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自分の体に戻った俺は、居酒屋の待合席に座っていた。
前回のことも含めて考えてみると、この体をここまで動かしたのは、きっと俺に代わってこの体に入った杏子だ。
それで前回女子トイレにいたことの説明がつく。
『入れ替わり』か……。
現代国語でも物語文が苦手だった俺。ファンタジー小説なんてとんでもない話だと思っていたけれど、現実に『入れ替わり』を経験してみると、意外と冷静に受け止めている俺がいる。
実際にこの身に起きたことなんだから認めるしかないのだ。
それにしても……。
「……最悪だ」
俺は頭を抱えた。
前回は見合いの最中で、今日はよくわからない女どものハーレムの中に放りこまれていたんだよな。
俺の印象、最悪だろうな……。
杏子の幸せそうな家庭と、俺の今置かれている幸せとは無縁の環境を比べて、どっと疲れが押し寄せてきた。
何もかもが空しい。
俺が欲しかったものは、もう永遠に手が届かなくなってしまったのだから。
宴会の席には何故か親父が参加していた。
気分が全く浮上しないまま席に戻った俺は、相当顔色が悪かったのだろう。
何故か親父が俺の代理をすると言って、早々に帰るように命じられた。
いつもふざけたことばかり言う親父だか、今回ばかりは助かった。
こうして俺は宿泊しているホテルへ帰ることになった。
翌日は朝から不動産屋へ行き、なるべく早く住むところを探す予定だった。
しかし全くそんな気になれず、俺はホテルのジムで汗を流すことにした。
ロスでは伯父の屋敷にジムが完備されていて、毎日トレーニングを欠かさないようにしていた。
しかし帰国してから全く体を動かしていなかったので、たったの5日で筋肉が悲鳴をあげている。
俺は無心になるため、徹底的に体を痛めつけた。
午後になり、母親からメッセージが入っていることに気づく。
帰国から一度も実家に寄っていなかったのでしびれを切らしているのだろう。
さすがに今日は顔を出さないとな。
そう思いながらも、気分は一向に晴れず、ホテルのベッドの上で鬱屈とした時間を一人で過ごしていた。
◇ ◇ ◇
「やっと帰ってきたのね」
開口一番、母に文句を言われた。
まあそうだろう。帰国から5日も経っていて、父には何度も会っているのに母とは会っていなかったんだから。
「ただいま」
「帰国したんなら、普通は実家に真っ先に顔を出すわよね?」
「悪かったよ……。帰国するなり父さんにだまされて見合いしたんだぞ。あれがなかったら帰れてたよ」
俺のせいではない。父親のせいだと言うことを強調しておく。
ぐつぐつと煮えている鍋から母親特製の鶏団子と野菜をお玉で掬い、俺の前に椀を置きながらも小言は続く。
「お父さんにも困ったものだわ……。でもお父さんの気持ちもわかるのよ? あなたもういい年なんだから――」
あ、まずい。ここでも結婚だの子供だのという話になりそうだ。
「俺は男。まだ30にもなっていないのに、別に急ぐ必要はないだろう? あ、そっちの薬味取って」
「はい。光希くんはもう二人目が生まれているのよ?」
また光希の話か。あいつが早いだけなのに。それに光希の方が年上じゃないか。
「女なんだろう? 出産祝いまだしてないんだ。何を持って行ったらいい?」
「そうねぇ……。もう何でも揃っていそうだからお祝い金の方が良さそうだけど、それだと味気ないわよね」
正直出産祝いなんて全く想像がつかない。
そこへ妹の千鶴が帰ってきた。
「お兄ちゃん、おかえりー。お母さん私も入れて」
「はいはい、今日は飲めるの?」
「うん。オンコールじゃないから。お兄ちゃんも飲む?」
そう言って麦焼酎『兼八』をドンッとテーブルに置いた。
「『兼八』か……。焼酎は久しぶりだな」
「水割りでいい?」
「あ、お母さんも――」
「父さんのも作ってくれ」
父親も帰ってきて全員飲むようだ。
森勢の家は酒豪だ。そして仲が良い。
日本でも有数の医療専門商社の社長であるにもかかわらず、父は家族思いの愛妻家で家庭を第一に考えている。
それはロスにいる叔父も同じで、アメリカに滞在中は叔父とその家族が俺のことを息子のように受け入れてくれた。
「ちょっとお父さん? 帰国するなり鷹也にお見合いをさせたんですって?」
「え、あ、いや……」
「ええーっ! 帰国した日に? 何やってんのよお父さん。さすがにお兄ちゃんが可哀想だわ」
そうだろう、そうだろうと、俺は無言で頷く。
「鷹也もやっとあの女から解放されたし、そろそろ結婚を考える年だろうと思ってな」
「まあ、鷹也も苦労したからねぇ……」
ハァ……。あの女のことはもう考えたくもない。どれだけ迷惑を被ったことか。
「それに長岡の家はもう孫が二人もいるんだぞ? 早くうちにも欲しいじゃないか……」
また孫の話題か。
杏子の子供のことを思い出して、チクッと胸が痛んだ。