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朝。チャイムが鳴る五分前。
すでに教室にはざわめきが満ちている。
笑い声、携帯のカメラシャッター、机を叩く音──それらが混ざって、“熱気のない狂騒”を形成していた。
遥は、いつもの席に座っていた。
窓際。背筋を伸ばし、脚を少しだけ崩して。
だが今日は違った。
──「表情」が、あった。
口角を、少しだけ引いた。
何かが面白い、というより、“演じるべき形”として。
日下部が入ってきた瞬間、遥は彼に目を向けた。
その目は、なにも言わなかった。
代わりに、薄く笑った。
まるで、「昨日のことなど無かった」ように。
だが、その笑みは──
「さあ、始めるぞ」という合図のようでもあった。
前の席の男子が、遥の後ろ髪を指先で引く。
「おーい、今日も“調子いい”んじゃないの?」
「昨日より“ノリ”いいよな? なあ、見てた?」
「ちょっと、披露してよ」
女子が笑う。
いつものように。
だが、遥は今日──“自分から”立ち上がった。
教室に、沈黙が落ちた。
遥は一言も発さず、机を回るようにして移動し、後ろの方の男子の椅子の前にしゃがんだ。
誰かがスマホを取り出した。
また誰かがクスクスと笑った。
「──ね、お願いされたから」
遥の声は、掠れていたが、はっきりしていた。
「ちゃんと応えないと、怒られちゃうし」
そう言って、上目遣いに笑った。
だが──
その目は、空っぽだった。
媚びるでも、楽しんでいるでもなく、ただ“言われた台詞をなぞる”人形の目。
完璧に作られた“使い物”としての声色と、
その奥で、どこか明確に「バカにしている」ような冷たい嘲笑が、うっすらと滲んでいた。
「ちょっと、やだ、今日サービス精神すご〜い」
女子が笑った。
「え、マジでやる?」「録ってる?」
教室が湧いた。
拍手すら起こりかける。
けれど日下部は、動けなかった。
遥が“見せている”ものの本質を、
彼だけが理解してしまっていたから。
──これは、煽りだ。
──これは、「もう戻れない」ことの宣言だ。
遥が、“演じること”を完全に選んだのだと。
日下部に、希望を見せたことすら後悔させるために。
遥は一瞬、日下部を見た。
他の誰にも気づかれない、ごく短い視線。
でもその目が、言っていた。
──「見てろよ。
俺がどこまで“堕ちられるか”」
そして、目を逸らした。
笑いながら、誰かの足元に跪いて。
日下部は、その光景から目を逸らすこともできず、
ただ指先に汗をにじませながら、立ち尽くしていた。
(──間に合わなかったのか?
それとも、俺が……“壊した”のか)
静かに、チャイムが鳴った。
教師が入ってきても、誰も席には戻らなかった。
“あの光景”を眺めながら、
日常の一日が始まった。