テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
848
413
永 遠 . @ 眠
山を下りた先にあった村は、思っていたよりずっと小さかった。
畑と、数軒の藁葺き屋根。
夕暮れの煙が空へ細く伸びている。
「……助かった」
ロウが小さく息を吐く。
もしここにも人がいなければ、野宿になるところだった。
今のマナにそれは厳しい。
「歩けるか?」
ライが支えながら尋ねる。
マナは頷こうとしたが、うまく力が入らない。
体が重い。
頭もぼんやりする。
「……ちょっとだけ、しんどい」
珍しく素直な弱音だった。
ライの表情が曇る。
「すぐ休める場所を探そう」
三人は村の奥へ進んだ。
すると、一軒の古い家の前で、薪を割っていた老婆が顔を上げる。
「……旅人かい」
皺だらけの優しい声だった。
ロウが頭を下げる。
「一晩、泊めてもらえませんか。金なら払います」
老婆は三人をじっと見た。
特に、顔色の悪いマナへ視線を向ける。
「その子、熱があるね」
マナは少し肩を竦めた。
「大したことないです」
「嘘お言い」
ぴしゃりと言われる。
「立ってるのも辛そうじゃないか」
老婆はため息をつき、家の戸を開けた。
「狭い家だけど、休んでいきな」
「……いいのか?」
ロウが僅かに警戒を滲ませる。
見知らぬ旅人を泊めるなど、本来なら危険だ。
だが老婆は笑った。
「こんな時代だもの。助け合わなきゃ、生きてけないよ」
その言葉に、ライが静かに頭を下げた。
「感謝します」
家の中は小さかったが、温かかった。
囲炉裏の火。
味噌の匂い。
誰かの暮らしの匂い。
それだけで、張り詰めていた心が少し緩む。
マナは敷かれた布団へ座った瞬間、力が抜けるように倒れ込んだ。
「おい、マナ」
ライが慌てて肩を支える。
熱い。
触れた手が驚くほど熱を持っていた。
老婆が水桶を持ってくる。
「無理したんだろうねぇ」
冷たい布を額へ乗せられ、マナは小さく目を閉じた。
「……すみません」
「謝る元気あるなら大丈夫だよ」
老婆は笑う。
その笑顔が、どこか母親のようで。
マナは少しだけ泣きそうになった。
夜。
外では虫の声が響いていた。
ロウは戸口近くに座り、刀を膝へ置いている。
警戒を解いていない。
ライは布団の傍から離れなかった。
「……ライ」
うとうとしていたマナが、薄く目を開ける。
「水、飲むか?」
「うん……」
ライはそっと身体を起こし、水を飲ませた。
その手つきがあまりに優しくて、マナはぼんやり笑う。
「……お前、昔より世話焼きになったよな」
「誰のせいだ」
「俺?」
「お前以外にいるか」
静かなやり取り。
ロウはその様子を横目で見ながら、ふっと笑った。
「ほんと仲良いな」
「茶化すな」
ライが低く返す。
だが少しだけ、声が柔らかい。
ロウは囲炉裏へ薪を放り込んだ。
火がぱちりと弾ける。
「……でもまぁ、良かったな」
「何がだ」
「関所」
ロウは炎を見つめたまま言う。
「越えられなかったら、たぶん終わってた」
その言葉に空気が静まる。
マナも薄く目を開けた。
終わっていた。
たしかに、その通りだ。
もし見つかっていたら。
ライは連れ戻され、自分は——。
そこまで考えて、マナは目を伏せる。
するとライが手を握った。
「考えるな」
低く、穏やかな声。
「もう越えた」
その一言に、少しだけ息がしやすくなる。
ロウはそんな二人を見て、小さく笑った。
「……けど、ここから先の方が厄介だぞ」
「どういう意味だ?」
「隣国は、簡単に余所者を受け入れない」
ロウの表情が少し真面目になる。
「特に最近は盗賊も多いし、流民も増えてる」
「……」
「仕事も、住む場所も、自分で見つけなきゃいけねぇ」
貴族だったライには、未知の世界だ。
何も持たず生きること。
名も、家もなく。
ライは静かに俯いた。
その横顔を見て、マナは胸が締め付けられる。
本当なら。
ライは綺麗な着物を着て、家臣に囲まれて生きる人だった。
こんな逃亡生活なんて、無縁だったはずなのに。
「……後悔してる?」
気づけば、そう聞いていた。
部屋が静まる。
ライは驚いたようにマナを見た。
「何を」
「俺と来たこと」
熱でぼんやりしながらも、それだけが怖かった。
ライの未来を奪ってしまった気がして。
すると。
ライは少しだけ目を細めた。
それは困った時の顔に似ていた。
「お前は、本当に馬鹿だな」
「え」
「何度言えばわかる」
ライはマナの手を握り直す。
温かい。
「お前といるために、俺はここにいる」
迷いのない声だった。
「だから、後悔など一度もしていない」
マナの目頭が熱くなる。
泣きたくないのに、涙が滲む。
ロウはわざとらしく立ち上がった。
「……外見てくる」
気を遣ったのだろう。
戸が閉まり、二人きりになる。
静かな夜だった。
ライはそっとマナの髪を撫でる。
「早く治せ」
「……ん」
「お前が倒れると、怖い」
その小さな本音に、マナは目を見開いた。
ライがこんな風に弱さを見せるのは珍しい。
マナは熱で重い身体を少し動かし、ライの袖を掴む。
「大丈夫」
掠れた声で笑う。
「ちゃんと、隣にいるから」
ライは何も言わなかった。
ただ、その手を強く握り返した。
コメント
1件
第23話、読ませていただきました。ここに辿り着くまでの旅の息苦しさがあったからこそ、老婆の「助け合わなきゃ生きてけないよ」という一言と、囲炉裏の灯りが沁みましたね。マナが「後悔してる?」と聞く場面、怖くて仕方なかったんだろうな……。ライの「後悔など一度もしていない」という返しに、ずっしりと重くて優しい確かさがあって、胸が熱くなりました。お二人の静かな夜のやり取り、とても好きです。