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無邪気に笑うリヨツグは、年齢のわりに幼く見えた。上目使いの瞳は常に潤んでいて、詐病を装っていたあの頃の表情とは違っていた。

瀬戸際がこれまでの虚言ついて尋ねると、ミュンヒハウゼン症候群を装った、13歳の鮫島結城を演じただけだと言った。

事実、鮫島結城は少年時代に心療内科への通院歴があった。

カウンセリングを受ける中で、病院側は鮫島結城の母親に入院を勧めるものの、その過程で別の患者が院内で死亡する事件が起こり、うやむやのまま時間だけ過ぎてしまった。

後々その病院は、度重なる診察義務違反と看護助手による患者への暴行事件が明るみになり廃院してしまった。

自由になれた気がしますー その言葉の意味を考えながら、瀬戸際は待ち合わせ場所の会議室へ向かっていた。

カニバリズムの真相と全人格の統合、リハビリテーションを含めた診療計画、鮫島結城とのこれからの長い付き合いを考えると、言いようのない侘しさを感じた。


「瀬戸際先生!」


背後から聞こえた声に振り返ると、研修医の知念正也が丁寧に頭を下げていた。

先程までのカウンセリングをモニターで見ていた知念は、興奮した様子で早口になっていた。


「勉強になりました」


「いやいや、これからだから、今後一緒に来てもらうことになるかも知れないね。状況次第だけど用意はしといて」


「はい」


「君は・・・」


「はい」


「どこの大学出身だったかな?」


「はい、九州中央医科大です」


「そっか、福岡だっけかな?」


「はい」


そこまで言って瀬戸際は後悔した。

ふたまわりは違う年齢の知念とは共通の話題もなく、何よりも、物怖じせずに話しかけて来る屈託のなさが苦手だった。


「知念さんはアレかな、今日は内藤先生だっけ」


「そうです」


「しっかりね」


「はい、ありがとうございます」


瀬戸際は知念の後ろ姿を見送った後で、さっと階段を降りて行った。

1階の手狭な会議室の扉を開けると、鴻上翔子が振り向きざまに。


「よろしくお願いします」


「いや、お待たせしました、先日は申し訳ない、不快な思いをさせてしまって」


「いえ、取材ですから」


「それよりも、お腹空いてません? 少々付き合って貰えませんか? 食堂へ行きましょう」


「え?」


「こんな堅苦しい場所よりも、開放感があって色々引き出せるかも知れませんよ」


瀬戸際は翔子を食堂へ誘って、窓際の席を勧めた。

低い天井と狭さにバツの悪さもあったが、食事が出来るまでの間、これまでの事の顛末を話すと、祥子は興味深げにメモを取って聞いていた。

ハンカチーフの上に置かれたボイスレコーダーは、忠実に周囲の音にも反応している。瀬戸際がお詫びを述べると、祥子は愛想の良い顔で応えた。

目玉焼き定食にはウインナーとサラダとみそ汁が付いていて、瀬戸際は箸で割った半熟卵にソーセージを絡めながら食べ始めた。

翔子は醤油ラーメンを豪快に啜ってからボイスレコーダーの電源をオフにした。


「ん?良いんですか?」


「ええ、食事中ですから」


「ですよね」


「あ、患者さんたちは何処で食事をするんですか?」


「基本的に食堂です。此処はデイルームの一部を使用しています」


「鮫島さんもですか?」


「彼は今は保護室ですから、そこで食べます。それまではみんなと一緒に食べてましたよ。彼はハンバーグが好きでね。実に美味そうに平らげるんです。見ている側も食欲を刺激されるって、他の患者は言ってました。彼は巧みです」


「巧み?」


「ええ。と言うより、三宅リヨツグがコミュニケーション能力に長けている。が正しいかな」


「三宅リヨツグがカニバリズムを・・・」


言いかけた翔子は、ラーメンに浮かぶ一枚のチャーシューを見て黙り込んだ。

途端に気分が悪くなったと同時に、食欲も失せてしまった。

瀬戸際は場違いな大笑いをして。


「そう慌てないで、まずは腹ごしらえでしょう」


と、卵黄の滴るソーセージを頬張った。

翔子は、精神科学会において、鮫島結城が特別な逸材であるのを理解し、また解離性同一性障害の治療の難しさも解っていた。

目の前で笑う精神科医師のあっけらかんとした態度に困惑しつつ、これが現実なのだと言い聞かせながらラーメンを啜った。

そして今後の取材を考えると、自分の度量が、俄に頼りなく思えて来たのだった。

きみの瞳に恋をしている 壱

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