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『第十五話 撒かれた種』
──八月下旬。
お盆も明けた土曜日の昼下がり。
冷房の効いた図書館には、夏休みの宿題を広げる小学生、絵本を読む親子、受験勉強に励む高校生たちが思い思いの時間を過ごしていた。
「……ふぅ」
問題集を閉じた千夏が小さく息をついた。
「今日はここまでにするか」
一緒に来ていた悠真が読みかけの小説を閉じる、その時だった。
「……亜土」
「ん?」
不意に声をかけられ顔を上げると、そこには隼斗が立っていた。
「……あ」
千夏も驚く。
隼斗は「ちわっス」と悠真にも頭を下げた。
彼は少し迷った後、頭をかきながら一枚の紙を差し出した。
「ここに来れば、亜土に会えるって聞いてさ……これ」
二人は紙を覗き込む。
『三年生引退記念サッカー交流試合』
場所は公営グラウンド。
日時は明日の午後。
それだけが書かれた簡単な案内だった。
「来てほしい」
それだけ言う。
「私が?」
隼斗は頷く。
「うん」
「神崎さんたちは?」
「呼んでない」
千夏は首を傾げる。
隼斗は鼻の頭をかきながら言った。
「明日は、亜土に見てほしい」
そう言い残し、二人に頭を下げると帰っていった。
「お兄様……どうしよう」
悠真は微笑みながら応える。
「行ってきな。こんな機会なかなかないぞ」
千夏はチラシを見つめた。
──試合当日。
夏空の下、公営グラウンドでは芝生が青々と揺れていた。
地域の高校で部活を引退した三年生たちによる、毎年行われる交流試合。
トーナメント表もなければ表彰台もない。
ただ最後にみんなでサッカーを楽しもう。
そんな催しだった。
千夏は、なれない場所に戸惑いながらグラウンドに入る。
「よっ、ちなっちゃん!」
「来たな」
いきなり声をかけられ、驚いて振り向く。
芝生の観覧スペースには、隆太と瑛人が座っていた。
「こ、こんにちは」
「ほら、ここ座れよ」
瑛人は自分の隣を手で軽く叩く。
隆太は缶ジュースを差し出した。
「ありがとうございます」
千夏も隣へ腰掛ける。
しばらく試合前のフィールドを眺めていると、千夏は気になっていたことを尋ねた。
「どうして私だったんですか?」
隆太と瑛人は顔を見合わせる。
そして笑った。
「隼斗な」
「ちなっちゃんに見てもらいたかったんだよ」
「え?」
瑛人が続ける。
「あの日からさぁ」
「あいつ、謝ることばっか考えててさ」
隆太も苦笑する。
「でも謝るだけじゃ足りねぇって」
「だから今日さ」
「ちゃんと見てもらうんだってよ」
「ほんま面倒くせぇやっちゃ」
二人はけらけらと笑う。
千夏はどことなく場違いを感じながら、静かにフィールドを見る。
選手達が入ってきた。
中には有名選手やサッカー漫画のキャラに仮装して、はしゃいでいる選手もいる。
本当にお祭り騒ぎ。高校での部活生活、最後の思い出のイベント。
観客たちも笑いながら声援を送る。
そして──
隼斗が入場した。
会場が揺れるほどの歓声。
「きゃあっ!隼斗くーん!」
「頑張ってーっ!!」
女子たちの黄色い声援。
「来たぞ、地区予選の台風!」
「最後に一発決めろ!」
他校の男子たちもどよめく。
千夏は驚いた。
自分の知らない隼斗の人気、そして見たことのない険しい表情。
笑い声に包まれた会場の中で、隼斗だけが試合を戦う顔をしていた。
「オラ、隼斗ぉ!リラックスリラックス!」
「ちなっちゃん、見てるぞ!」
隆太と瑛人も大声を出す。
しかし、隼斗はこちらに一瞥もしなかった。
──試合開始。
最初は笑い声ばかりだった。
「おいパス!」
「外したー!」
「下手くそ!」
