テラーノベル
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指先が頬に触れた瞬間、緋八マナの呼吸が止まった。
伊波ライの手は驚くほど冷たかった。
けれど、触れられた場所だけが焼けるように熱い。
「……ライ」
掠れた声で名前を呼ぶ。
ライは何も言わない。
ただ静かに、壊れ物に触れるみたいな顔でマナを見つめていた。
その瞳が、ずるいと思った。
こんな目で見られたら、逃げられなくなる。
「お前は、ほんま……」
マナは俯く。
「貴族のくせに変なやつやな」
「よく言われる」
ライが少し笑う。
その声に胸が苦しくなる。
触れてはいけない。
本当は最初から分かっていた。
身分違いの恋など、物語の中でさえ悲劇になる。
まして現実なら、許されるはずがない。
けれど。
「……そんな顔されたら、帰れんやろ」
小さく呟くと、ライが目を見開いた。
次の瞬間、彼は安心したように息を吐く。
「よかった」
「何が」
「本当に帰られるかと思った」
「帰ろうとはしたわ!」
「でも帰らなかった」
「……うるさい」
マナが睨むと、ライは珍しく楽しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、胸が勝手に緩んでしまう。
悔しい。
その夜は、いつもより長く話した。
ライは屋敷の庭に咲いた花の話をした。
マナは村の祭りで子供たちが川に落ちた話をした。
「それで、お前は助けたのか」
「当たり前やろ。放っとけんし」
「優しいな」
「普通やって」
「普通ではない」
ライは静かに言った。
「お前は、自分で思っているよりずっと優しい」
真っ直ぐに言われ、マナは困ったように顔を逸らす。
こういうところだ。
ライは時々、簡単に人の心へ入ってくる。
「……ライのほうが優しいやろ」
「俺が?」
「うん」
マナは膝を抱える。
「貴族なのに偉そうにせんし。俺みたいな農民にも普通に話しかけるし」
「それは、お前だからだ」
「……っ」
またそんなことを言う。
胸がうるさい。
ライは無意識なのだろうか。
もし分かってやっているなら、本当に質が悪い。
「なぁ」
ライが静かに口を開いた。
「もし、お前が嫌でなければ」
「……?」
「また明日も来てもいいか」
マナは少し驚いた。
今までライは、来るとも来ないとも言わなかった。
会える日は運みたいなものだった。
けれど今は、まるで約束を欲しがるみたいに見える。
「……来たいん?」
「ああ」
即答だった。
「会いたい」
その言葉に、胸がぎゅっと締まる。
マナは顔を隠すように俯いた。
「……俺も」
「マナ?」
「会いたい、って思っとる」
ライが息を呑む気配がした。
静かな夜だった。
川の音。
風の匂い。
遠くの虫の声。
その全部が、二人だけの秘密を包み隠しているみたいだった。
だが、その数日後。
その穏やかな時間は突然壊れる。
昼下がり。
マナが畑仕事をしていると、村がざわつき始めた。
「なんや?」
見ると、立派な装束を纏った男たちが村へ入ってくる。
誰もが青ざめ、慌てて頭を下げた。
貴族の従者だ。
しかもかなり位の高い。
嫌な予感がした。
男たちは村人を見回し、やがて一人が口を開く。
「この村に、“緋八マナ”という者がいるな」
心臓が止まりそうになる。
村人たちの視線が、一斉にマナへ集まった。
「……俺、ですけど」
そう答えた瞬間、従者の目が鋭く細められた。
「貴様、最近若君と接触しているな」
若君。
その呼び方に、改めてライとの身分差を突きつけられる。
「……」
答えられない。
否定も、肯定もできなかった。
すると従者は冷たく言い放つ。
「身の程を知れ、農民」
村の空気が凍りついた。
「若君は高貴なお方だ。貴様のような者が近づいて良い存在ではない」
マナは唇を噛む。
分かっていた。
そんなこと、最初から。
「……俺から近づいたわけやない」
思わず漏れた言葉に、従者の目が険しくなる。
「口答えするか」
次の瞬間。
頬を強く打たれ、マナは地面へ倒れ込んだ。
「マナ!」
村人たちが悲鳴を上げる。
口の中に鉄の味が広がる。
それでもマナは、睨み返した。
怖い。
本当は震えそうなくらい怖い。
けれど。
ライとの時間を、汚されたくなかった。
すると従者は冷たく見下ろしながら言った。
「二度と若君に近づくな」
「……」
「もし再び会えば、次は村ごと罰する」
その言葉に、村人たちが青ざめる。
マナの指先が震えた。
自分のせいで、皆を巻き込むかもしれない。
従者たちはそのまま去っていった。
静まり返る村。
誰も口を開けなかった。
やがて、年老いた村人が重い声で言う。
「……もう、やめとけ」
マナは俯いた。
頬が痛む。
胸が痛む。
でも一番痛かったのは。
ライと、もう会えなくなるかもしれないことだった。
コメント
1件
しろまるさん、第3話「月下の約束」、拝読しました。 すごく切なかったです……。「壊れ物に触れるみたいな顔」で見つめるライと、それに気づいてなお「帰れんやろ」と呟くマナのやりとりに、もう胸が締め付けられました。身分違いの恋の重さが、月下の静かな時間と、従者の乱入とで対比になってて、余計に辛い。 「次は村ごと罰する」って台詞、一気に現実を突きつけられて、ただただ苦しい。でもマナが「ライとの時間を汚されたくなかった」と睨み返した強さに、ちゃんと救われました。次の展開が気になります……!
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