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響き渡るのは剣と剣のぶつかり合い。人の膚を引き裂くべく鋭く研がれた鋼と鋼のかち合う音がまるで夢の向こうに微睡む神に捧げられる鐘の音のように雑音混じることなく鳴り渡る。
梯子山の北にある真円の丘の頂に座す市街の中心、二柱の白大理石の女神の向かい合う間にある聖なる広場で、甲冑に身を包んだ二人の戦士が競り合う。かつて女神を見出した預言者の護衛を務めたという二領の鎧はよく似た意匠だが、かたや常人には持ち上げることもできないであろう大剣を振るい、かたや凡人には平衡を保つことも困難であろう長短二振りの剣を振るっている。一打、一突き、その全てが全力の一撃であり、しかし少しの呼吸の乱れも力の衰えもなく、新たな一撃を絶え間なく見舞い合う。互いに洗練された剣筋、身のこなしでありながら、獰猛な威勢を伴った戦いは野獣同士の牙と爪で躍りかかるような粗野の闘争だ。
しかしその熱量に反して、戦士の決闘を見守る者たちはまるで侵すべからざる清らかな儀式であるかのように、時折息を呑む以外はじっと静かに戦いの行く末を見つめている。その戦いの有様から吉兆を読み取ろうとしているかのように。
そして清らかな白い衣を纏った十にも満たない二人の幼い娘が観衆の輪の内で、その過激な決闘に臆することなくそれぞれの戦士たちの背後で付かず離れず見守っている。
二人は容貌のとてもよく似た双子だ。年相応の幼気な顔立ちながらまるで未来を見通すような透徹な瞳に試練を乗り越える者の熱意を秘めている。一人は手を組んで目を伏せて、世の悲劇を慰めるような祈りの言葉をひたすらに唱えている。もう一方の娘は一枚の羊皮紙を掲げ、まるで憎悪に駆り立てられたように天を仰ぎ叫びたてている。二人の祈りの言葉と叫びはそれぞれの戦士に不思議な共鳴をもたらし、目には見えずとも確かな力を与えている。
二刀の戦士は上段から振り下ろされる大剣の軌跡を見極めてかわし、兜と鎧の隙間を狙って突き出した渾身の一撃を肩当てでいなされ、勢いのまま一回転した大剣の猛々しい振り上げを両手の剣で弾き、互いに体勢を崩し、一呼吸、雄牛の角の如く突き出した二振りの剣が相手の兜ごと弾き飛ばす。が、同時に大剣によって鎧と兜が分かたれた。両者共に首を刎ねられたような格好だ。
双子の娘も含めてその場にいた全員が呼吸も忘れて静まり返る。しかし戦士たちはなお剣を構え直した。
「止め!」と観衆の中から一人の女が命じると二人の首無し戦士は各々の剣を納める。
その女もまた白く清らかな、しかし年季の入った衣を身に纏っている。戦士たちのそばにいた娘たちよりも一回り年上で、戦いを止めた声色に反して柔らかな表情で進み出る。
「爽やかな子、健やかな子。事前に伝えたでしょう? どちらも死なないのだから、人間であれば死ぬだろう状態になった時に試合をやめなさいと」
「ですが母様、決着がついておりませぬ!」と祈りの言葉を唱えていたニュープが言い返す。
「これではどちらの方が強いか分からぬ!」と叫びたてていたヒュープがやり返す。
「どちらが強いかは分かっておる!」とニュープが返す。「ただ皆に示されておらぬだけだ!」
「皆も分かっておる! 分かっておらぬのはニュープだけだ!」とヒュープも負けない。
「必要ありません。此度の試合は献上された新たな魔術の試しの場。女神とその言葉を賜る巫女を護るに十分な力は確認しました」双子の母は兜を付け直している一方の戦士に目を向ける。大剣を振るう戦士だ。「誰も知らぬ魔法の貴方、名はあるのですか?」
「恥ずかしながら吾輩自身一向存じ上げませぬ!」と大剣の戦士もまた大声で答える。「吾輩はただ主に付き従う守護者にありますれば、呼び名は我が主となる方にお付けいただければよろしいかと存じまする! それはまた吾輩の誉れともなりましょうぞ!」
「良いでしょう。叫びを力とする戦士の主人は幻の祈り手の巫女であるヒュープ、貴女が相応しいでしょう。貴女に一任します」双子の母はもう一方の戦士に目を向ける。「よって、これまで双子の護衛を務めてくれた護る者は、今後ニュープ専任の護衛となっていただきましょう。良いですね?」
「はい、母様」と素直に可憐に答える双子はしかしもう一人の姉妹を忌々し気に睨みつけている。
名も無き新たな守護者はキーデムの方に進み出て、手を差し出す。「心躍る無類の決闘であった! 聞きしに勝る武人であるな。キーデム殿! これから宜しく頼み申す!」
