冬のあいだに積もった書簡と報告の山、雪解けに伴う道路補修、交易商たちの再開申請――。
領主としての仕事に休息はない。
ディアルトが下がると、ランディリックは外套の裾を翻して塔を降りる。
まだ溶けきらぬ雪を彼の足が靴底に感じたと同時、砦の門外で馬のいななきが風に乗ってランディリックの鼓膜を震わせた。
程なくして、吹きすさぶ風の中を早馬の蹄音が近づいてくるのが聞こえた。
(何だ?)
そう思ったランディリックだったけれど、わざわざ門のところまで出向けば、そこで任に当たっている者の仕事を奪ってしまう。
用があればあちらからくるはず。ならば自分は自分がなすべきことをして待つまでだ。
悴んだ手のままでは書き物もままならない。ライオール邸の方へ届く書類に加え、ヴァルム要塞へ直に届く書簡もある。
ライオール邸の方では、ランディリックが不在の間、ある程度のことは執事のセドリックが処理してくれる。それでも城主の決済が必要なものもあるから、定期的にライオール邸からの使者が来ていた。
加えてこちらではこちらで、冬の間ストップしていた街道の通行許可など、ヴァルム要塞の方でこなさねばならない独自の事務仕事もある。
砦にいてもなお、――いや、砦にいるからより一層、ランディリックには机仕事が山積みなのだ。
ランディリックはとりあえず、と塔下へ建てられた小屋に寄って火のそばで手指を温めることにした。
先程まで自分が搭上で要塞外の様子を見回っていたことは数名の者が知っている。
塔から降りた人間は大抵この小屋で暖を取って次の仕事へ移るから、自分に用があればすぐ見つけてもらえるだろう。
扉を開けると、煤けた石壁の内に焚き火の匂いが漂い、外よりわずかに柔らかい空気が出迎えてくれた。
厚手の外套に降り積もった雪を軽く払ってから、ランディリックはそれを椅子の背に掛ける。
重い外套を乗せた状態で冷たい外気にさらされていた肩がふっと軽くなり、ようやく息を吐くことができた。
火床の上では薪がくぐもった音を立て、赤い火花が散る。
ランディリックが指先を炎にかざし、冷えきった指先の感覚を取り戻そうとした――その時。
「侯爵閣下様! 王都エスパハレより、緊急の書簡が届きました!」
果たしてランディリックの思惑通り、伝令がすぐさま彼を求めて凍えた顔で小屋の中へ駆け込んできた。
厚手の手袋越しに差し出された封筒には、深紅の封蝋。
その印章を見た瞬間、ランディリックのまなざしが僅かに動いた。
――封蝋の頂に刻まれていたのは、現王家に伝わる鷹の紋。片翼は剣を掲げ、もう片翼は獲物を掴み、その双眸は冷たく前方を睨んでいる。
代々の皇帝が、皇太子時代の私印を帝印として受け継いできた。その伝統に従えば、この紋もいずれ〝時代を名乗る印〟となるだろう。
そして、その下にもうひとつ、精緻な印が刻まれていた。
双頭の鷹が翼を広げた胸の中心に、七芒星と若木の双葉。星の線は金糸のように細く、光を受けて淡く輝きを返す。一方の爪は剣を、もう一方は橄欖の枝を掴んでいた。
それは、戦と平和、ふたつの理を抱えて生きる若き皇太子の象徴。
――皇太子アレクト・グラン・ヴァルドールの私印。
いずれ帝印として帝国暦を刻むであろうその印には、まだ彼という〝ひとりの人間〟の理想が、確かに息づいていた。凍てつく光のなかに宿る、静かな理想の印だった。
吹き抜けた風が、砦の旗を再び激しくはためかせる。
雪混じりの風音が、どこか不吉な調べを運んでいるように聞こえた。
コメント
1件
何が書いてあるの? リリアンナちゃんへの招待状? あ、でもそれならライオール邸にくるか。