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放課後。冬の曇天が、教室の窓を鈍く濁らせていた。
教室には、もう誰もいない。
残されたのは、椅子を机に上げる音と、二人分の呼吸だけ。
日下部が、静かに立ち上がった。
遥は荷物をまとめている──いつものように、何も言わずに。
「……なあ」
声をかけた日下部の声は、硬かった。
“優しさ”を試みて、でもそれがうまくできない人間の、ぎこちなさだった。
「いつまで、それ、続けるつもりなんだよ」
遥の指先が止まった。だが顔は向けない。
「“何も感じてません”みたいなツラして。
痛くねーです、平気っす、みたいな……そういうの、もういいだろ」
言葉が突き刺さる。
遥はまだ返さない。
ただ背中だけが、わずかに強張った。
「おまえ、ずっと黙ってっけどさ──それ、カッコつけてんのか?」
何かがひび割れるような音が、空気の奥で鳴った。
「“耐えてる自分”に酔ってんのかよ。
そんなふうに黙ってりゃ、誰かが気づいてくれるって思ってる?」
遥の身体が、ピクリと動いた。
「おまえ、そういう“悲劇のヒロイン”みたいなポジション、……わざと選んでるだろ」
──それは、遥の“奥底”に踏み込んだ言葉だった。
日下部は、言葉を続ける。
もう引き返せない位置にいることを、本人だけが知らずに。
「“俺は惨めだ”“哀れだ”って顔で、見てろよって思ってんの、……見え見えなんだよ。
おまえ、本当は……気づかれたくて仕方ねーくせに」
「──っ」
遥が、振り返った。
その表情には、怒りも涙もなかった。
ただ──深い沈黙の“割れ目”のような、冷たい空洞だけがあった。
「そう思ってたんだ」
遥の声は、低かった。
かすれていたが、明瞭だった。
「おまえも、あいつらと変わんねぇじゃん」
「……ちが──」
「“気づかれたくてやってるんだろ”って。
“わざと”って、“演技”って──……結局、そうなんだな」
「俺は、心配で──」
「そう。だから、うざいんだよ」
遥が一歩、日下部に近づいた。
「“俺は味方だ”みたいな顔して近づいてきて、
結局、自分の正しさのために俺使ってんだろ」
目が、凍っていた。
「壊れてるのなんか、とっくに自分でわかってんだよ。
でもな、それを“気づいてあげた俺”みたいに言われるのが──
一番、吐き気するんだよ」
しんとした教室に、沈黙が落ちた。
遥は、笑った。
「だからもう──“そういう奴”になってやるよ。
望みどおりに、壊れて、汚れて、笑ってやるよ。
そうすりゃ、誰も中なんか見ようとしなくなる」
その言葉は、自己防衛の仮面じゃなかった。
“捨てた顔”だった。
「安心しろよ。これで、もう誰にも期待しねぇから」
そう言って遥は、背を向けた。
──その日から、遥は笑うようになった。
命令される前に、“喜んでるふり”をした。
舌を出し、腰を揺らし、言われてもない言葉を囁いた。
全部、自分で選んだふうに演じた。
“選ばされた”ことを、絶対に悟られないように。