「何をだ?」キーデムは剣を鞘に納めて答える。「お互い、己の主人を護るだけだぜ? 宜しくする機会などないんじゃないか? それに、俺は引き分けで終わらせるつもりはない」
「然もありなん!」叫びを力とする守護者は兜の奥で大いに笑う。そしてキーデムの手を取り、しっかりと握る。「だが長い付き合いになるはずだ! 剣を交えるばかりではなく、共闘することもあるかもしれぬ! お互い主のために剣を磨こうではないか!」
はたして名も無き守護者の言う通りとなった。天覧試合、祭りの余興、双子の巫女の小競り合い、何度となく二人の魔法の戦士は戦い、どちらかが勝ち越しては追い付かれ、負け越しては追い付き、一度ならず神殿を侵した賊を共に誅罰し、暇を貰っては切磋琢磨した。
数年を経て、何度目かのキーデムの勝利の後、賢者招く者の建立した神殿の、人目につかない庭苑の端で全く息を切らさない二人ではあるが戦いの昂揚を鎮めるべく濃い影の差す木陰で憩う。巫女たちがいない時でも彼らは己が業の研鑽にしか興味がなかった。
キーデムは潜む者のように静かに問う。「気づいてるか? ヒュープ嬢がいない時に限ればお前は負け越してるんだぜ?」
「そうだったか!? うむ! そうかもしれんな!」と守護者は常人ならば怒っている時でなければ出さないような声で殊勝に答える。「吾輩の力は主の叫び声の大きさに影響を受けるからな! おっと、すまん! 話すなと我が主に命じられているのだった! 聞かなかったことにしてくれ!」
「まあ、俺も似たような性質がある。誰が作ったのか知らんが、面倒なことだ」
「貴殿こそ得意とする魔術を使っておらんだろう! 我が主から聞いているぞ! 吾輩を相手に手を抜いているのか?」
守護者は大きな身振りでキーデムを責める。
「いや、主人を護る魔術ばかりなんでな。斬り合いには使えねえんだ。ああ、これは秘密だったか」キーデムは信仰篤い者のように控えめな声で話す。「秘密ついでに話しておこう。全体としてはお前の方が勝ち越してるんだ」
「そうだったのか!?」
「ああ、初めてお前と戦った時、俺の札が兜の方にあったなら俺の負けだった」
「だが、そうではなかった! 律儀なことだな! キーデム!」
キーデムは鼻などないが鼻を鳴らす。
二人が二人きりで切り結んでいる時に近づいてくる者はいない。危険であることは当然として、巫女の護衛だとしても空っぽの鎧を不気味がる者は数多い。それ故に守護者の沈黙が辺りの静寂だった。
「貴殿には感謝しておる! キーデムよ!」と照れもなく守護者は叫ぶ。
「どうしたんだよ、突然。恥ずかしい奴だな。いつものことだが」
「吾輩、真の主と歴史に刻む武勇を求めて長い年月を生きていたが、これほど高鳴る日々を過ごしたことはない! 戦場に比べれば平穏なものだが、我が剣と魂はますます鋭く磨きがかかっておるわ!」
「ヒュープ嬢が真の主で良いのか? 神殿にも多少政治的発言力はあるが、実際の所丘の主王国に庇護してもらってる立場だぜ?」
「無論だ! 確かに未熟なところはあるが御二方とも燠火の如く野心を秘めておられる! 彼女らが望むならば神殿の、信仰の守護者となろう!」
「未熟とは言ってねえが。まあ、お前が望むところなら好きにすればいいさ」キーデムは剣の一振りを鞘から抜き放ち、威光の如く鮮烈な陽光にかざす。「それと、俺も、感謝してる」
「何をだ!?」
「俺もずっと研鑽してきた。が、これといって成長しなかった。お前もそうだろうけど、肉体は一切変化しないから、技量と知識を高める他ないんだがまるで変化を感じてこなかった。だが、小憎らしいことに実力伯仲しているお前との戦いが俺を成長させるらしい。そういう訳だから、俺がお前に圧倒的に勝ち越すまで戦い続けてもらうぜ」
「良かろう! 吾輩も望むところである!」
名も無き好敵手が手甲を差し出すとキーデムは応じて強く握手した。
もはや何度目かも分からない、札に憑りつく戦士キーデムと羊皮紙を介して呼び出される叫びの力の守護者の戦いが始まろうとしている。しかし今までにない状況だ。二人の魔法の戦士以外にその場にいたのは祈りの夢巫女ヒュープと呪いの夢巫女ニュープだけだ。その場所は初めに二人が戦った時とは別の広場で、青々とした芝生が植えられ、中心には夢の褥と呼ばれる青銅の塊が鎮座している。
「お嬢、いったい何事だ?」とキーデムが辺りを見回しながらニュープに問いかける。
白昼にあって誰の眼もない奇妙な状況にキーデムは困惑する。
