テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
山を下りた先にあった村は、思っていたよりずっと小さかった。
畑と、数軒の藁葺き屋根。
夕暮れの煙が空へ細く伸びている。
「……助かった」
ロウが小さく息を吐く。
もしここにも人がいなければ、野宿になるところだった。
今のマナにそれは厳しい。
「歩けるか?」
ライが支えながら尋ねる。
マナは頷こうとしたが、うまく力が入らない。
体が重い。
頭もぼんやりする。
「……ちょっとだけ、しんどい」
珍しく素直な弱音だった。
ライの表情が曇る。
「すぐ休める場所を探そう」
三人は村の奥へ進んだ。
すると、一軒の古い家の前で、薪を割っていた老婆が顔を上げる。
「……旅人かい」
皺だらけの優しい声だった。
ロウが頭を下げる。
「一晩、泊めてもらえませんか。金なら払います」
老婆は三人をじっと見た。
特に、顔色の悪いマナへ視線を向ける。
「その子、熱があるね」
マナは少し肩を竦めた。
「大したことないです」
「嘘お言い」
ぴしゃりと言われる。
「立ってるのも辛そうじゃないか」
老婆はため息をつき、家の戸を開けた。
「狭い家だけど、休んでいきな」
「……いいのか?」
ロウが僅かに警戒を滲ませる。
見知らぬ旅人を泊めるなど、本来なら危険だ。
だが老婆は笑った。
「こんな時代だもの。助け合わなきゃ、生きてけないよ」
その言葉に、ライが静かに頭を下げた。
「感謝します」
家の中は小さかったが、温かかった。
囲炉裏の火。
味噌の匂い。
誰かの暮らしの匂い。
それだけで、張り詰めていた心が少し緩む。
マナは敷かれた布団へ座った瞬間、力が抜けるように倒れ込んだ。
「おい、マナ」
ライが慌てて肩を支える。
熱い。
触れた手が驚くほど熱を持っていた。
老婆が水桶を持ってくる。
「無理したんだろうねぇ」
冷たい布を額へ乗せられ、マナは小さく目を閉じた。
「……すみません」
「謝る元気あるなら大丈夫だよ」
老婆は笑う。
その笑顔が、どこか母親のようで。
マナは少しだけ泣きそうになった。
夜。
外では虫の声が響いていた。
ロウは戸口近くに座り、刀を膝へ置いている。
警戒を解いていない。
18
3,143
ライは布団の傍から離れなかった。
「……ライ」
うとうとしていたマナが、薄く目を開ける。
「水、飲むか?」
「うん……」
ライはそっと身体を起こし、水を飲ませた。
その手つきがあまりに優しくて、マナはぼんやり笑う。
「……お前、昔より世話焼きになったよな」
「誰のせいだ」
「俺?」
「お前以外にいるか」
静かなやり取り。
ロウはその様子を横目で見ながら、ふっと笑った。
「ほんと仲良いな」
「茶化すな」
ライが低く返す。
だが少しだけ、声が柔らかい。
ロウは囲炉裏へ薪を放り込んだ。
火がぱちりと弾ける。
「……でもまぁ、良かったな」
「何がだ」
「関所」
ロウは炎を見つめたまま言う。
「越えられなかったら、たぶん終わってた」
その言葉に空気が静まる。
マナも薄く目を開けた。
終わっていた。
たしかに、その通りだ。
もし見つかっていたら。
ライは連れ戻され、自分は——。
そこまで考えて、マナは目を伏せる。
するとライが手を握った。
「考えるな」
低く、穏やかな声。
「もう越えた」
その一言に、少しだけ息がしやすくなる。
ロウはそんな二人を見て、小さく笑った。
「……けど、ここから先の方が厄介だぞ」
「どういう意味だ?」
「隣国は、簡単に余所者を受け入れない」
ロウの表情が少し真面目になる。
「特に最近は盗賊も多いし、流民も増えてる」
「……」
「仕事も、住む場所も、自分で見つけなきゃいけねぇ」
貴族だったライには、未知の世界だ。
何も持たず生きること。
名も、家もなく。
ライは静かに俯いた。
その横顔を見て、マナは胸が締め付けられる。
本当なら。
ライは綺麗な着物を着て、家臣に囲まれて生きる人だった。
こんな逃亡生活なんて、無縁だったはずなのに。
「……後悔してる?」
気づけば、そう聞いていた。
部屋が静まる。
ライは驚いたようにマナを見た。
「何を」
「俺と来たこと」
熱でぼんやりしながらも、それだけが怖かった。
ライの未来を奪ってしまった気がして。
すると。
ライは少しだけ目を細めた。
それは困った時の顔に似ていた。
「お前は、本当に馬鹿だな」
「え」
「何度言えばわかる」
ライはマナの手を握り直す。
温かい。
「お前といるために、俺はここにいる」
迷いのない声だった。
「だから、後悔など一度もしていない」
マナの目頭が熱くなる。
泣きたくないのに、涙が滲む。
ロウはわざとらしく立ち上がった。
「……外見てくる」
気を遣ったのだろう。
戸が閉まり、二人きりになる。
静かな夜だった。
ライはそっとマナの髪を撫でる。
「早く治せ」
「……ん」
「お前が倒れると、怖い」
その小さな本音に、マナは目を見開いた。
ライがこんな風に弱さを見せるのは珍しい。
マナは熱で重い身体を少し動かし、ライの袖を掴む。
「大丈夫」
掠れた声で笑う。
「ちゃんと、隣にいるから」
ライは何も言わなかった。
ただ、その手を強く握り返した。
コメント
1件
第23話、読ませていただきました。ここに辿り着くまでの旅の息苦しさがあったからこそ、老婆の「助け合わなきゃ生きてけないよ」という一言と、囲炉裏の灯りが沁みましたね。マナが「後悔してる?」と聞く場面、怖くて仕方なかったんだろうな……。ライの「後悔など一度もしていない」という返しに、ずっしりと重くて優しい確かさがあって、胸が熱くなりました。お二人の静かな夜のやり取り、とても好きです。