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夕暮れの廊下を過ぎ、校舎裏の階段踊り場。人の気配はない。空気はもう、夜の色を孕み始めていた。
蓮司はいつものように、飄々と立っていた。
壁にもたれ、笑みすら浮かべて。
その前に、遥が立っていた。
何も言わずに。
ただ、睨むでもなく、俯くでもなく、まっすぐに蓮司の目を見ていた。
その目が、はじめて──怒っていた。
「……どうしたの、急に」
蓮司が、笑う。
けれどその声色に、かすかに油断の滲みがあった。
「俺に何か言いたいことでも?」
遥の喉が動く。けれど、声は出ない。
何度も、言葉を飲み込んできた喉だった。
(言ったって、どうせ)
(また、何も変わらない)
(──でも)
「……日下部に触るな」
かすれた声だった。
けれど、はっきりとした言葉だった。
蓮司が目を細めた。
「へえ」
「なんで?」
「“おまえの”日下部なの?」
遥のこめかみが、ピクリと動いた。
「違う。……でも」
「俺の、目の前で……」
言葉が続かない。
怒りの形が、あまりにも不器用で──
遥の中の“壊れた声”が、何よりそれを阻んでいた。
「──俺が見てたから、あんなことになった」
「また、俺のせいだって……思わせるな」
蓮司は笑う。
薄く、静かに。
「へえ、“また”って、何?」
「何回か、あったんだ。おまえが見てるせいで、誰か壊れたこと」
「……知りたいな。どんな時?」
遥は、睨み返した。
怒りとも、哀しみともつかない、混ざった目で。
「おまえは……面白がってるだけだろ」
「“壊れてくのが好き”って……そう言ってたよな」
蓮司は肩をすくめる。
「うん。好きだよ」
「で? それが?」
遥の拳が、震えた。
けれど、それを振り上げることはなかった。
代わりに──遥は、言葉を吐いた。
「──死ねばいいのに」
蓮司の笑みが、すっと止まった。
その一言に、遥は何の激情も乗せなかった。
ただ、空気のように吐いた。
「……おまえがいなきゃ、誰も傷つかなかった」
「俺も、日下部も──」
「……きっと、ずっとましだった」
蓮司の目が、わずかに細められる。
けれど彼は、笑うことも怒ることもなかった。
ただ、観察者のように、遥の顔を見ていた。
「──へえ。そこまで言うようになったんだ、遥くん」
「ちょっと、成長したじゃん」
「でも──そんな顔のままじゃ、“おまえ”も壊れるよ?」
「それって、俺のせい? 違うよな?」
「自分が“守れなかった”って、勝手に思ってるだけで──
“壊したのは自分”だって、思い込みたがってるだけだろ?」
蓮司は近づく。わずかに顔を寄せる。
「……そのくせ、俺の前には、来るんだな」
「どうせ今夜も──来るんだろ?」
遥は一歩、後ろに引いた。
だけど何も言えない。
言葉を吐いたあとでさえ、喉の奥にこびりついている。
「“交換”成立、でしょ?」
「おまえが黙っていれば、日下部は守られる──」
「なあ、それってさ──ほんとに守ってるって言えるの?」
沈黙が落ちる。
蓮司はふっと笑って、踵を返す。
「ま、今夜も。待ってるよ」
そう言って、階段を降りていった。
遥はその場に立ち尽くしたまま、拳を握りしめていた。
それでも、殴れなかった。
叫べなかった。
ただ、ひとつ確かなことがあった。
「俺は──このままだと、本当に全部壊す」