「いいから戦いなさい。どちらが強いのか、決着をつけるのです」と夢巫女ニュープに命じられるとキーデムは抗いようもなく、二振りの剣を抜き放つ。
「御意! 主の望みとあらば戦わぬ理由もなし! しかしならばこそ我が主よ! 吾輩にその望みを聞かせ給え! さすれば更なる力とならん!」
守護者が剣も抜かずに立っているせいか、決着をつけろという命令が果たせないキーデムもまた動きを止めた。
「私たちの母が殺された」とヒュープが淡々と答える。守護者が更に問おうとするがヒュープは聞き流す。「母の死はどうでもよい。元々分かっていたことだ。同時に我らが女神から予言とは別の新たな言葉を二人同時に賜った。曰く、真に偉大な神は我らが父、隠れたる夢幻公なり。我ら姉妹と同様に双子は寵愛されど、真に夢の御園で見えるはただ一人の巫女とただ一人の従者のみ」
ニュープが言葉を継ぐ。「死ぬことのないお前たちの内、負けた者は封印する。神の御言葉だ。使う訳にはいかぬが、しかし余所者に使われる訳にもいかん」
「もしも俺が負けたらお嬢はどうなるんで?」とキーデムは主ニュープに問う。
「もしもお前が勝てば私がヒュープを有効活用する。互いに互いの女神から同じお告げを受け取ったのだ。争うことこそ思し召し。覚悟はできておる。さあ、行け。最初の戦いと同じ、これは力を示す戦いだ」
キーデムもまた覚悟を決める。それは守護者も同じようで、鞘から鏡のように磨かれた剣を抜いた。数えきれないほどの戦いの日々の先にはいずれ終わりがあり、別れがあり、きっと平和平穏ではないだろうとキーデムも守護者も分かっていた。激しい鬨の声と共に斬りかかる。
もはや互いの手の内も間合いも知り尽くしている二人の戦士の戦いざまはまるで演舞の如く華麗だ。最小限の力で剣を受け止め、最小限の動きで剣を避け、嵐の如く激甚な攻防を重ねながら、凪の如く一進も一退もしなかった。しかしそれは二人の巫女がその不思議な戦いの有様に見とれて戦士二人きりの決闘にしていたからだ。
ニュープが魔術を唱え、ヒュープが魔術を叫ぶと戦いはにわかに雷雨の如く激しさを増す。キーデムは風に舞い散る木の葉のように二振りの剣と共に舞い踊り、守護者は洪水に押し流される大岩のように強烈な一撃を繰り返す。
そして少しずつキーデムが押され始める。死に物狂いのヒュープの叫びはもはや呪文の体を成していないが、叫びそのものを力とする守護者は力を更に増していく。
「殺せ!」と叫んだのがどちらの巫女か、一瞬、二人の従者には分からなかった。
どちらもその命令には従わず、ニュープを背にしたキーデムの剣は目にも止まらぬ速さで守護者の兜を刎ね、手甲を切り裂き、胴鎧を貫き、脛当てを弾き飛ばし、熾烈な戦いを終わらせた。
ヒュープが酷使した喉から血を吐いて倒れる。ばらばらになった守護者の鎧は何の反応も示さない。
「よくやりました」とだけニュープは呟いた。
その目の前でキーデムは己の札を貼り直す。たったそれだけのことで支配から逃れられることを巫女ニュープも知っているが、キーデムが裏切るなど想像したこともなく、呆然としている。
「許してくれ。今回きりだ、お嬢」
そう言うとキーデムは溢れる血を抑えるヒュープの元へ行き、大事そうに抱える羊皮紙を奪う。そのまま広場の中心に据えられた青銅の塊、夢の褥に羊皮紙を押さえつけて叫ぶ。
「俺の勝ちだ! ざまあねえな!」
すると青銅の塊が人の形に刳り貫かれ、再び守護者が現れた。辺りを眺め、己の敗北を察し、守護者はうろたえる。
「どういうつもりだ!? キーデムよ! 主に逆らうなど言語道断!」
「元々お嬢たち二人とも俺が護ってたんだぜ。お前がいなくなろうが、どちらかだけが巫女になろうが、それは変わらない。だがお前を封印させはしねえ」
「分かっているだろう!? 誰も許しはせぬことを! 我ら一人でも大軍を相手取る力を持っているのだ! 故に封印なのだ!」
「いや、大軍から護ることはできても勝つことは出来ねえのさ、俺にはな。分かったら行け。お前に相応しい主はここにいない。武勇を歴史に刻むんだろう!?」
「だが、主を裏切るなど!」
「お前は負けたんだよ! 首になったんだ! 潔く受け入れろ!」
キーデムは言葉とは裏腹に守護者に羊皮紙を押し付ける。守護者は悔しそうに俯くが、声を絞り出す。
「恩に着る! だが勝ち数は再び引き分けたのだ! いずれ決着をつけようぞ!」
そう叫んで青銅の塊の誰の守護者でもない守護者はキーデムの元を去る。二人の巫女にも律儀に別れと感謝と詫びの言葉を伝え、護る者の好敵手は夢の神を讃える神殿を去る。