テラーノベル
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あ、やっと戻った。……と思ったら、またひなの写真立ての前にいた。
でも、何かがおかしい。主に顔のあたりが……。
私は自分の顔に手をやってみた。
頬がかすかに濡れている? それに、鼻も詰まっていて、喉の奥に苦しいような痛さがある。
離れていた10分ほどの間に、何かあったの?
「マーマー! あがったー!」
ひながお風呂から上がったようだ。
壁掛け時計を見ると、12~13分ほどが経過している。
やっぱり、私があの宴会で過ごした時間と大体同じ……。
そう思いながらひなをバスタオルで拭こうとすると、ひなが言ったのだ。
「ママ、おっきなアメもうたべちゃった? ずるいよぅ。ママだけたべて。ひなもおっきなきいろのアメたべたかったのにー」
え? ひな、私がどんぐり飴を食べていたこと、知ってる?
「ママ、かんだの? なんの味だった?」
「……オレンジ。ママは噛まないよ」
そこでふと洗面台の鏡が目に入った。
私だ。いつもの仕事終わりの精彩を欠く私がそこにいた。
いつもと違うのは、明らかに泣いた後の目をしていること……。
泣いた? 誰が……?
ハッ! どうして気づかなかったの?
私は鷹也に変身したんじゃない。鷹也と入れ替わっていたんだわ!
考えなくても簡単にわかることだった。
私の魂は鷹也にの体に入っていた。ということはその間、鷹也の魂は?
そうよ、私の体に入っているに決まっている。ファンタジー小説で言うところの『男女逆転』の方だ。
「バレた……?」
鏡には顔面蒼白になっている私が映っている。
勝手に子供を産んだこと、鷹也にバレたの?
どうしよう! 一生知らせるつもりなかったのに!
「ママ? ……どうしたの?」
ひなが私の様子がおかしいことに気づき、顔をのぞき込んでくる。
「杏子? どうかしたのか? どんぐり飴、喉に詰まったとか……」
「――!」
頭にタオルを掛け、ボクサーパンツを履いただけの大輝が浴室から出てきた。
大輝は、いとこと言うよりは姉弟のような関係なので、まったく遠慮も恥じらいもない。
いやそれより大輝が知ってる⁉ ということは、鷹也はここまで来て大輝を見たの?
頭が混乱していた。
鷹也が見たのは、おそらくひなと大輝が仲良くお風呂に入っているところ。そして鷹也と大輝は過去に会ったことがない。ということは……ひなと大輝を親子だと思っている可能性も、ある?
「杏子? お前顔が真っ青だぞ? 目は赤いし。大丈夫なのか?」
「ママ、しんどい?」
二人が心配している。
祖母が亡くなったという悲しい経験をしたところだ。私の不調が病的なものじゃないか気になるのだろう。
「……ん、大丈夫だよ。さっきからちょっと眠たかっただけ。大きなあくびをしたの。二人ともずいぶん長く入っていたからのぼせてない?」
「いや、湯の温度が低くかったから大丈夫だけど、さすがに喉が渇いた」
「今日泊まっていく? ビールもあるけど、オンコールならダメよね」
「だだ、とまって! あしたこうえんにいこう?」
ひなが期待に満ちた目で大輝を見ている。
「あー……ひなごめん。明日は朝早いんだ。今日手術した患者さんの様子を見ておきたくて」
オペの後だもの、やっぱり気になるよね。
「そっかー。じゃあまたこんどね。だだ、がんばってね」
ひなはわがままを言わない。
それは迷惑をかけちゃいけないことをもうこの年でわかっているからだ。
シングルマザーの私に、周りの人は本当によくしてくれる。私は恵まれていると思うけれど、だからと言って相手の都合も考えず頼ったり甘えたりすることはない。むしろ「ごめんね」「ありがとう」という言葉を欠かさず周りに伝えてきた。なるべく迷惑をかけないように、感謝の気持ちをいつも伝えて……と、そう思って。
でも私のそんな態度がそのままひなにも受け継がれてしまったのよね。
祖母が生前言っていたことがある。
「杏子の気遣いはわかるよ。皆にありがたいと思っている気持ちもね。でもね、もっと遠慮なく甘えてくれていいんだよ。孫がばあちゃんに遠慮するもんじゃない。杏子が遠慮するから、ひなまで皆に遠慮しているじゃないか。ばあちゃんはね、もっと無邪気に甘えられたいのさ。浩一だって、知美さんだって同じだと思うよ」
つまり、祖母は私やひなの態度に遠慮という壁を感じたということだ。
そうは言われても、やっぱりなるべく誰にも迷惑をかけないように生きたいという思いは変わらない。それがたとえ家族であっても。
ただ、あまりにも聞き分けのいいひなの態度を見ていると、少し心が痛むのだ。
「……明日、6時には出るつもりだけど、今日は泊まっていくよ」
「ほんとー⁉ やったー!」
「大輝……ありがとうね」
大輝にはいつも感謝している。
彼女がいるにもかかわらず、従姉とその娘の面倒をみるために駆けつけてくれるのだから。
ひなにとって、大輝は父親代わりだと思われていることにも気づいているのだろう。
『男女逆転』か……。
どうしてそんな現象が起こるようになったのか。
それに、おそらくひなの存在を知られたことも、いろいろと考えなければいけないことが山積みだった。
でも今日はもういっぱいいっぱいだった。大輝の厚意に甘えてひなを寝かしつけてもらい、私もお風呂に入ることにした。
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