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どうして、吉田が演奏などを勧めてきたのかわからないけれど、でも、助かったと、芳子は、今までとはうって変わって、落ち着きはらった様子を見せた。
「月子さん、少し、驚くかも知れないけれど、全てを話すから、聞いて欲しいの」
そして、お咲へ、退屈だろうけどもう少し辛抱するように言い聞かせる。
月子は、感じが異っている芳子に、もしや、困難な条件を出されるのではないかと、緊張した。
「……西条家の事、つまり、月子さんの事はあらかじめ調べさせてもらってたの……。だから、おおよその事はわかっていたんだけど、話を聞くと、想像以上だったわ」
なるほど、と、月子は、思う。仮にも見合い。佐紀子ですら、相手方は、西条家の、月子親子の事を調べた。それが、男爵家なら……。前もって、月子の事を調べるのは、当たり前の事だろう。
「……申し訳ございません。奥様。私は……連れ子なので、西条家の人間とは言いきれないのです。なのに、もっともな顔をして……」
月子は、頭を下げた。西条と名乗ってはいるが、結局は、うどん屋の娘なのだから。
「ああ!ちょっと、待って!そうじゃないの!月子さんが、西条家に居るというのは、分かったんだけど、どこの女学校を出たとか、花嫁修業をしているとか、普通、耳にする話が、一切出てこなくて……やっと、月子さんの話を聞けたのよ。そこで、とても、素直な働き者の娘さんだと、聞かされてね……物を大切にする、とも、言われたわ……」
芳子は、西条家の裏方へ出入りする、青菜屋、油屋などの、小売り店主達から、なんとか月子の事が聞けたのだと言い、その評判から、ちやほやされているお嬢様育ちではなく、しっかりと家を守っている娘さんだと理解して、この話に乗る気になったらしい。
「こちらは男爵家でしょ?時には、その地位に目が眩む家もある。そして、財産を狙って来る家もある」
とにかく、見合いの話が出て来るたびに、欲に乗じて近寄ってくる家ではないかと、男爵夫婦は、弟、京介の相手をふるいにかけてきた。
「……だけどね、起こっちゃったのよ。京介さんが、好きな人を連れて来たの」
いきなりの、芳子の告白に、月子は、息が止まりそうになる。
岩崎は、月子よりも、身分があり、年齢も上なのだから、何も驚く事ではないはず。と、月子も、頭の中ではわかっているに、どこか、息苦しくなり、胸の苦しさを感じた。
「相手は……異国人。京介さんが、留学中知り合ったそうなの。京介さんが、呼び寄せちゃった訳。当然、京介さんのお父様、前岩崎男爵は、お怒りになって、京介さんを幽閉したの。やって来た女性と引き離すためにね……。そして、いくらかまとまったお金を渡して、相手を、帰国させた……」
まあ、そんなこんな、色々あって、と、芳子は、息をついた。
「とにかく、あの時は、大変だったわ」
そこまで言うと、芳子は、月子へ謝った。
「奥様?!」
「やだ!奥様なんて!芳子って呼んで!ん?お姉様の方が正しいのかしら?!」
ふざけながらも、芳子は、嫌な話を聞かせてしまったと、月子へ再度詫びてくる。
「……月子さん。この話は、もちろん、過去のこと。だから、割りきってもらえないかしら?」
でも、肝心の……、と、そこまで言うと、芳子はだまりこんだ。
つまり……。
まだ、その話には、深い訳があり、それ以前に、岩崎が、過去として処理できておらず、その、女性の事を思い続けているのでは……。
ふと、そんなことが、月子の脳裏に浮かび、ふうっと、気が遠退きそうになった。
「月子さん?大丈夫?顔色が悪いわ!」
やっぱり、この話はしなかった方が、と、芳子も、気まずそうに、月子を見ている。
「……い、いえ、だ、大丈夫です」
いつかは、誰かから聞かされる話だからと、芳子は思ったに違いない。そして、月子へ、あらかじめ聞かせておいた方が良いと、判断したのだろう。
芳子は、芳子なりに、先々の事を考えているのだと、月子は、自分に言い聞かせるが、同時に、岩崎とは、同じ家で暮らすだけで、自分は、女中のように、岩崎の世話をするだけ、と、言い訳のようなことを思い浮かべてもいた。
そして、月子の胸は、相変わらず苦しくて、テーブルの下では、膝が小さく震えている。
なぜ、体がそんな状態になっているのか、月子も分からない。
芳子に見られない様、小刻みに震えている膝を両手でしっかり押さえることしかできなかった。