テラーノベル
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頬の腫れは、二日経っても消えなかった。
水に映る自分の顔を見るたび、あの日の言葉が蘇る。
――二度と若君に近づくな。
――次は村ごと罰する。
緋八マナは桶を強く握りしめた。
「……っ」
悔しかった。
怖かった。
そして何より、自分が情けなかった。
ライに会いたい。
今すぐ声を聞きたい。
けれど、自分一人の気持ちで村を危険に晒すわけにはいかなかった。
その夜。
いつもの川辺には行かなかった。
家の隅で膝を抱え、じっと時間が過ぎるのを待つ。
外では風が吹いていた。
もしかしたらライは今頃、川辺で待っているかもしれない。
そう思うだけで胸が締めつけられる。
「……ごめん」
小さく呟く。
謝りたい相手が誰なのか、自分でも分からなかった。
翌日も、その次の日も、マナは川辺へ行かなかった。
けれどライは来ていたらしい。
村の子供が無邪気に言った。
「夜に綺麗な人おったよ! ずっと川見てた!」
その言葉に、心臓が痛む。
さらに数日後。
山へ薪を拾いに行った帰りだった。
細い山道を歩いていると、不意に腕を掴まれる。
「……っ!?」
驚いて振り返る。
そこにいたのは、息を切らしたライだった。
「やっと見つけた」
「ライ……!?」
マナは顔を青くした。
こんな昼間に。
しかも村の近くで。
「なんで来たん!?」
「会えなかったから」
ライは真っ直ぐ言った。
その目の下には薄く隈ができている。
「毎晩待っていた」
胸が痛む。
そんな顔をさせたいわけじゃなかった。
「……来たらあかん」
マナは腕を振り払いたかった。
けれどできない。
触れられた場所が熱かった。
「従者が来たんや」
「知っている」
ライの表情が険しくなる。
「父上の命令だ」
「……」
「すまない」
苦しそうに謝るライを見て、マナは首を振る。
「ライが謝ることやない」
「だが、お前を傷つけた」
ライの指先が、そっとマナの頬へ触れる。
まだ薄く残る痣。
その瞬間、ライの顔が歪んだ。
「……許せない」
低い声だった。
マナは驚く。
普段穏やかなライが、こんな顔をするなんて。
「やめて」
マナはその手を掴んだ。
「ライが怒ったらあかん」
「しかし」
「俺は大丈夫やから」
嘘だった。
本当は全然大丈夫じゃない。
怖かったし、痛かったし、泣きたかった。
でもライまで傷つくのは嫌だった。
ライはしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……会うのをやめるか?」
その言葉に、胸が強く痛んだ。
やめる。
その選択が正しいのは分かっている。
身分違いの恋なんて、叶うはずがない。
このまま続ければ、きっともっと酷いことになる。
それでも。
「……嫌や」
気づけば、そう答えていた。
ライが目を見開く。
「嫌やけど……でも、会ったらあかん」
声が震える。
「村のみんなに迷惑かかる」
「……」
「ライまで苦しそうな顔するし」
マナは唇を噛んだ。
「だから、もう」
言い切ろうとした瞬間。
ぐい、と腕を引かれる。
「っ!?」
気づけば、ライの胸元へ引き寄せられていた。
強く抱きしめられる。
「ライ……!」
「言うな」
低い声が耳元に落ちる。
「もう会わないなど、言わないでくれ」
鼓動が聞こえる。
ライの心臓が、苦しいほど速く鳴っていた。
それを聞いた瞬間、マナの胸まで締めつけられた。
この人も同じなのだ。
苦しくて、怖くて、それでも離れたくないと思っている。
「……っ」
マナは震える手で、そっとライの服を掴んだ。
するとライの腕にさらに力が入る。
「マナ」
名前を呼ばれる。
優しく。
愛おしそうに。
その声だけで泣きそうになる。
「お前を失いたくない」
その言葉に、とうとう胸の奥が溢れた。
マナはライの胸へ額を押しつける。
「……俺だって」
声が震えた。
「離れたくない」
山の木々が風に揺れる。
誰にも知られてはいけない。
誰にも許されない。
それでも二人は、互いを抱きしめた。
まるで、この温もりだけが本物だと言うみたいに。
――だが、その姿を。
遠くから見ている影があったことを、二人はまだ知らない。
コメント
1件
第4話、読み終えました……。 もう、胸がぎゅうってなりました。マナが川辺に行けなくて、それでもライは毎晩待っていて……すれ違う切なさが痛いくらい伝わってきました。そして再会したときの「会えなかったから」というライの言葉、真っ直ぐすぎて泣けます。抱きしめたときの心臓の音が聞こえるような密度、すごく好きです。最後の影、すごく気になります……!