「ビビってんじゃねーぞ!」
女子生徒たちの声援も飛ぶ。
「頑張ってー!」
まるで文化祭のイベントのようだった。
しかし、一人だけ違う空気の選手がいた。
隼斗だった。
ボールが転がる。
誰よりも速く走る。
奪う。転ぶ。立つ。また走る。
その姿には、一切の妥協がなかった。
「……」
千夏は目を離せない。
汗が飛ぶ。息が荒れる。
顔を真っ赤にして、それでも走る。
走る。
走る。
誰よりも走る。
「アイツさ、昔からああなんだ」
隆太が笑う。
瑛人も肩をすくめる。
「だから“サッカー馬鹿”」
笑いながら言う。
「でも、誰よりもマジ」
「ボール蹴らせたら豹変する」
その言葉通りだった。
遊びの試合なのに、隼斗だけは公式戦を戦っているようだった。
やがて、その熱は周囲へ伝わる。
「負けてられっか!」
「戻れ!」
「走れ!」
笑っていた選手たちの目が変わる。
試合が本物になった。
千夏は思い出していた。
──あの日。
私に懸命に謝っていた隼斗。
あの時は分からなかった。
でも今なら分かる。
この人は、誰よりも努力した人なんだ。
勉強を頑張る私を見て、自分もサッカーを頑張ろうと思ったと言ってくれた。
そして今。
私はその努力の結果を見ている。
試合終了まで、あとわずか。
味方がボールを奪う。
隆太が立ち上がる。
「隼斗ぉ──!」
瑛人も叫ぶ。
「行けぇ──!」
パスを回す。
そしてボールは隼斗の足元へ。
前にはキーパーが一人。
一瞬グラウンドが静まり返った気がした。
──その瞬間
千夏も立ち上がっていた。
気づけば叫んでいた。
「隼斗く──ん!!」
隼斗はボールに狙いを定める。
「頑張れ────────っ!!」
ありったけの千夏の声が、風を切る。
隼斗は一瞬だけ息を止めた。
最後の一歩。
右足を振り抜く。
乾いた音。
ボールは一直線にゴールネットへ突き刺さった。
歓声が爆発する。
「うぉおおぉ──っ!!」
仲間が次々と隼斗に飛びつく。
隼斗は、やっと笑顔を見せて、その輪から少しだけ離れた。
そして──
芝生にいる千夏へ向かって、大きく右手を上げた。
千夏も笑って、大きく手を振り返した。
あの日は涙で終わった二人が、今は笑顔で応え合っている。
言葉はいらなかった。
応援は、ちゃんと届いていた。
──試合終了。
まだ熱気の冷めやらぬフィールド。
選手も観客もお祭り騒ぎだ。
そっと一人、千夏は離れていく。
夕日に染まるグラウンドを振り返りながら、千夏は小さく微笑んだ。
誰かの努力は、誰かの勇気になる。
私は今日、それをグラウンドで見た。
隼斗くんは、その意味を全力で証明してくれた。
『私……それをたくさんの人に伝えたい』
その想いは、まだ夢とは呼べないほど小さかった。
けれど確かに、この夏、千夏の心に撒かれた最初の種だった。
夏の終わりを告げる風が吹く。
その風は、少しだけ秋の匂いがした。
──続く
#年の差
夏目萌*優しい彼~コミカライズ
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当麻月菜
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コメント
1件
第十五話、読み終わりました……! 隼斗くんが「見てほしい」って千夏さんを試合に呼んだところ、胸がぎゅっとなりました。あの日泣いてた二人が、今は笑顔で手を振り合う。それだけで充分だよって思いました。それに、隆太くんたちの「謝るだけじゃ足りねぇ」って言葉、友達のことをちゃんと見てる感じがして好きです。千夏さんの心に撒かれた種、これからどんなふうに育っていくのか、すごく楽しみです🍀