に、そうすることが必然のように。
彼の腕の中で、いつしかの遊園地のことが思い浮かぶ。
観覧車の中で無理に笑う私に、レイは意気地なしだと言った。
私を抱きしめて、泣きたいなら泣けと言った。
レイは今、私を抱いたままなにも言わない。
だけど言葉の代わりに、たぶん同じことを伝えてくれている。
『……私は意気地なしじゃないもん』
言った言葉はかすれて、彼には強がりにしか聞こえなかっただろう。
それでもいい。
私は自分より少し高い体温と、少し速い鼓動を聞きながら、声を殺して泣いた。
『明日、時間ある?』
ふいに聞かれたのは、気持ちが少し落ち着いて、小さく鼻をすすった時だった。
『……え? ある、けど……』
『なら明日午後6時に、駅の改札に来て』
『え……』
そう言い、レイはゆっくり腕をほどいた。
唖然とする私に柔らかく微笑むと、彼は部屋を出て行った。
途端に部屋がしんとする。
さっきまで別の温もりに包まれていたのに、網戸から入った風がすべてさらっていく気がした。
「明日の6時……?」
約束した時間が口から滑り落ちる。
その時間にいったいなにがあるんだろう。
考えても答えが出るはずもなく、さっきまでのことを思い出して、だんだん体が熱くなった。
レイが好きだ。
だけど、彼を思うと苦しくもなる。
私はとなりの壁を見つめ、そっとベッドに倒れ込んだ。
翌日。目が覚めて時計を見れば、もう10時を過ぎていた。
夏休みになってからずっとこんな生活だけど、全部を暑さのせいにしてダラダラしている。
台所にはだれもいなかった。
冷蔵庫から麦茶を出した時、後ろでかたんと音がする。
『おはよう、ミオ』
そう言ってレイは私の傍に立ち、冷蔵庫をあけた。
寝起きでぼうっとしていた私は、コーラを取り出す彼を見て、一気に目が冴えた。
同時にレイがあまりにも自然すぎて、昨日の一件は夢だったのかという気になる。
麦茶の入った瓶を持ったままの私は、たぶん不安げな顔で彼を見ていたんだろう。
レイはこちらを向き、ごく穏やかに目だけで微笑んだ。
それを見て、私はほっとした。
無言でも、その仕草だけで約束が夢じゃないとわかる。
『……あのね。
その……昨日のことなんだけど……』
言いかけた時、けい子さんが台所に入ってきた。
「あら、ふたりとも起きてきたの」
びくりと体が跳ね、危うく麦茶を落としそうになった。
その横でレイは『おはようございます』と、普段通りの笑顔で挨拶をしている。
『おはようレイ。今日はお昼はどうする?』
『あぁ、いただきます。
けどそのあと出かけますので、夕食は外で食べますね』
『ふーん。今日はどこに行くの?
もう東京はだいたい見ちゃったでしょう』
『いえ、まだまだですよ』
そう言ってレイは笑う。
6時に駅で待ち合わせだけど、それまで彼はどこかに行くみたいだ。
けい子さんじゃないけど、これからどこに行くつもりなのか、私だって知りたい。
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