テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
夕焼けが廊下の窓を赤く染める時間。教室の鍵は半分以上が閉まりはじめ、生徒の姿もまばらだ。
日下部は無言で教室を出ようとしていた。
その背に、ふわりと声が降る。
「よっ、今日もひとり?」
振り返らずとも、わかる。
蓮司だった。
「……何の用だ」
「用? 別に。用がなきゃ、声かけちゃいけないの?」
肩越しに並ぶように歩いてくる蓮司は、なぜか距離が近い。
廊下の壁と蓮司の身体に挟まれるようにして、日下部はわずかに足を止めた。
「ちょっと前まで、おまえのこと、気にもしてなかったけどさ──最近、いい顔すんだもん」
「……は?」
「びくってすんの。わかりやすいよな、おまえ」
言いながら、蓮司の手が日下部の背中に触れた。
なぞるように、滑らかに。
制服越しのその手は、ぞわりと寒気を引き起こす。
「やめろ」
低く告げても、蓮司は笑うだけだった。
「やめろ、って顔じゃないよね?」
「……!」
「おまえ、遥が見てないと、強気になるんだ」
耳元に囁くその声は、親密さの演技すらまとっていた。
廊下の奥、何人かの生徒がこちらを見たように感じた。
「……やめろって言ってんだろ」
ようやく日下部が振り向き、蓮司の手を振り払う。
だが蓮司はその勢いごと掴み返した。
手首を、爪の先でなぞるように、ゆっくりと。
「ねえ、どうせならさ。ちゃんと“壊れる”とこ、見せてくれない?」
「そうじゃないと──つまんないからさ」
目の奥に、悪意の熱が灯っていた。
「遥と違って、おまえはまだ割れてない」
「だから……俺、ちょっとだけ、期待してるんだよね」
「どこまで行けるか、って」
蓮司は、まるで軽口のように言った。
けれどそのまなざしは、日下部の反応だけを測っていた。
焦りも、怒りも、羞恥も、恐怖も──
すべてが彼にとっては「味わうための成分」に過ぎない。
「明日もさ、またちょっと──」
「遊ぼうぜ?」
指を離し、笑う。
日下部は動けなかった。
いや、動かせなかった。
蓮司の手が触れた場所だけが、熱を持っていた。
その熱は、自分の中から滲み出たものではない。
“汚される感覚”として、刻まれている。
そしてその背後で──
遥は、廊下の曲がり角の影から、それを見ていた。
指先が、震えていた。
歯の奥が、きしむほど食いしばられていた。